
氏名
小林 覚(こばやし さとる)
生年月日
1966年2月28日
出身
神奈川県川崎市中原区
家族構成
母、息子
経歴
早稲田大学時代に書道と出会う。大学卒業後、ぴあ株式会社に入社。長年エンターテインメント業界に携わり、現在も取締役執行役員として勤務。その傍ら約37年にわたり書道家としても活動し、毎年渋谷にて展覧会を開催。独自の表現「女体書道」を手がけ、パリでも作品展を開催。自宅敷地内に残る江戸時代からの土蔵を改修した「寺子屋三左蔵(さんざぐら)」を、地域の学びや交流の場として地域に提供している。
仕事も、子育ても、書道も。いつだって「楽しい」が原動力
小林さんの話を聞いていると、不思議なことに気づく。大変だったはずの話なのに、最後はだいたい笑っているのだ。
7年前に妻を亡くした。当時、息子はまだ中学生。
仕事を続けながら家事をこなし、毎朝6時に起きて弁当を作る。帰りが遅ければ24時間営業のスーパーに寄り、翌朝の献立を考えながら買い物をした。
聞いているこちらは「よく続きましたね」と言いたくなる。
ところが返ってきたのは、「楽しかったんですよ」という言葉だった。
仕事も好き、書道も好き、料理も好き、息子との時間も好き。だから、どれかを諦めるのではなく、全部やる。
好きだからやる、面白そうならやってみる。
小林さんの人生をたどっていくと、そんな生き方がずっと一本につながっていた。
「今日も美味しかったよ」その一言で作り続けた500個のお弁当
「妻からバトンを渡されたような気持ちでした」
妻を亡くした後、小林さんは「息子が20歳になるまでは、ちゃんと育てよう」と心に決めた。
現在、息子は20歳。小林さんとはちょうど40歳違いだ。
母親と同居をしていたが高齢の為頼れず、全てやるしかない、食事も洗濯も学校のことも全部自分でやった。
毎日の弁当には、自分なりのこだわりもあった。夕食のおかずをそのまま翌日の弁当には入れない、同じ食材を使うなら、味や見た目を変える。
そして息子は毎日、空になった弁当箱を持ち帰り、
「今日、すごいおいしかったよ」と伝えてくれた。一度も残したことはなかったという。
コロナ禍で学校行事も部活動も止まった時には、
「俺の楽しみはお弁当だから、よろしくね」と言われた。なんて素敵な言葉。聞いているだけで涙が出そうになる。
最後の弁当は、朝4時半から5時に起き、サプライズでキャラ弁を作った。
息子が皆勤賞を目指すと言った。それなら自分も、と休まず作り続けた結果、作ってきた弁当の数、およそ500個。
普通なら弁当作りから卒業して、「やっと終わった!」となりそうなものだが、小林さんは違った。
「寂しかったですね。もうちょっと作りたかった」と感慨深げ。
その言葉からも、弁当作りが単なる家事ではなく、息子との大切な時間だったことが伝わってくる。
そして、妻から引き継いだのは家事や子育てだけではなかった。
それまで妻が参加していたママ友のグループLINEにも小林さんがそのまま加わり、子どもたちのことを相談されることも多かったという。
息子の友人の中には、ちょうど反抗期を迎え、親とぶつかって「少し家を離れたい」と小林家へ泊まりに来る子もいた。
そんな時も、小林さんは特別扱いをしない。ルールは、「朝はちゃんと起きる」「学校に遅刻しない」「ご飯を食べたら食器を流しへ」。それくらい。
夜中までゲームをしていても構わない。平日に泊まれば、翌朝はその子の分の弁当も作った。
家では野菜嫌いだった子が、小林家ではどんなものも普通に食べる。後になって母親たちから「あの時は本当に助かりました」と言われたこともあったそうだ。
気づけば小林家は、思春期の少年たちのちょっとした“駆け込み寺”になっていた。
でも本人には、「助けてあげた」という感覚がない。来たから、ご飯を作る。泊まったから、弁当を一つ増やす。
その自然さが、なんとも小林さんらしい。
夜行列車で北海道へ。自由に育った少年が選んだ「ぴあ」という道
小林さん自身も、自由に育てられた。父親を中学生の頃に亡くし、母と妹との生活になった。
古くからの大きな家に暮らしていたため、周囲から裕福に見られやすかった。だから母親は、子どもの金銭感覚が狂わないよう、あえて質素に育てたという。
一方、行動については驚くほど自由だった。
小学校高学年から中学・高校時代、休みになると周遊券を手に、北海道や九州へ出かけた。時には一人で夜行列車にも乗った。もちろん、携帯電話などない時代だ。
「今考えると、母親もよく行かせましたよね(笑)」
両親とも近隣の出身で、夏休みに「田舎へ帰る」という経験がなかった。だから、遠くへ行ってみたかった。その経験が、後に思わぬところで生きる。
大学卒業後、小林さんが選んだのは「ぴあ株式会社」。
バブル期、友人たちが銀行や証券、商社などへ進む中、「ぴあに行くの?」と驚かれた。
それでも迷わなかった。
映画も音楽もスポーツも好き。映画なら映画会社、音楽ならレコード会社…そんなふうに一つのことだけになるのはつまらない。でも、ぴあなら全部ある。
さらに、学生時代に面白かった先輩たちが社会人になると仕事の愚痴を言い、若者に説教する“会社の人”になっていく姿を見て、「自分はそうなりたくない」と思っていた。
新しい音楽や映画、若い世代が面白いと思うもの、そんなワクワクするようなエンタメの近くにずっといたい。
入社後には旅行ガイドや地図にも携わり、少年時代に全国を旅した経験が仕事につながった。
現在まで、ぴあ一筋37年。好きでやっていたことが、何年も後になってつながっていく。
小林さんの人生には、そんな”伏線回収”がいくつもある。
その最たるものが、書道かもしれない。
美人の先輩につられて始めた書道、まさかの41年
大学の新歓で書道会のブースを通りかかった小林さん。
そこに、「ものすごくきれいな先輩がいたんですよ」それで思わず「書道に興味あります」と声をかけた。
きっかけはさておき(笑)、始めてみると書道にのめり込んだ。
絵は得意ではなかった。でも文字なら表現できる。そして何を書くか、どこまでやるかを自分で決められる“自由”が心地よかった。
会社に入ってからも「作り手」でいることをやめたくなかった。
入社翌年頃から仲間と展覧会を始め、仲間が離れても小林さんは一人で続け、コロナ禍でもやめなかった。気づけば今年で37年目になる。
仕事が忙しくても、展覧会の時期には「この期間は連絡が取れなくなります」と宣言する。会社もその活動を応援してくれた。
だから小林さんは、若い社員にも「仕事を理由に好きなことをやめないでほしい」と話すという。
自分自身が、それを長く続けてきたからこその言葉だ。
「紙じゃなくてもいい」から始まった、誰も見たことのない書道
長く書道を続けるうちに、小林さんは考え始めた。
なぜ書道は、四角い紙に決められたように書かなければならないのだろう。
布に書く。木に書く。絵と組み合わせる。そして、
「人の肌にも書けるんじゃないか…」
そこから生まれたのが、小林さん独自の表現「女体書道」だった。
名前だけを聞けば驚く。しかし、制作で最初にするのは、モデルとなる女性の話を聞くことだ。
「何を表現したいですか?」小林さんが言葉を決めるのではない。
大切にしている言葉、忘れたくないこと、新しい人生への決意。それぞれ女性自身が、自分の身体に残したい言葉を選ぶ。
実際に筆を走らせるのは15~20分ほどの場合もあるというが、その前の対話にはじっくり時間をかける。
そして一度筆を置けば、やり直しはきかない。そんな女体書道が生まれる“場所”もまた、特別だ。
小林家の敷地には、江戸時代から350年以上残る2棟の土蔵がある。
一時は取り壊すことも考えたというが、文化財としての価値を知り、「先祖から受け継いだものを、自分の代で壊したくない」と残すことを決めた。
2018年に改修し、『寺子屋三左蔵(さんざぐら)』と名付け、現在は地域の学びや交流の場としても開放している。
そして、女体書道の制作・撮影が行われるのも、この歴史ある蔵だ。
350年以上の時を刻んできた空間で、伝統の「書」から、これまでにない表現が生まれている。
古いものをただ守るのではなく、受け継ぎながら新しいものを生み出す。その組み合わせも、なんとも小林さんらしい。
撮影に添える花も、基本的にはその日、小林さんの家の庭に咲いているもの。
「多分、この花もあなたのために今日咲いたんだと思うから、この花を挿しましょう」
その日の身体、その日の気持ち、その日に咲いた花。二度と同じものは作れない。
実はインタビューの最後、小林さんから「来週、蔵で女体書道をやるので、見に来ますか?」と声をかけていただいた。
後日、寺子屋三左蔵を訪れ、制作風景を見せてもらった。
目の前で筆が身体を走り、言葉が作品になっていく。そこには、写真で見るだけではわからない緊張感と、不思議なほど穏やかな空気があった。
そしてそこで、思いがけない出会いもあった。今回の記事に登場する、頭に「感謝」と書いた女性も来ていたのだ。

「僕は人を救う人じゃない」それでも、作品が誰かの背中を押していく
活動が知られるようになると、小林さんのもとには、さまざまな人生を歩んできた女性たちから連絡が届くようになった。
その中に、30歳の頃から、原因不明で突然髪が全てきれいに抜け落ちてしまった女性がいた。髪は抜け落ちたままの為、彼女は約10年間ウィッグをつけて生活していたそうだ。
職場にも言えず、恋愛にも臆病になった。
そんな彼女が希望したのは、頭に「感謝」と書くこと。還暦になる母親へのプレゼントだった。
家に帰れば、母親の前だけはウィッグを外し、ありのままの姿でいられたからだ。
小林さんは彼女の願いである「感謝」の文字を頭に書いた。
その後、小林さんは自身の作品を展示するパリへ彼女を誘った。彼女は本当にパリへ行き、ウィッグを外して街を歩いた。
誰も振り返らない。誰も何も言わない。「こんなに楽な場所があったんだ」楽しそうに歩く娘の写真を見て、母親も喜んだという。
その後、彼女は日本でもウィッグを外すことが増え、いつの間にかモデルとして声がかかるようになり、今ではアートモデルの仕事をしているそうだ。
コンプレックスだったものが、自分だけの魅力へと変わった。

ほかにも病気を経験した人、出産を控えた人、離婚を経て新しい人生を始めようとする人…
一人一人に、身体に刻みたい理由がある。
ただ、小林さんはこう言う。
「僕は誰かを救おうと思ってやっているわけじゃないんです。あくまで書道家なので」
カウンセラーではない。
「学生のサークルみたいに、みんなでいい作品を作って、『楽しかったね』って。それがいいんです」
それでも作品を経験した女性たちの表情は変わっていく。
最初は恥ずかしそうに「背中のこの辺だけ」と言っていた女性が、後には「次はどこでも好きなところに書いてください」と笑うこともある。
「もしアートやクリエイティブに、人の思いや人生を何か変える力があるとしたら、それは意味のあることなのかもしれないですね」
誰かを変えるためではなく、いい作品を作りたい。その結果として、誰かが少し自分らしくなっていく。そこに、この活動の面白さがあるのかもしれない。

好きなことを続けていたら、誰かの笑顔につながっていた
小林さんと息子には、共通の楽しみがある。
阪神タイガース、そして櫻坂46。ライブでは大阪、静岡、福岡など地方まで親子で遠征することもあるそうだ。
中学生の頃、一人で夜行列車に乗って全国を旅していた少年が、今度は息子と、時には夜行バスに乗って推し活をしている。
「息子さんに反抗期はなかったんですか?」
そう聞くと、「もし『クソじじい』なんて言われてもライブには連れて行きますよ。でも最新のタオルとTシャツは買ってあげないって言ったと思いますけど(笑)。全くなかったんですよね」
実は小林さん自身も反抗期はなかったらしい。なんて貴重な親子(笑)。
妻を亡くした時、「20歳までは」と受け取ったバトン。息子は20歳になり、小林さん自身も60歳を迎えた。けれど、落ち着く気配はない。
少年時代は知らない土地を見たくて旅に出た。好きなもの全部に関われそうだから、ぴあを選んだ。
美人の先輩に惹かれて始めた書道は41年、紙に収まらなくなった表現は、人の身体へ、そしてパリへ飛び出した。
350年以上前から受け継いだ蔵も、ただ残すのではなく、人が集まり、新しいものが生まれる場所へと変えた。
好きなことを、やめない。自分の人生を面白がる。
そして小林さんが楽しんでいる場所には、いつの間にか人が集まってくる。
息子やその友人たち、仕事仲間、地域の人たち、そして作品に思いを託す女性たち…
「誰かのために」と肩に力を入れているわけではない。それでも、小林さんのそばにいると、
「もう少し自分らしくてもいいのかな」と思える人がいる。
小林さんが描いてきた一番大きな作品は、もしかすると紙の上でも身体の上でもなく、そんな生き方そのものなのかもしれない。
今年も渋谷で「こばやし展」開催
小林さんが毎年続けている個展「こばやし展」の開催が今年も決まった。
手作りの筆文字や絵、和紙や織物を気軽に楽しめる、遊び心あふれた展覧会。
「女体書道展2026」も同時開催。
このインタビュー記事で、小林さんの世界に興味を持った方は、ぜひその作品を間近で感じてみてほしい。

インタビュー後記
私にも小林さんの息子さんと同じ20歳と、17歳の子どもがいて、現在進行形で毎日お弁当を作っています。
だから小林さんが「約500個のお弁当を作った」と聞いた時、真っ先に出てきた感情は「尊敬」。
しかも、お弁当作りが終わった時に「寂しかった、もう少し作りたかった」と聞いて、さらに尊敬。
というのも、私はできることなら一日も早くお弁当作りを卒業したいと思っているからです(笑)。
そしてもう一つ、大きく心を動かされたのが「女体書道」。そんな世界があることをこの時初めて知りました。
最初はその名前のインパクトに驚きましたが、小林さんから一人一人モデルさんの人生や、なぜその言葉を身体に書くことになったのかを聞き、作品の写真を何枚も見せていただくうちに、「これは思っていたよりずっと奥が深いぞ」と、どんどん興味が湧いていきました。
何より心に残ったのは、モデルの女性たちの表情です。皆さん、本当にいい顔をしている。
力が抜けたような、何かを吹っ切ったような、晴れ晴れとした表情。写真を見ているこちらまで、不思議と清々しく、嬉しい気持ちになるんです。
後日、寺子屋三左蔵を訪れ、実際に女体書道の制作現場を目の当たりにしたときには、とても貴重な体験にずっとワクワクしていました。
そしてそこで、今回の記事にも登場する、頭に「感謝」の文字を記した、あの女性にもお会いすることができたのです。
写真の中でも素敵な表情をしていた彼女。実際にお会いすると、ますます知りたくなりました。
どんな人生を歩んできたのだろう。
なぜ「女体書道」のモデルになったのだろう。
そして、あの作品を経験した後、彼女の中で何が変わったのだろう…
聞いてみたいことが、次から次へと出てきます。
ということで…個展の時期に広島から上京するそうなので、今度は彼女自身に改めてインタビューさせていただくことになりました。
小林さんへのインタビューから始まって、知らなかった女体書道の世界に触れ、実際の制作現場を拝見し、そこでまた一人、もっと知りたいと思う人に出会えました。
こうやって人から人へ、物語がつながっていくのも善人承継インタビューの面白さなのかもしれません。
さて、あの「感謝」という文字の向こうには、どんな人生があるのでしょう。次のインタビューが、今からとても楽しみです。
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宗石由美子
2026/09/30(水)