みなさまはオーストリアの動物行動学者コンラート・ツァハリアス・ローレンツさんという方をご存じでしょうか?
ローレンツさんの主な業績として「刷り込み」の研究があります。「刷り込み」とは生物の学習形態の一種で、みなさまも耳にすることがある事例として、動物や鳥が最初に見たものを親と認識してしまうというというものがあります。
ローレンツさんは、卵を人工孵化させてガチョウに育てさせようとしました。ガチョウが孵化させた雛はガチョウの後について行きましたが、ローレンツさんの目の前で孵化した雛は、ガチョウではなくローレンツさんの方を追ったのです。
「初めて見たものを親だと認識してしまう」というお話は、みなさんも一度は耳にするお話だと思います。「初めて見たものを・・・」ということは、いろいろな場面でよくあるお話だと思います。
例えば、ビジネスのシーンに置き換えると、社会人になって初めての上司の人柄や考え方などを少なからず影響することがありますよね。たとえその会社がいわゆるブラックと呼ばれる会社だとして、自分でもおかしいと思っているのですが、無意識のうちに刷り込まれていて、少なからず影響を受けていることは多々あると思います。
人間でも初めて見たもの、初めての環境、初めて参加する行事など、そのやり方が「普通」だとか「一般的」だと思い込んでしまうことはよくあると思います。それは、お葬式でも似たような場面がよくあるなぁって思ってしまいました。
お葬式というのは、地域によっては「しきたり」というものがあり、やり方が違うことはよくあることです。また、宗教によっても式の進め方が大きく違ってきます。日本人は仏式のお葬式が多いのですが、宗派によってお焼香の回数が違ったり、お清め塩を使わなかったりします。
私の友人は「(自分の実家の)お葬式は、葉っぱみたいなのを祭壇に供えた」という事しか覚えていないそうで、他の友人たちは「何それ??」と言っていたのですが、実はこの葉っぱは「玉串(たまぐし)」といって神式のお葬式ではいわゆる「普通」の光景で、仏式でいうところの「焼香(しょうこう)」と思っていただければわかりやすいかもしれません。
友人からしたら、生れて初めて見たお葬式の光景が「葉っぱを祭壇に供えた」という記憶であり、彼から言わせればその光景は「普通」のことなのです。だから、「お葬式って葉っぱを供えるよね?」となるわけです。
しかし、他の友人たちが見た初めてのお葬式の光景は「お坊さんが木魚をたたきながら、何かを唱えている」というものだそうです。その中には木魚を使わない宗派やお坊さんもいらっしゃったかもしれないのですが、彼らが刷り込まれているお葬式の光景はそのような光景なのです。
私は一度こんな光景を見ました。ご家族が神式でお葬式を希望されていて、いざお通夜(通夜祭)が始まろうとしていた時にご親戚のひとりが「普通の葬式をしろ!!」と喚き散らしておりました。
「普通のお葬式」って一体何だろう?
お葬式も、その家族の考え方も十人十色!!これからの葬祭ディレクターは「その人らしいお見送りのご提案」が、今まで以上に求められていくのかもしれませんね。
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著:一級葬祭ディレクター 小林大悟