
出身 北海道室蘭市
国立大学理系修士課程修了。大前研一氏が学長を務めるBBT大学大学院でMBAを取得。自動車向け半導体部品を扱う商社で31年間にわたり欧州ビジネスに従事し、ドイツ駐在は通算18年。ドイツ企業の自律性と生産性の高さに衝撃を受け、日本企業における働き方と組織運営のあり方に問題意識を持つ。
30代前半での最初のドイツ駐在をきっかけに、成果と余白を両立する「ドイツ流の働き方」を日本の職場で実践。帰国後はMBA取得や脳科学・心理学・コミュニケーション領域への継続的な学びを経て、少数精鋭チームのマネジメントに活かし、残業ゼロ・有休消化率100%で高い生産性を実現する組織づくりに成功した。
2024年に初の著書『ドイツ人のすごい働き方 日本の3倍休んで成果は1.5倍の秘密』(すばる舎)を出版。日本的な「頑張り方」を手放し、自律と信頼で成果を出す働き方を提示した同書は話題となり、続編『ドイツ人のすごいリーダーシップ 上司が3週間休んでもうまくいく最高の仕組み』と合わせてシリーズ累計10万部を突破している。
テレビ
BSテレビ東京
「あの本、読みました?」2024年10月 放送
Galileo(ドイツ・ProSieben)
「日本の働き方」特集 2026年6月 公式YouTubeで公開
雑誌
VOICE/PHP研究所
PRESIDENT(プレジデント)/ 株式会社プレジデント社
特集「日本人より『休み3倍、年収1.7倍』ドイツ人の働き方はどこが違うのか?」
北海道の少年がドイツで見つけた「人生のために働く」という生き方
「働くための人生ではなく、人生のために働く人を増やす。」
そう語るのは、『ドイツ人のすごい働き方』などの著者であり、現在は講演や研修を通じて新しい働き方を伝えている西村栄基さん。
ドイツで暮らした期間は、通算18年。
こう聞くと、最初から海外志向が強く、明確な目標を持って世界へ飛び出した人を想像するかもしれない。
しかし、西村さんの話を幼少期まで遡ってみると、少し違う。
「子どもの頃の夢ですか? 全くなかったですね」
なんとも潔い。
けれど、その少年には一つだけ、人一倍強いものがあった。
「知らない場所に行ってみたい」
という好奇心だった。
振り返ってみれば、この小さな好奇心こそが、西村栄基という人の人生を動かし続けてきた“エンジン”なのかもしれない。

小学4年生、ひとりで海峡を越える
西村さんは北海道・室蘭に近い登別で育った。
両親は富山県出身。父親の仕事の都合で北海道へ移り住み、西村さんは大学院を修了する24歳まで、この土地で過ごした。
海も山もある北海道の町。
一方で、夏休みになると楽しみにしていたのが、祖母や親戚のいる富山への旅だった。
今のように北海道新幹線などない時代である。
電車で函館へ向かい、青函連絡船で津軽海峡を約4時間かけて渡り、さらに電車を乗り継ぐ。夜に北海道を出て、富山に到着するのは翌日の昼過ぎ。
なかなかの大冒険だ。
驚くのは、その旅を小学3年生のときには3歳上のお兄さんと二人で、そして翌年からはたった一人でしていたということ。
携帯電話もない時代。
今なら親のほうが心配で眠れないかもしれない。
「それでも行きたかったんでしょうね。外の世界を見てみたいという思いはあったのかもしれません」
西村さんは淡々と振り返る。
後に大学生になるとバイクに乗り始め、20代から30代前半にかけて沖縄を除く全国各地へ。
豪華な旅ではない。
テントを積んでキャンプをしたり、その日の気分でビジネスホテルを探したり。
「何が目的だったんですか?」
そう尋ねると、返ってきた答えが西村さんらしかった。
「とにかく、知らない場所に行ってみたかったんです」
有名な観光地を巡りたいわけでもない。
ただ、自分がまだ見たことのない景色を見てみたい。
この好奇心は、やがて日本という島を越えていく。

川崎で始まった「仕事が中心」の毎日
高校時代、西村さんには明確な夢があったわけではない。
むしろ「卒業したら働こうかな」と考えていたほどだった。
ところが高校生になる頃、自分が数学や物理を得意としていることに気づく。
「だったら、もう少し学んでみようか」
室蘭工業大学へ進み、大学院まで学んだ。
そして1993年、NECへ入社。
配属されたのは半導体部門だった。
北海道を離れ、暮らし始めたのが川崎市中原区。南武線の向河原駅近くにある社員寮だった。
ここから、西村さんの会社員人生が始まる。
当時は半導体産業が猛烈なスピードで動いていた時代。
先輩について仕事を覚え、少しずつ任される仕事が増えていく。
気づけば生活は、
職場と寮の往復。
深夜まで働き、時には休日も仕事をする。
それを特別おかしいとは思わなかった。
なぜなら、自分だけではなく周囲も同じだったからだ。
「それが当たり前だと思っていました」
仕事とは、そういうもの。
働くとは、そういうもの。
ところが、その「当たり前」を根底からひっくり返す場所と出会う。
ドイツだった。

「あれ? この人たち、残業しないぞ」
NEC時代、西村さんは5年間ドイツで勤務することになる。
そこで目にした光景は、それまでの常識とはまるで違っていた。
ドイツ人たちは、残業をほとんどしない。
だからといって仕事をしていないわけではない。
むしろ限られた時間の中で集中し、効率よく成果を出している。
そして仕事が終われば、自分や家族の時間を大切にする。
仕事は大切。
でも、仕事が人生のすべてではない。
「人生の豊かさが違うなと思ったんです」
西村さんは、ドイツ人たちを観察した。
なぜ彼らは短い時間で仕事を終えられるのか。
なぜプライベートを大切にしながら成果を出せるのか。
そして5年間の駐在を終え、日本へ戻ってきた。
すると、以前は何とも思わなかった日本の働き方に、強烈な違和感を覚えるようになった。
日本が変わったわけではない。
西村さん自身の「当たり前」が変わったのだ。
一度、外へ出てみる。
すると、自分が常識だと思っていたものが、世界の常識ではなかったことに気づく。
小学4年生で一人、北海道から富山へ向かった少年が、今度は海を越えた先で「働くとは何か」を見つめ始めていた。

43歳。「この延長線上で、本当にいいのか」
その後、NECの半導体部門は再編・統合され、ルネサス エレクトロニクスへ。
2012年、会社では大規模な早期退職制度が実施された。
当時、西村さんは43歳。
決して会社が嫌いだったわけではない。
仕事にもやりがいがあり、さまざまな経験をさせてもらった。
しかし40代に入り、あるものが見えるようになっていた。
自分の未来だ。
このまま会社にいれば、おそらくこのあたりのポジションになり、こんな仕事をしているだろう。
ある程度、想像できる。
だからこそ、問いが生まれた。
「本当に、この延長線上の人生でいいのだろうか」
もちろん不安はある。
43歳から新しい世界へ飛び込むのだから、当然だ。
それでも、西村さんの中に昔からあった好奇心が顔を出す。
「自分でも知らない、自分の可能性を見てみたい」
西村さんは退職を決めた。
「3年持てばいい」が、気づけば13年
転職先に選んだのは、名古屋を拠点とする半導体商社。
決め手の一つが、その会社がヨーロッパへ進出し、ドイツで新しい拠点を立ち上げようとしていたことだった。
会社にとっては、西村さんのドイツ勤務や半導体、英語の経験が必要だった。
そして西村さんにとっては、もう一度ドイツへ行き、新しいことに挑戦できる。
これまでの経験と、新しい可能性が重なった。
現地では、わずか3人からスタート。
机を買う。
棚を買う。
自分たちで組み立てる。
そこからだった。
日本とは違う商習慣や文化の中、手探りで事業をつくっていく。
「最初は3年持てばいいかな、くらいに思っていました」
ところが――
気づけば13年。
人生とは、なかなか予定表通りにはいかない。
NEC時代の5年間と合わせ、西村さんがドイツで過ごした時間は通算18年になった。

「働き方改革」より先に、変えるもの
長いドイツ生活を経て、西村さんがたどり着いたのは、単なる「残業を減らそう」という話ではない。
制度だけで残業時間を削っても、仕事そのものが変わらなければ、どこかにひずみが生まれる。
西村さんが特に問題意識を持っているのが、プレイングマネージャーの疲弊だ。
部下のマネジメントをしながら、人手が足りなければ自分も現場に入る。
残業時間だけを減らしても、仕事量や仕事の進め方が変わらなければ、その負担は誰かが背負うことになる。
だから必要なのは、表面的な時間の短縮だけではない。
「何のために働くのか」から考え直すこと。
AIが急速に仕事のあり方を変えていくこれからの時代は、なおさらだという。
会社から与えられた仕事をこなしていれば、それだけで人生が成立する。
そんな時代ではなくなっていく。
「自分は何ができるのか」
「何を大切にして生きたいのか」
そして、
「何のために働くのか」
一人ひとりが、それを考えなければならない時代になった。
働くために生きるのか。生きるために働くのか。
現在、西村さんが掲げているミッションがある。
「働くための人生ではなく、人生のために働く人を増やす。」
これは「仕事なんてほどほどでいい」という意味ではない。
むしろ西村さん自身、32年間の会社員生活を通じて、仕事に本気で向き合ってきた人だ。
大切なのは、順番なのだと思う。
人生があって、その人生をより豊かにするために仕事がある。
ドイツで暮らし、日本を外側から見たことで、西村さんは日本人が持つ力にも改めて気づいた。
もっとできる。
もっと世界に貢献できる。
なのに、自分たち自身がその可能性に気づいていない。
だから西村さんは、自分がドイツで学んだものを日本へ返していきたいと考えた。
その一つの形が、本だった。
そして現在は、企業などでの講演や研修を通じて、その考えを伝えている。
「ブラックエンジン」から「ホワイトエンジン」へ
インタビューの終盤、西村さんから面白い話を聞いた。
人が働く原動力には、大きく分けて二つのエンジンがあるという。
一つは「ブラックエンジン」。
もっと稼ぎたい。
認められたい。
成功したい。
自分の欲求を満たす力だ。
それ自体が悪いわけではない。
自分や家族を豊かにするためには、必要な時期もある。
しかし、それだけで走り続ければ、いつか疲弊する。
もう一つが「ホワイトエンジン」。
誰かの役に立ちたい。
社会に貢献したい。
自分の経験を、次の誰かのために使いたい。
西村さんは、人生の中で少しずつ、このホワイトエンジンの割合を増やしていくことが大切なのではないかと話す。
お金について尋ねると、
「社会にどれだけ良いインパクトを与えたか。その価値に応じて返ってくるものだと思っています」
と答えてくれた。
そして「もし100億円あったら?」という少々突拍子もない質問にも、西村さんは笑いながら、環境保護など地球環境のために使いたいと話してくれた。
そこにも、西村さんの現在地がよく表れている気がした。
今度は、日本の良さを世界へ
西村さんの旅は、まだ終わっていない。
むしろ、ここからが新しい旅なのかもしれない。
これから挑戦したいことを尋ねると、世界で活動するスピーカーとして日本の精神性を伝えること、日本の伝統的なものづくりに携わる人たちを支援し、その価値を海外へ届けることなどを挙げてくれた。
海外から日本を訪れる人たちにも、この国の本当の魅力をもっと知ってほしい。
かつては、
「世界から学び、日本へ伝える人」
だった。
これからは、
「日本の良さを、世界へ伝える人」
にもなっていく。
その根底にあるのは、一貫している。
知らない場所へ行ってみる。
外の世界を知る。
そして外を知ったからこそ、自分たちの良さに気づく。

知らない世界の向こうに、知らない自分がいる
小学4年生、一人で青函連絡船に乗った少年。
バイクにテントを積み、日本各地を走った青年。
川崎で深夜まで働いた半導体エンジニア。
ドイツで日本とは違う価値観に出会った会社員。
43歳で、それまでの延長線上から一歩踏み出した挑戦者。
そして今、日本と世界をつなごうとしている西村栄基さん。
振り返ってみると、その人生には一本の線があるように思える。
「知らない世界へ、行ってみたい。」
知らない世界に足を踏み入れると、それまで当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなくなる。
そして何より、
自分でも知らなかった自分に出会える。
働き方を変えることは、単に残業を減らすことではない。
もしかすると、
「自分は、どんな人生を生きたいのか」
そこから考え始めることなのかもしれない。
西村さんの言葉が、静かに問いかけてくる。
あなたは、働くために生きていますか。
それとも、
人生のために働いていますか。
インタビュー後記
西村さんのお話を聞く前、私は「ドイツ式の働き方を伝えている方」というイメージを持っていました。
正直に言えば、私はどちらかというと「成果を出したければ、人より働けばいい」と考えてきた人間です。
だから今回のインタビューは、自分とは違う価値観に触れる時間になるのかなと思っていました。
ところが話を聞き終えて感じたのは、意外にも「根っこは近いのかもしれない」ということでした。
働く時間が長いか短いかではない。
会社員か経営者かでもない。
大切なのは、
「何のために働いているのか」
なのだと思います。
特に印象に残ったのが、「ブラックエンジン」と「ホワイトエンジン」の話でした。
稼ぎたい。成功したい。家族を豊かにしたい。
それも立派なエネルギーです。
でも、自分が満たされた先に、
「この力を誰かのために使えないか」
「自分の経験を社会に返せないか」
という気持ちが少しずつ増えていく。
善人承継で出会ってきた方々にも、どこか共通するものを感じます。
そしてもう一つ。
小学4年生で一人、北海道から富山へ向かったという話。
私はここに、西村栄基さんという人の原点を感じました。
知らない世界を見てみたい。
その好奇心が北海道から日本全国へ、そしてドイツへ。
今度は世界で知ったものを日本へ持ち帰り、日本の素晴らしさを再発見して世界へ届けようとしている。
人生というのは、後から振り返ってみると、バラバラだった「点」が一本の「線」になっているものなのかもしれません。
そして「善人承継」もまた、そんな一人ひとりの点をつなぐ活動でありたいと思っています。
西村さんから、次はどんな“善き人”へバトンが渡るのか。
また一つ、楽しみなご縁が増えました。
お問い合わせ
西村栄基
HP:https://shigekinishimura.com/
お問い合わせ | 西村栄基(Shigeki Nishimura)公式サイト
*相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
吉留暖
2026/09/16(水)