体育を見学していた少年
松本孝一さんを訪ねる人の多くは、彼を「先生」と呼ぶ。
空手の師範として。身体の使い方を教える指導者として。講演会で人間の可能性を語る講師として。
だが、その原点にいるのは、運動が得意な少年でも、最初から身体の仕組みに詳しかった少年でもない。
幼稚園から小学校低学年まで、松本少年は身体が弱かった。小児喘息があり、体育の授業はいつも見学。運動会や体育祭の集合写真では、競技に参加できず、欄外に写るような子どもだったという。
給食も食べきれなかった。
教室では掃除が始まり、ほかの児童の机が後ろへ運ばれていく。その中で、食べ終わらない松本少年の机だけが残される。最後には心配した母親が迎えに来ることもあった。
「普通の子ができることが、自分にはできない。それが毎回、悔しかったんです」
鉄棒の逆上がりもできなかった。
ところが、1か月後に鉄棒の試験があると知ると、毎日練習した。すでに逆上がりができる友達は、ドッジボールやソフトボールをして遊んでいる。その横で、手に豆をつくりながら、何度も鉄棒に向かった。
そして試験当日。
運動のできなかった少年が、クラスで一番の成績を取った。
松本さんは、身体の弱い子どもには二つの大きな力があるという。
一つは、できないことが多い分、これからできるようになる領域が人より多いこと。
もう一つは、誰かにとって当たり前のことができたとき、心から感動できることだ。
朝起きる。立ち上がる。歩く。食事をする。
多くの人が意識もしない行動に、涙が出るほど感動できる。その経験が、いつか自分を前へ進ませる。
「弱かったからこそ、人より三倍、強くなりたかった。強くなるためなら、人より三倍つらいことにも耐えられたんです」
弱さは、強さの反対ではない。
強くなるための、最初の材料だった。

氏 名:松本孝一(まつもと・こういち)
出身地:愛知県豊橋市
主な活動:身体指導、空手道場師範、講演活動、執筆、音楽活動と様々な分野で活躍。mixs.代表、日本空手松涛連盟松陽塾 師範
現在の取り組み:病気や身体の不調を抱える人が、自分自身の身体と向き合うための奉仕活動「養生広場」を展開。愛知県を拠点に、毎月約1週間東京でも指導・講演・ライブを行う
厳格な父と、指で風景を描いた母
幼い松本さんが夢中になったのは、漫画を描くことだった。
運動では目立たなかったが、漫画を描くと、クラスメートが順番を待った。自分が描いた絵を欲しがって、列ができた。
「小学校一年、二年の頃は、漫画家になりたいと思っていました」
家の中で物を作ることも好きだった。絵を描き、プラモデルを作る。身体が弱く、外で思うように遊べなかったからこそ、頭の中にあるものを形にする時間が増えていった。
その感性には、両親の影響もあった。
父親は電気工事会社を経営しながら、全国の電気工事業界をまとめる立場にいた。商売で自社だけを大きくするより、業界全体が良くなることを望む人だったという。
厳格で、褒められた記憶はほとんどない。
それでも大人になって振り返ると、父の言葉はどれも正しかった。
人を率いる力。全体を見渡す視点。自分だけが得をするのではなく、周囲を引き上げようとする姿勢。
現在、松本さんが一人の相談者だけでなく、その家族や地域、さらに日本全体の問題まで考えるのは、父親から受け継いだ視野なのかもしれない。
一方、母親は画家だった。
母親の絵の描き方は独特である。筆もへらも使わず、キャンバスに置いた絵の具を、指の温度だけで伸ばしていく。
実際の風景を写し取るのではなく、心に浮かんだ像を描く。松本さんはそれを「心象画」と説明する。
その母親から、直接絵を習ったわけではない。
しかし現在、人の身体を指導するとき、松本さんはその人が歩んできた人生を「景色」として思い浮かべるという。
なぜ身体が動かなくなったのか。どんな生活を送り、何を我慢し、何を恐れてきたのか。
症状だけを見るのではなく、その人の歴史を見る。
漫画家にはならなかった。
だが、紙の上ではなく、人の人生の中に景色を描くようになった。

奇跡ではない。元々あった力が戻るだけ
大学では空手部に入り、厳しい稽古を重ねた。
ある日、過酷な稽古によって身体に強い痛みが出て、立つことさえ難しくなった。病院へ行っても改善せず、何をしても駄目だった。
そのとき、ゆっくり息を吐きながら身体を動かしてみた。
すると、痛みがすっと軽くなった。
「人には力がある。使っていなかっただけなんだ」
その実感が、松本さんの人生をつないだ。
身体が弱かった幼少期。強くなりたい一心で続けた空手。自らの呼吸と動きによって身体が変化した経験。
別々に見えていた点が、一本の線になった。
それ以降、松本さんは身体の不調や病気を抱える人たちと向き合ってきた。車椅子生活を送る人、長く寝たきりだった人、難病や重い病気と診断された人など、相談に来る人の状況はさまざまだ。
そこで松本さんが最初に見るのは、「何ができないか」ではない。
指が少し動く。膝を曲げられる。呼吸ができる。自分の意思を相手へ伝えられる。
まだ残っている力を見つける。
本人も家族も「もう無理だ」と思っていても、身体には使われていない部分がある。そこへ意識を向け、呼吸し、少しずつ動かしていく。
松本さんの指導を受け、身体に変化が起きたと語る人は多い。だが本人は、「自分が治した」とは言わない。
「僕が何かを与えたわけじゃない。本人が元に戻っていくんです。元々、その人の中に力があるから」
周囲から「奇跡だ」と言われることもある。
そのたびに、こう返す。
「人間が生きていること自体が奇跡です。その奇跡の存在が立ったり、歩いたりすることは、奇跡ではなく本来の姿なんです」
もちろん、松本さんの指導は医療行為を代替するものではない。医師の診断や治療が必要な場面もある。
彼が問題にしているのは医療そのものではなく、自分の身体をすべて他人任せにしてしまう意識だ。
薬を飲む。病院へ行く。治療を受ける。
その一方で、自分で呼吸し、自分で動き、自分で生活を整えることまで手放してはいないだろうか。
松本さんは、人が自分の身体にもう一度参加するためのきっかけをつくっている。

願えば叶う。ただし、動きながら
松本さんが本や講演会のサインに添える言葉がある。
「自らの力を信じる」
新しい能力を身につけろ、という意味ではない。
「今のあなたが、すでに持っている力を使ってほしい」という願いだ。
もう一つ、よく書く言葉がある。
「願えば叶う。ただし、動きながら」
未来はベルトコンベアのようなものだと、松本さんは説明する。
1か月後、半年後、1年後。なりたい自分の姿を、その先に置く。時間が進めば、未来は必ず現在として目の前に届く。
ただし、届いた未来をつかむ力が自分になければ、通り過ぎてしまう。
だから、願った瞬間から動く。
なりたい姿を明確にする。身体を整える。学ぶ。練習する。人に会う。失敗しても、もう一歩進む。
「なんとなくこうなりたい、だったら、なんとなくしか叶わないんです」
人生の転機は、突然空から落ちてくるものではない。
山の麓に立ったままでは、麓の景色しか見えない。しかし10メートルでも登れば、景色は変わる。景色が変われば、会う人も、考えることも変わる。そして、もっと上へ行きたくなる。
一歩動くことで、新しい景色が現れる。
その景色が、次の一歩を呼ぶ。
「条件が悪ければ悪いほどいい」と松本さんは言う。
遠い。身体が動かない。自信がない。過去に失敗した。
だからこそ、自分に問うことができる。
なぜ、それでも行きたいのか。なぜ変わりたいのか。なぜ生きたいのか。
困難が大きければ、乗り越えたときに得る手応えも大きい。
体育を見学していた少年が、空手の師範になったように。
豊橋から、日本を元気にする
現在、松本さんは愛知県豊橋市を拠点に活動している。
毎月約1週間は東京へ出向き、身体指導や講演、音楽ライブを行う。東京に滞在して6日ほど経つと、「もう豊橋へ帰りたい」と思うらしい。
豊橋では、山や自然が近い。人をよけながら歩かなくてもいい。
それが、生まれ育った町の心地よさだ。
一方で、東京には東京の魅力がある。
人がよく動き、情報へのアンテナが高い。講演会で出会った人がライブにも来て、その友人が別の会場に現れる。人口は多いのに、人のつながりは意外なほど近い。
「東京へ来ると、東京は狭いなと思うんです」
豊橋の穏やかさと、東京の行動力。
どちらかが正しいのではない。それぞれの土地に良さがあり、その裏側には課題もある。
ただ、松本さんが見ている範囲は、一つの地域だけではない。
人口が減り続ける中で、社会保障や医療にかかる負担は増えている。医療技術や生活の利便性が進歩しても、人は本当に健康に、幸せになっているのか。
そんな問いを投げかける。
「日本を救いたい」
あまりに大きな言葉だ。
本人も、一人でできることには限界があると分かっている。
だからこそ、まず目の前の一人に、自分の身体に力があることを実感してもらう。その姿を見た家族が変わり、仲間が変わり、地域へ広がっていく。
そのために立ち上げたのが、奉仕活動の「養生広場」だ。
医師、トレーナー、整体師をはじめ、異なる分野で人の身体と向き合ってきた指導者たちが、ジャンルを超えて集まり始めた。
誰かに日本を救ってもらうのではない。
一人ひとりが、自分の命と身体を使い切る。
その積み重ねが、家族を元気にし、地域を元気にし、結果として日本を元気にしていく。
松本さんが目指すのは、そんな社会だ。

全力で、今日を生ききる
5年後の自分へ、何と声をかけるか。
そう尋ねると、松本さんは少し考えてから、未来よりも今日の話を始めた。
5年後に命がある保証はない。1年後も、明日も同じだ。
病気の人も、健康な人も、若い人も、高齢の人も、その条件だけは変わらない。
明日の命は、誰にも約束されていない。
だから、今日一日、自分の持つ力をできる限り引き出す。
今日の点が明日へつながり、その点の連続が5年後をつくる。
「全力で生ききる。それしかないと思うんです」
松本さんは、講演会で聴衆へ話しているようで、実は自分自身に言い聞かせているのだという。
人へ教えているのではない。
誰かに語りながら、自分もまた、何度も自分の力を信じ直している。
若い世代に対しても、「こう生きなさい」と教えるつもりはない。
22歳の人は、松本さんが経験していない22年間を生きてきた。小学5年生は、松本さんが経験していない現代の11年間を生きている。
年齢に関係なく、一人ひとりが自分にない経験を持っている。
だから、誰もが先生になる。
「僕の先生は、指導してきた一人ひとりです」
立てなかった人が立った瞬間。弱かった子どもの表情が変わった瞬間。諦めていた人が、もう一度やってみようと思った瞬間。
そのすべてが、松本さんに身体の可能性を教えてきた。
漫画を描いていた少年は今、言葉や音楽、身体の指導を通じて、人の中に景色を描いている。
その景色の中心に、いつも同じ言葉がある。
あなたには力がある。
新しく手に入れるのではない。
すでに持っている力を、信じて、動かして、使ってほしい。
願えば叶う。
ただし、動きながら。
インタビュー後記
松本先生は饒舌だ。
こちらが一つ質問すると、答えは豊橋を出発し、東京を経由し、日本の医療制度を通過して、最後は人類の未来に着陸する。
途中で何の質問をしたのか、インタビュアーが見失うこともある。
しかし不思議なことに、話の中心は一度もぶれていない。
「人には力がある」
ただ、それだけを何度も、角度を変え、例えを変え、熱量を増しながら話している。
正直、松本先生は「普段スポットライトが当たらない人」ではない。本も書き、講演もし、動画にも登場する。
スポットライトどころか、自ら照明を持って全国を歩いているような人である。
松本先生自身も最初は、「私はインタビューの対象じゃないと思う」と仰っていた。
だが、掘り出てきた話は意外なものだった。
体が弱く、給食も食べられず、体育を見学し、逆上がりができなかった少年。
強い人が弱い人を救う単純な物語ではない。
弱かった人が、自分の中の力に気づき、その力を今度は誰かが思い出すために使っている物語だ。
松本先生の話をすべて最初から信じる必要はないと思う。むしろ本人も、言葉をそのまま受け取ってほしいとは考えていないのだろう。
目の前に松本先生が見えた景色を置くから、その中から自分に必要なものを持ち帰ってほしいと言う。
ならば、私が持ち帰るのはこれだ。
「できないことが多い人は、これからできることが増える余地も多い。」
「人はいつでも、生き直せる」
聞いてる私たちに元気をくれる、ずいぶん都合のいい理屈である笑
だが、人生というものは、このくらい都合よく解釈した方が案外うまくいくのかもしれない。
松本先生自身がそれを証明してくれたのだから。
そして、松本先生のその言葉に、救われた人たちが大勢いるのも事実なのだから。
松本先生は今日も、誰かに向かって話しながら、自分自身に言い聞かせている。
「自分の力を信じろ。」
「全力で生ききれ。」
そして、おそらく話し終わった頃には、最初の質問から少し遠い場所にいる笑
山元 直樹
2026/07/28(火)