クリストファー・ノーランの作劇は常に「誰が物語作者になりうるのか」を巡るゲームとして展開され、このプロットの組み立て方は初期から『オッペンハイマー』まで基本的には一貫している。複数の軸を用意した上でそれぞれの軸に作者を用意し、各々による物語の奪い合いによって映画を駆動させる。並行モンタージュや時間軸の錯綜といったノーランの代名詞的な編集はそのようなプロット構築から必然的に要請される手法であった。『オッペンハイマー』もやはりこれまでの作品同様、カラーとモノクロにそれぞれオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)とストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)を割り当てつつ、とりわけ映画後半から物語の奪い合いの様相を呈しつつ展開される。ストローズが私怨からオッペンハイマーのドラマ全体を裏で構築していたという種明かしは、ジャンルこそ違えど『メメント』や『プレステージ』などノーランのこれまでの作品を思い起こさせるだろう。そうした点において、オッペンハイマーの「原爆の父」、「殉教者」としての物語を簒奪しようとするストローズが典型的なノーラン映画の人物であるのに対して、主人公のオッペンハイマーは決してそのような能動的なアクションを一向に起こさない。本作はこの点においては、ノーランのこれまでのフィルモグラフィーを一応は更新している。(三浦光彦「操作不可能性に対峙する」)

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8/3(土)~8/9(金) 11:55~
8/10(土)~8/16(金) 14:30~
8/17(土)~8/23(金) 17:05~
8/24(土)~8/30(金) 9:30~

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