
「真面目そうな方ですね」
安田仁さんに初めて会った人の多くは、おそらくそう思うだろう。
行政書士。落ち着いた話し方。丁寧な受け答え。
言葉を選びながら、一つひとつ誠実に説明する。
うん。どう見ても真面目だ。
ところが話を聞いていくと、そのイメージが少しずつ崩れていく。
「僕、完全に散財タイプです」
……え?
「誘われた飲み会は基本断らないです」
……え?……あれ?
さらに学生時代を知る友人からすると、今の「真面目な安田先生」という評価自体が少々面白いらしい。
どうやら人間というものは、名刺だけでは分からない。
東京・湯島の寿司屋に生まれ、少年時代は人見知り。
野球に夢中になり、音楽を愛し、保険会社で33年間働いた。
そして50歳を過ぎて行政書士試験に挑戦し、現在は東京都江東区で行政書士として新たな人生を歩いている。
5年前の自分ですら、今の自分を「10%も想像できなかった」という。
人生は、本当に分からない。
だから面白い。
氏 名:安田 仁(やすだ ひとし)
出 身:東京都文京区湯島
活 動:東京都江東区を拠点に行政書士として活動。
経 歴:大学卒業後、三井海上(現・三井住友海上)へ入社。約33年間勤務し、損害サポート部門を中心に、自動車保険の保険金支払業務や企業営業などを経験した。長年法律に関わる仕事をしてきた経験から行政書士資格に興味を持ち、令和4年に行政書士試験に合格。2024年9月行政書士事務所を開業。
家族構成:妻と二人の娘がおり、娘たちはすでに結婚。2026年8月には初孫も誕生した。
趣 味:音楽鑑賞。クラシック、ジャズ、ボサノバ、R&Bなど幅広く聴き、仲道郁代さん、小野リサさんのファン。自身もピアノ、トランペット、マンドリンを嗜み、社会人楽団では大ホールの舞台経験あり。
湯島の寿司屋に生まれた、人見知りの少年
安田さんの実家は、東京・湯島。
湯島天神の近くで、父親が約40年間「寿司安田」という寿司店を営んでいた。
寿司屋の息子と聞くと、幼い頃から威勢よく、「へい、らっしゃい!」くらい言っていそうなものだが、実際は正反対だった。
「中学生くらいまでは、人と話すのがあまり得意じゃなかったんです」
特に大人と話すのが苦手だった。
大人が集まる場所へ連れて行かれると、途端に口数が減る。
今、相談者の話を聞き、士業の仲間と交流し、仕事を紹介される行政書士の姿からは、なかなか想像できない。
そんな少年時代に夢中になったものの一つが鉄道模型のNゲージだった。
ジオラマを作り、その中を列車が走る。「作ること」が好きだったのだという。
そして小学4年生頃からは少年野球を始めた。
湯島育ち。当然のように巨人ファン。
原辰徳、篠塚利夫、ウォーレン・クロマティ――。往年の巨人軍に夢中になり、中学では野球部へ入った。
野球を始めたことで、大きな声を出し、人と関わる機会が増えた。
人見知りだった少年が、少しずつ外の世界へ出ていく。
もっとも、大人しかったからといって、品行方正だったわけではない。
ファミコンもやった。ゲームセンターにも行った。
しかも当時、小学生はあまり行くべきではないと言われていたゲームセンターへ、親に隠れて行っていたらしい。
安心した。最初から行政書士のような小学生だったわけではない。
勉強も、もともとは好きではなかった。
小学校の通信簿には、
「漫画でいいから本を読んでください」
と書かれたことさえある。
それが中学受験をきっかけに本を読み始め、勉強にも向き合うようになった。
人生とは不思議なものだ。
「漫画でもいいから本を読め」と言われた少年が、数十年後には自分で本を書こうとしている。
先生が知ったら、おそらく一番驚くだろう。

岐阜への配属が、人生を変えた
1992年、大学卒業後に保険会社へ入社した。
初任地は岐阜。
それまで岐阜どころか、名古屋で降りたことさえなかった。本人にしてみれば、まさに「なぜ岐阜?」だっただろう。
だが、この人事異動が人生を大きく変える。
岐阜勤務時代に、後の妻と出会ったのだ。
奥様は愛知県一宮市の出身。その後、安田さんは東京勤務となり結婚。妻を東京へ呼び、全国転勤の生活が始まった。
やがて愛知勤務となったタイミングで家を購入することになり、奥様の実家に近い一宮市を選んだ。
本人曰く、
「転勤族が、奥さんの実家の近くに落ち着く。保険業界ではよくあるパターンです」
とのこと。なるほど。
しかしよく考えれば、会社が「岐阜へ行け」と言わなければ、奥様とは出会っていなかった可能性が高い。
当時は「なんで岐阜なんだ」と思ったかもしれない人事異動が、数十年後から振り返れば人生最大級のファインプレーになっている。
会社員人生とは分からないものである。
夫婦には二人の娘が生まれた。
娘たちは現在それぞれ結婚し、長女は安田さんの自宅近く、次女は仙台で暮らしている。
そして2026年8月、初孫が誕生した。
「まだ1回しか会っていなくて、そんなにおじいちゃんの実感がないんですよ」
そう語る57歳。
おそらくあと数年して「じいじ」と呼ばれた瞬間、一発で陥落すると思う。
全国の祖父を見る限り、これはかなり高い確率で発生する。

コロナで飲み会が消えた。そして行政書士が生まれた
保険会社には約33年間勤務した。
企業営業を経験した6年間を除けば、長く携わったのは損害サポート部門だった。
特に自動車保険の保険金支払業務では、日常的に法律と向き合う。
事故の責任関係、損害賠償、車両の処理、相続。
行政書士へ廃車手続きを依頼することもあった。
長年そんな仕事を続ける中で、ふと思った。
「これだけ法律に関わる仕事をしてきたんだから、何か一つ法律系の資格を取りたい」
司法書士も考えた。
しかし難易度や業務内容、自身の経験とのつながりを考え、行政書士を目指すことにした。
とはいえ、働きながら資格試験の勉強を続けるのは簡単ではない。
そこで登場するのが、まさかの新型コロナウイルスである。
当時、安田さんは三重県四日市市に勤務していた。
会社と自宅は徒歩1分。仕事を19時に終えれば、19時過ぎには家にいる。
それまで当たり前だった飲み会もなくなった。
夜が、恐ろしく長い。
最初はワインを勉強しようと思った。ワインを買い、本も買い、一人で飲みながら勉強する。
なんだか非常に大人で格好いい。
しかし、
「だんだん飽きちゃって」
早かった。思ったより早い飽きが来た。そこで思った。
「こんなに時間があるなら、勉強しよう」
そこから行政書士試験への挑戦が始まった。
令和4年、合格。そして2024年9月、江東区で行政書士事務所を開業した。
人生の転機は、必ずしも格好いい形でやって来るわけではない。
飲みに行けなくなった男が、「暇だから勉強するか」と始めたことが、第二の人生になった。
ちなみに安田さん、お酒自体はかなり弱い。2、3杯飲んだらコーラやウーロン茶へ移行する。
にもかかわらず、
「飲み会に誘われたら基本断らない」
らしい。
酒が好きなのではない。人が好きなのだ。その気持ちすごくわかる。私もそうだ。「飲みにケーション」ならではの人脈も存在する。
そして会計だけは酒豪クラスになる。だから奥様が家計を管理している。
非常に合理的なリスク管理である。
保険会社出身の夫に対し、家庭内では妻の方がリスク管理能力が高かった。

50代から始まった、まったく想像していなかった人生
行政書士として独立してからの2年間を、安田さんはこう表現する。
「本当に目まぐるしかったです」
付き合う人が変わり、仕事が変わり、生活が変わった。
5年前の自分に、
「5年後、東京で行政書士として仕事をしているよ」
と言っても、おそらく信じなかった。では想像できたか。
「10%も想像できなかったと思います」
現在、相続分野をはじめ、これまでの保険会社での経験を生かした仕事にも力を入れている。
その象徴とも言えるのが、東京都行政書士会の会報誌「行政書士とうきょう」への寄稿だった。
人身傷害保険の死亡保険金と相続に関する最高裁判決について、保険会社で実際に人身傷害保険金の支払業務を経験した立場から記事を書いた。
「この分野なら、自分が書かなかったら誰が書くんだ」
そんな思いで挑戦した。
とはいえ、文章を書くことには慣れていない。
弁護士、保険会社社員、先輩行政書士など、さまざまな人に原稿を確認してもらった。
そして、ダメ出し。書き直し。またダメ出し。さらに書き直し。
法律の記事は、一つの表現にも責任が伴う。誰が読んでも誤解されないよう、何度も推敲を重ねた。
その結果、無事掲載された。
安田さんは今、「書くこと」に挑戦している。共著ではあるが書籍にも参加した。相続診断協会のコラムも執筆した。
そして次の目標は、
「自分一人で本を書いてみたい」
ということだ。
面白い。
子どもの頃、先生から「漫画でいいから本を読め」と書かれた少年が、本を書く側へ回ろうとしている。
もっと言えば、文章を書くことが得意だから挑戦しているわけではない。
むしろ、「苦手だからやってみたい」という。
57歳である。
普通なら、得意なものだけで勝負したくなる年代かもしれない。
それでも安田さんは、新しいことを始める。
行政書士になったこともそうだ。
記事を書くこともそうだ。
本を出したいという夢もそうだ。
これまでの経験を守るのではなく、新しい経験を積み足していく。
その姿こそ、安田仁という人の面白さなのだと思う。

「禍福は糾える縄の如し」――だから、いい時ほど備えておく
安田さんが大切にしている言葉がある。
「禍福は糾える縄の如し」
幸せと不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる。
38歳で管理職になった頃、この言葉を強く意識するようになった。
チームがまとまり、「最近いい感じだな」と思った翌月に問題が起きる。
積み上げたブロックが、一気に崩れる。
保険会社では、災害対応も経験した。
台風、地震、水害。
突然、それまでの日常が変わる現場を何度も見てきた。
だからこそ、
「調子がいい時ほど、次に何か来るかもしれないと思って準備しておく」
その考えが染み付いている。
これは行政書士という仕事にも通じているのかもしれない。
相続も、事故も、許認可も、人生で毎日起こるものではない。だから普段は考えない。
しかし、必要になった時には突然やって来る。

そんな時に、
「この人なら任せても大丈夫だ」
と思える人がいることは大きい。
安田さんが行政書士仲間や相続関係者から仕事を紹介される理由も、結局そこなのだと思う。
誠実であること。分からないことを分かったふりをしないこと。確認すること。調べること。
そして、最後まできちんとやること。
仕事を頼む側からすれば、最もありがたい資質である。
そんな安田さんに「善人とはどんな人ですか」と聞いた。
返ってきた答えは、意外にも「よく喋る人」ではなかった。
「人の話をちゃんと聞ける人ですね」
本人は、自分についてこう分析する。
「僕、面白くなってくると自分の話ばっかりしちゃうんですよ」
確かにこのインタビューでも、何度か質問の途中から話が広がった。
だが、それも悪くない。むしろ、人が好きな証拠だ。
自分が話すからこそ、話を聞いてくれる人のありがたさが分かる。
誠実で、嘘をつかず、お互いに信頼できる。安心して仕事を任せられる。
一緒にいて心地いい。
安田さんにとっての「善人」とは、そんな人なのだ。
そして話を聞き終えた頃、私は思った。
それ、かなり安田さん自身にも当てはまっているんじゃないですか、と。
本人だけが気付いていないのかもしれない。
インタビュー後記
今思えば、最初の挨拶を「まじめまして」と聞き間違えたんじゃないだろうか。
行政書士で元大手損害保険会社。法律の記事を書く時は、弁護士や同業者に確認してもらい、何度も書き直す。
もう「真面目」という文字がスーツを着て歩いてきたような人である。
ところが1時間話してみると、
ゲームセンターに親に隠れて行っていた。学生時代はふざけていた。欲しい物はすぐ買う。飲み会は断らない。
家計を自分で管理すると生活費がなくなる。
危ない危ない。危うく見た目と名刺だけで判断するところだった。
ただ、安田さんの話を聞きながら、一つ感じたことがある。
この人は、人生の節目節目で「予定外」を受け入れてきた人なのだ。
行ったこともなかった岐阜へ配属され、そこで妻と出会った。
実家の寿司屋を継ぐかもしれなかった少年は保険会社へ入り、33年間働いた。
コロナで飲み会がなくなったから勉強を始め、行政書士になった。
文章が得意でもないのに、今度は本を書こうとしている。
人生計画を完璧に描いて、その通り歩いてきた人ではない。
むしろ、目の前に現れた縁や出来事を、一つずつ自分の人生に取り込んできた人なのだと思う。
多くの57歳は「これまで」を語り始める年齢で、安田さんは「これから何をやろうか」と話している。
それがものすごく格好いい。
5年後の自分に伝えたいことを聞くと、
「健康第一ですね」
と言った。そこだけ急に57歳らしくなった笑。でも身体は大事にしてほしい。
ただし一つ問題がある。飲み会に誘われると断れないらしい。
行政書士として法律上のリスクは説明できても、自分の飲み会リスクだけは回避できないようだ。
その管理については、引き続き奥様にお願いした方がよさそうである。
でもきっと、そうやって人に会い、人の話を聞き、また新しい縁が生まれていく。
5年前には10%も想像できなかった今があるのなら、5年後の安田仁は、今の本人ですらまだ知らない。
次は何を始めているのだろう。行政書士としてさらに仕事を広げているのか。一冊の本を世に出しているのか。
それとも、まったく別の何かを始めているのか。
一つだけ言えるのは、
この人の人生は、まだ全然「まとめ」に入っていない。むしろ第二楽章が始まったばかりだ。
マンドリンを弾いてきた安田さんらしく、これからどんな旋律を奏でるのか。
ちょっと楽しみに追いかけてみたい人である。
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山元 直樹
2026/10/04(日)