善人承継 リレーインタビュー
人を育て、街を育てる
株式会社かつた接骨院 代表取締役・院長 柔道整復師 勝田雅文 (かつたまさふみ) さん インタビュー


氏名

勝田 雅文(かつた まさふみ)

生年月日

1973年10月12日

出身

埼玉県川口市

家族構成

妻、子ども2人

経歴

日本体育大学卒業後、スポーツインストラクターとして勤務。28歳で再び学び直し、国家資格である柔道整復師の資格を取得後、戸塚で接骨院を開業。

現在は戸塚周辺を中心に5店舗を展開。専門学校生の実習受け入れや若手育成にも長年取り組んでいる。

地域活動

戸塚商店会の会長として活動。

地域イベントやスポーツ団体との連携を通じ、「オール戸塚」の街づくりを進めている。


「言われたことだけやってるの、大っ嫌いなんですよ」

人を育て、商売を育て、街まで育てる

「自分で考えなきゃダメなんですよ」


「言われたことだけやってるの、俺、大っ嫌いなんで」


なかなか鋭い。


けれど不思議なことに、話を聞けば聞くほど嫌な感じがしない…なぜだろう。


たぶん、勝田雅文さんの厳しさは、誰かを見下すためのものではないからだ。


「だったら、こうすればいいじゃん」


その言葉の先にはいつも、人や商売が少しでも良くなる方法がある。


戸塚で接骨院を開業して20年。


現在は5店舗を展開し、若い治療家を育て、専門学校生の実習を受け入れ、さらには商店会の会長として街づくりにも奔走する。


昔は「帰ってくるだけの場所」だった戸塚。


その街で今、勝田さんは誰よりも熱く、人と未来を育てている。


一見すると、ただの辛口経営者に見えるかもしれない。


しかし、話を聞けば聞くほど分かってくる。


勝田さんの言葉の根っこにあるのは、怒りではない。


「もっとできるだろう」という期待だ。


人にも、店にも、街にも。


だから、できていないものを見つけると、つい口を出す。


そして、口を出すだけでは終わらない。自分で動く。そこが、勝田さんの強さである。

「監督兼選手」だった中学3年生

埼玉県川口市で育った勝田さんは、中学2年生のときに家族とともに戸塚へ引っ越してきた。


子どもの頃は、ごく普通の元気な少年だったという。


外で遊び、身体を動かし、友達と過ごす。


ただ、バスケットボールとなると話は少し違う。


埼玉では本格的にバスケに打ち込んでいた勝田少年。ところが転校先のバスケ部には、当時3年生がいなかった。


「1、2年生しかいないんですよ。しかも顧問の先生もバスケが専門じゃない。だから私がずっと教えてました」


中学生にして、監督兼選手である。


自分も練習しながら、後輩たちに技術を教える。

チームをまとめ、練習を考え、試合では自分もコートに立つ。


今でこそ、組織をつくり、人を育て、複数店舗を運営している勝田さんだが、その原点はすでに中学生の頃にあったのかもしれない。


「人に教えることは、もともと好きだったんですよね」


中学3年生の頃には、「体育の先生になる」と決めていた。


そのために高校を選び、日本体育大学へ進学。


早い段階から自分の行き先を決め、そこから逆算して進路を選んでいるあたり、すでに今の勝田さんの片鱗がある。


「日体大に行くにはどうしたらいいか。そのためには、どの高校に行けばいいか。そうやって考えてました」


夢を語る人は多い。しかし、夢に向かって具体的な道筋を考え、必要な場所へ進んでいく人は、そう多くない。


勝田さんは、昔から「なんとなく」では動かなかった。


ただ、大学卒業後に選んだのは、体育教師ではなくスポーツインストラクターの道。


そこで人生の方向を変える出会いがあった。


トレーニングメニューを組む中で接する、怪我をした人や手術後の人たち。


身体の状態を知り、医療について調べていくうちに、少しずつ興味が移っていった。


「インストラクターじゃなくて、こっちでもいいんじゃね?」


当時28歳。すでに結婚し、子どももいた。


もう一度学生になるということは、時間もお金も必要になる。家族がいれば、なおさら簡単な決断ではない。


それでも妻に相談し、もうひとつの道へ進むことを決めた。


安定よりも、自分が「こっちだ」と感じた方向へ。


今の若者を見て「もっとハングリーでもいいんじゃない?」と話す勝田さんだが、自分自身がそれを地で行ってきた人なのだ。

昼休みなし、12時間営業。「だったら覆せばいい」

国家資格の柔道整復師を取得し、勝田さんが戸塚で接骨院を開業したのは約20年前。


当時の接骨院といえば、自宅の一部を使った昔ながらのスタイルがまだ多かった。


小さな看板があり、午前の診療が終われば数時間の昼休み、夕方からまた診療を始める。そんな形が一般的だった。


勝田さんは、そこを真っ向から変えた。


目立つテナントに店を構え、昼休みなしの12時間営業を始めたのである。


「私は覆した形ですね」


さらっと言う。


しかし、当時としてはかなり思い切った挑戦だったはずだ。


接骨院は、ただ技術があれば患者さんが来るわけではない。


どこにあるのか。

何時まで開いているのか。

仕事帰りに寄れるのか。

買い物のついでに立ち寄れるのか。

患者さんの生活にどう入り込めるのか。


そうしたことを考え、場所と営業時間を決める必要がある。


勝田さんは、接骨院を「治療を受ける場所」だけではなく、「生活の中で利用しやすい場所」に変えていった。


その後も戸塚周辺を中心に店舗を展開。


近いエリアに店舗を集め、人材の行き来もしやすくした。


店舗同士が遠く離れていなければ、スタッフの応援や異動もしやすい。


急に人が足りなくなったときも、通勤の負担が少ない。


「普通だったら、遠い店舗に異動してくれって言ったら、辞めますってなるじゃないですか。でも、うちは自転車で行ける距離だったりするので」


経営者にとっては人材配置のしやすさ、スタッフにとっては働き続けやすさ、そして患者さんにとっては、どの店舗でもサービスを受けやすい安心感。


一つの考え方が、いくつものメリットにつながっている。


現在は5店舗。


鍼、美容、骨盤矯正、そしてこれからはヘッドスパなど、スタッフが持つ技術や経験も積極的に取り入れる。


「その人に能力があるなら、どんどんやってもらえばいいんですよ」


自分のやり方だけを押しつけるのではない。

スタッフが持ってきた技術が患者さんに喜ばれるなら、学びたい人に共有して、店舗へ広げればいい。


そこには、スタッフを単なる労働力として見るのではなく、一人ひとりの経験や得意分野を資産として捉える視点がある。


一見すると豪快だが、実はかなり合理的だ。


そして何より、人の得意をちゃんと商売につなげる人なのである。


かつた接骨院を「教育の拠点」に

現在、勝田さんの店舗の中でも中心的な役割を担っているのが、「かつた接骨院(本院)」だ。


新卒スタッフや新しく入ったスタッフは、院長である勝田さんのそばで現場を学ぶ。


患者さんへの対応。

施術の技術。

予約の取り方。

スタッフ同士の連携。

店舗運営の考え方。


現場でしか学べないことを、日々の仕事を通して身につけていく。


一方、アピタ戸塚店内にある「ひかりの整骨院」は、すでに患者さんとの関係が築かれていた本院から、7割の患者さんとスタッフを移して立ち上げた。


買い物のついでに立ち寄れる。

雨の日でも濡れずに来られる。

治療を受ければ駐車場のサービスも受けられる。

車で来る患者さんにとっては、非常に使いやすい場所である。


営業時間は午前10時から午後8時30分まで。

仕事帰りの人も利用できる。


それぞれの店舗の役割を考えながら、人材を配置し、地域のニーズに合わせて店をつくってきた。


勢いだけで店舗を増やすのではなく、育てられる人材、支えられる体制、そして店舗ごとの役割を見ながら進める。


ここにも、勝田さんの現実的な経営感覚が表れている。

「自分が独立するつもりで仕事しろ」


勝田さんが話している中で、何度も登場する言葉がある。


「自分が独立するつもりで仕事しろ」

「自分で考えろ」


実習生や若いスタッフにも、こう伝えている。


「就職したら、自分がこの仕事で独立するつもりで取り組めって言うんです」


与えられたA、B、Cの仕事だけをこなしていても、その先は見えない。


AとBとCを組み合わせれば、どんなサービスになるのか。


どんなお客様に喜ばれるのか。

院長は何を考え人を配置し、そして数字を見ているのか。技術だけでなく、経営を見る目まで持ってほしい。


だから院長のそばにいて、現場を見ることを勧める。


仕事をしながら、経営者の判断を横で見る。


患者さんへの声かけひとつにも、店舗の売上にも、人材育成にも、すべて理由がある。


それを「自分には関係ない」と切り離してしまえば、仕事の幅は広がらない。


「今日ここにいる間にも、いろんなことが起きてるでしょ。それを自分の仕事じゃないから知らない、ではダメなんですよ」


厳しい。


しかし、言っていることは分かる。


自分の担当だけを終わらせればいいという働き方では、いつまで経っても全体は見えない。


一方で、勝田さんは全員に同じ成長を強要するわけでもない。


「自分の仕事しかやらない人もいる。それを無理やり引き上げようとすると、本人もストレスだし、辞めちゃう。だったら、お前はここでいいよって」


意外だった。もっと「全員ついてこい」というタイプかと思った。


しかし勝田さんは、人によって求めるものが違うことも分かっている。


伸びたい人にはチャンスを与える、新しい技術を学びたい人には勉強会を用意する、独立したい人には経営の話もする、今の場所で働き続けたい人には、その選択も認める。


当然、後から入った意欲のある人に長くいる人が抜かれることもある。「それは当たり前です」

その言葉には、冷たさよりも現実を受け入れる潔さがあった。


人はそれぞれ違う。成長の速度も、目指す場所も違う。


だからこそ、本人が望む方向を見極める。


ただし、本人が望んでいないのに、周囲が勝手に「もっと上へ」と引っ張ることはしない。


この距離感が、長く人を働かせる理由なのかもしれない。


実習生を受け入れて15年以上

勝田さんは、15年以上前から専門学校の実習生を受け入れてきた。


実習には指導者資格が必要で、どこの接骨院でもできるわけではない。


学校との関係があり、指導者研修を受け、受け入れ体制を整えているからこそ続けられる。


実習生は、数日間にわたって現場を体験する。


受付、患者さんとの接し方、施術の流れ、スタッフ同士のやり取り。学校では学べない、仕事の空気を知ることができる。


勝田さんにとっても、実習生を受け入れることは人材確保の一環だ。


実際に現場を見てもらい、働く側にも「ここで働きたい」と思ってもらえたら。


「いいねって褒めてあげて、縁があればね、っていう感じで」


冗談めかして話すが、そこには長年の経験がある。


実習生の中には、そのまま内定につながった人もいる。


現在、一番長いスタッフは約17年。

人が採れないと言われる時代に、国家資格者が複数退職しても補充できる。


それは偶然ではなく、長年かけて学校や人との関係を築き、若者を育て続けてきた結果なのだと思う。


勝田さんは、若い人に独立してほしいと考えている。しかし、独立を無理に勧めるわけではない。


「10年やったんだから、もう独立していいんだよ」と伝えても、独立しない人もいる。


今の若者は、安定を求める傾向が強い。


学生へのアンケートでも、独立開業を希望する人は2割ほどだという。


勝田さんからすれば、少し寂しい。


自分で店を持ち、自分で稼ぎ、自分で責任を負う。その大変さも含めて、商売の面白さだと思っているからだ。


ただ、独立しない選択も否定はしない。


「そこそこの給料をちゃんとあげて、働き続けたいなら、それでもいい」


大切なのは、独立するかどうかではない。

自分の仕事を、自分の頭で考えているかどうか。


そこだけは、何度でも問いかける。


コロナで借金。それでも「悪いことだけじゃなかった」


20年の経営が、順風満帆だったわけではない。


最大級の危機は、やはりコロナ禍だった。


患者さんは激減。それでもスタッフの生活は守らなければならない。


「借りまくりましたよ」


国の融資制度を活用し、資金を確保した。金利が低いなら、借りておいて使うかどうかは後で考えればいい。まず会社を守るための現金を確保する。


これも勝田流の経営判断だ。


患者さんがほとんど来ない日は、予約を終えたら帰る、スタッフを休ませる、営業を続けながらも、必要以上に人を出勤させない。


耐えるところは耐え、使える制度は使う。


コロナ禍では、スタッフが感染して休むこともあった。一人が感染すれば、次に二人、三人と続く。


子どもが小さくて家に帰れないスタッフには、店舗に泊まるという選択肢まで出した。


そんなコロナ禍だったが、勝田さんは意外な言葉を口にした。


「コロナで良かったこともいっぱいありますよ」


そのひとつが、戸塚の街の変化だった。


かつて戸塚には、東口と西口の間に見えない壁があったという。


勝田さんが「一緒に祭りをやればいいじゃん」と言っても、「東と西が一緒にできるわけない」と反対された。


ところがコロナで地域の行事が次々となくなる中、感染対策をしながら開催された「とつながり祭り」が空気を変えていく。


誰も動いていないときに、誰かが動く。

その姿を見て、少しずつ人が集まる。


「一緒にやるのも悪くないな」


そんな空気が生まれた。少しずつ人がつながった。


今では「東」「西」というより、**“オール戸塚”**へ。


危機が、人と人の距離を縮めたのである。


帰るだけだった戸塚を、「見習われる街」に

実は勝田さん、中学2年生から戸塚に住んでいるのに、学生時代は地域への愛着がほとんどなかったという。


高校も大学も東京。戸塚は「帰って寝る場所」


「戸塚で飯食おうって感覚もなかったですよ。だったら家帰った方がいいじゃないですか」


身も蓋もない(笑)


部活が終われば、東京で食事を済ませて帰る。

戸塚駅で降りても、寄り道をする発想はなかった。


そんな人が今、商店会の会長を務めている。

人生はわからない。


開業後すぐに商店会へ加入し、前会長から突然


「お前、会長やれ」と言われた。


なぜ勝田さんだったのか。


前会長はこう考えていたという。


代々商売を引き継いできた人だけではなく、ゼロから事業を立ち上げ、店舗を増やし、商売の厳しさを知っている人間が会長をやらなければ、商店会は変わらない。


その白羽の矢が、勝田さんに立った。


現在、会長7年目。

目指すのは、ただイベントが多い商店会ではない。


「横浜市のどの区からも『戸塚を見習え』って言われるくらいまで持っていきたいですね」


現在の加盟店舗をさらに増やしたい。


そのためには、


「入ってください」ではなく、「入った方が得だ」と思える商店会にする。


ここでも発想は同じだ。


強制ではなく、価値をつくる。


商店会に入れば、人とつながれる。

イベントに参加できる。

情報が入る。

新しい商売のきっかけが生まれる。


そう思ってもらえる組織にする。


若い商売人を役員に招き、新しいアイデアを取り入れる。


スポーツチームともつながり、イベントを通して人と人をつなぐ。


横浜FCや女子ラグビーなど、地域や商店会を通じたつながりも広がっている。


昔は何の興味もなかった街で、いま勝田さんはその未来を誰よりも真剣に考えている。


インタビュー後記

迷いがない人って、話していて気持ちいい。


勝田さんのお話を聞いていて印象的だったのは、とにかく答えが早いこと。


「こうした方がいい」

「だったら、こうすればいい」


迷いがない。


でもそれは、勢いだけで話しているのではなく、20年間、経営者として人や数字、現場を見続けてきた経験があるからこその言葉なんだと思います。


若い人を育てることも、接骨院を続けることも、商店会を盛り上げることも、勝田さんの中では全部つながっている。


昔は「帰ってくるだけの場所」だった戸塚で、今では街の未来を考える立場になっているのも、なんだか面白いですよね。


そして私自身、接骨院といえば「身体を痛めた時に行く場所」というイメージしかありませんでした。


でも今回のお話で、美容や鍼などの新しいニーズ、人材育成、地域とのつながりまで、その役割は思っていた以上に広いことを知りました。


取材を終えて感じたのは、


勝田さんは「今あるものを、もう一歩良くする方法」をいつも考えている人だということ。


だから人も、お店も、街も、少しずつ前に進んでいくのかもしれません。


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かつた接骨院

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【かつたメディカルグループ】

かつた接骨院  (戸塚区上倉田町)

みんなの整骨院(戸塚区原宿)

えがおの整骨院(泉区中田東)

きぼうの整骨院(旭区鶴ケ峰)

ひかりの整骨院(戸塚区上倉田町)


※事前に予約する事をおすすめします。

ご予約の際は『区民ニュース』の記事を読みました、とお伝え下さい。


ご紹介者さま: 戸塚酒場 憲ーKENー 岩田憲一朗 さん