善人承継 リレーインタビュー
静かな男は、地域の未来を耕していた――「良い人」で終わらず、良いとは何かを問い続ける人・三宅康太
株式会社にまつわるエトセトラ 代表取締役 三宅 康太 (みやけ こうた) さん インタビュー

人生に必要なのは「愛」と「健康」

三宅康太さんは、淡々と話す。

声を荒らげず、自分を大きく見せることもない。質問には少し考え、静かに言葉を返す。

ところが、インタビューは驚くほど楽しかった。

落ち着いた語り口の中から、証券会社を5か月で辞めた話、奥さんとの喧嘩、貯金が苦手な話まで、予想外の話が次々と出てくる。

見た目は凪。中身はずっと祭りである。


「康太」という名前には、父の思いが込められている。

兄は「健太」、姉は「愛子」。父は、人生にテーマがあるとすれば「愛と健康」だと考え、その二つを子どもたちの名前に託した。

その歩みは、父が名前に込めたテーマを、そのまま生きているように見える。

人の暮らしと地域の健康を考え、次の世代が生きる場所へ愛情を注いでいる。


三宅さんは香川県で生まれ、4歳になる頃に岡山へ移った。

言葉のルーツは香川弁。岡山へ来た当初は、方言の強さに驚き、「大人は怖い」と感じたという。

もともと臆病なところもあったのかもしれない。それでも、外ではよく遊んだ。

小学1年生の終わり頃からサッカーを始め、中学3年生まで続けた。カード、自転車、ベイブレード。

その時々で目の前にあるものへ夢中になり、その中心にはいつもサッカーがあった。

両親は塾の仕事をしていた。本人には「勉強した記憶があまりない」らしいが、成績は悪くなかった。

世の中には、時々こういう少し腹立たしい人がいる笑

ただ、三宅少年が本当に早熟だったのは、成績ではなく、社会への視線だった。


小学校高学年の頃、『世界がもし100人の村だったら』を見て、初めて世界の貧困を知った。

日本では見たことのない暮らしが、世界のどこかでは日常になっている。


「自分にできることはないんだろうか」


その問いが残った。



三宅康太(みやけ・こうた)さん

岡山県美作市在住の33歳。

妻と、3歳の長男、1歳半の長女との4人暮らし。

香川県生まれ、岡山市育ち。大学進学で兵庫県へ渡り、新卒で証券会社に入社。

5か月後に退職し、岡山県美作市へ移住。

現在は株式会社にまつわるエトセトラ代表取締役。大芦高原キャンプ場代表。

棚田再生、キャンプ場運営、農村ツアー、高校や助産院の存続支援など、地域に必要な仕事を幅広く手がけている。

骨折で閉じた世界を、ダンスが少し広げた

三宅さんの人生で、今も悔しさが残っている出来事がある。

中学3年生。最後の大会を目前にした練習中、足の付け根にある細い骨を折った。

歩くことはできる。日常生活も送れる。だが、ボールだけは蹴れない。

生活はできるのに、自分が最もやりたいことだけができない。その状態は、想像以上に苦しい。

当時の三宅さんにとって、中学生活のほとんどはサッカーだった。世界は広いと言われても、その世界の中心が突然消えたのだから、すぐに前を向けるはずがない。

しかも、きちんと病院へ通わなかったため、今でもボールを蹴ると痛みが残るという。


「ちゃんと治せばよかった」


人生には、こういう後悔が長く残る。

あの時もう少し自分を大事にしていれば、という痛みが、何年たっても消えない。

高校ではサッカーを続けず、ダンス部へ入った。閉じたと思っていた世界の横に、別の入口があった。

今の自分が、当時の自分へ声をかけるなら何と言うか。

三宅さんは少し考えた後、「声をかけようがない」と答えた。

当時は大人の話など聞きたくなかった。誰にもこの辛さは分からないと思っていた。

だから、言葉で励ますのではなく、寄り添い続ける。そして、サッカー以外の世界を見せてやりたいという。


「声をかけるというより、拉致するぐらい強引に


静かな人の口から突然「拉致」という言葉が出た。やはりこの人、話せば話すほど面白い。

サッカー少年団には、よく怒鳴る苦手なコーチがいた。

そのコーチが年会誌の座右の銘に、冗談で「自分に優しく、人に厳しく」と書いていた。

三宅少年は思った。


「絶対に、こういう大人にはならないようにしよう」


小学2年生で反面教師を発見した。

人生の学びは、尊敬する人からだけ得るものではない。

苦手な人も、立派な教材になる。授業料は無料だが、少しうるさい。


証券会社を5か月で辞め、棚田へ飛び込んだ

大学時代、三宅さんは「人が幸せに暮らせる社会をつくるには、どんな仕事を選ぶべきか」と考えた。

資本主義の社会では、お金が暮らしを支えている。個人の消費や資産形成を支えれば、豊かな人を増やせるのではないか。

そう考え、保険、銀行、証券を見た中で、当時まだ一般に広がっていなかった資産運用の可能性に魅力を感じ、SMBCフレンド証券へ入社した。

配属先の人たちは良い人ばかりで、仕事にも価値はあった。だが現実の中心は、金融教育より、資産を持つ人の資産をさらに増やすことだった。


「これを何十年続けた時、自分は納得できるだろうか」


そんな違和感を抱えていた頃、イギリスのEU離脱をめぐるニュースで日経平均株価が大きく下がった。

それまで普通に話していた顧客から、「今日はあなたと話したくない」と言われた。

その瞬間、三宅さんは、お金でつながる関係の脆さを感じた。

お金は必要だ。だが、人の幸せを増やす仕事をするなら、お金だけを入口にしてよいのか。

答えを探す中で、「地域おこし協力隊」という制度を知った。

調べると、岡山県美作市が全国的にも活発に取り組んでいると分かった。地元にも近い。木曜日に知り、金曜日に休みを取り、土日に現地へ向かった。

そこで見たのが、荒れた棚田と、再生した棚田だった。

草に覆われた土地の向かい側には、美しい田んぼが広がっている。

草を刈り、燃やし、それを何年も繰り返す。派手な魔法はない。誰かが手を動かし続けた結果、再び米を作れる場所になる。


「こうやって、地に足をつけて暮らしている人がいるんだ」


完成していないことも魅力だった。まだやることがある。自分が入る余白がある。

幸せとは何かを考えながら都会でモヤモヤしているくらいなら、ここへ飛び込み、お金以外の豊かさを探した方がいい。

そう決め、その週明けには上司へ退職の意思を伝えた。

入社から5か月だった。


慎重そうに見えて、決断は速い。静かに話す人が、静かに人生をひっくり返す。

三宅康太という人の面白さは、ここにある。


140人の集落から、市全体の未来を動かす

美作市へ移住して10年。

三宅さんが暮らすのは、人口およそ140人の集落である。

規模が小さいからこそ、暮らしに必要なものが目の前にある。そして、自分たちの手で動かせる。

現在の活動は、驚くほど幅広い。


棚田を再生し、耕作放棄地を再び使える土地へ戻す。

集落の頂上にあるキャンプ場を運営する。

集落全体を使った農村ツアーを企画する。

空き家や古民家を管理し、宿として活用する。

キャンプ場でアウトドアウェディングを行い、キャンプの技術を防災研修へ生かす。

さらに、定員割れが続く市内唯一の県立高校を民間から支える団体を立ち上げ、授業づくりや新入生募集にも関わる。

娘が生まれた助産院の経営を持続可能にするプロジェクトにも取り組んでいる。


最初は集落から始まった活動が、今では美作市全体へ広がっている。

一見すると、仕事が散らばっているように見える。

だが、軸は一本だ。


「子どもたちが15歳になった時、この地域で暮らすことを、自分から選びたいと思える場所にする」


三宅さんには、3歳の長男と1歳半の長女がいる。

小さな集落だから、できない。それを言い訳にはしたくない。

むしろ小さな集落だからこそ、子どもたちの選択肢が無限にあるような地域にしたい。

その思いが、棚田、高校、助産院、観光、防災を一本につないでいる。

周囲からは「やり始めたら最後までやり遂げる人」と言われる。

最近では、「地道を這ってでも成し遂げる」と評された。

本人も「確かに這いつくばっている」と笑う。

行政への思いも、批判だけでは終わらない。良い思いを持つ職員は多い。

一方、窓口で冷たく対応されれば、市民はそれだけで町を嫌いになることもある。

限界集落では、道や土地が崩れる問題も起こる。住民だけでは限界がある。行政の知恵やつながりが加われば、解決できることは多い。

行政を敵ではなく、可能性として見ている。


良い人とは、変わり続けられる人

三宅さんが大切にしている言葉は、「上善如水」。

最も善い生き方は、水のようなものだという確か老子の言葉だったはず。

水は、自分を誇示しない。低い方へ流れ、周囲を潤し、形を変えながら進んでいく。

三宅さんは、常に「良いとは何か」「豊かさとは何か」を問いながら生きている。

とはいえ、いつも水のように穏やかでいられるわけではない。奥さんとは喧嘩もする。

体調が悪くて黙っていたら、「なんでそんなに喋らないの」と言われる。

他人とはほとんど喧嘩にならないが、妻だけは別らしい。

あるある話で微笑ましい。喧嘩するほどなんちゃらというやつだ。

家庭とは、人格者の最終試験会場であることが三宅家でも証明された笑


そして、元証券マンだからといって、資産形成が完璧なわけでもない。

貯金の目的があれば貯められるが、使えるお金があれば、友人との楽しい時間や自己投資、仕事道具に使いたい。車も好きだ。


「今を充実させるために、今使えるお金は使いたい」


金融の知識と、自分の家計管理は別物である。

医者の不養生、紺屋の白袴、証券マンの貯金不足。人間味があって、実にいい。


新社会人へ伝えたいことを尋ねると、三宅さんは「たくさん悩んでいい」と答えた。

大人になると、悩んではいけないような気がする。すぐに答えを出し、迷わず進むことが正しいように見える。

しかし、三宅さん自身、この10年を何度も悩みながら進んできた。

悩んだからこそ、他人の気持ちが分かる。悩んだ経験が、良い仕事につながる。

そして、三宅さんが考える「善人」とは、単に優しい人ではない。


「良いとは何か、善人とは何かを問い続け、柔軟に変わっていける人」


自分の正義を固定すれば、善意が悪へ変わることもある。だから、問い続ける。変わり続ける。

三宅康太さんは、完成された善人ではない。むしろ、自分を完成させない人なのだ。


インタビュー後記

三宅さんは、とにかく落ち着いていた。33歳と聞いた時には、正直驚いた。

私と同じくらいの貫禄がある。ちなみに私は45歳である。年齢差13歳。貫禄は互角。肌の張りは完敗である。

淡々と話すので、最初は静かなインタビューになると思っていた。

ところが、証券会社を5か月で辞めて移住し、棚田を再生し、キャンプ場を経営し、高校を守り、助産院を立て直そうとしている。奥さんとは喧嘩をし、貯金は苦手で、昔の自分には「世界を見せるために拉致する」と言う。

情報量が多い。ひきつけるのが上手い。興味しかわかない笑


しかも本人は、それを大仕事として語らない。

「コンビニ行ってくる~」ぐらいの感覚で話す。

おそらく三宅さんにとって、地域を良くすることは特別な活動ではなく、暮らすことそのものなのだろう。


世の中には、大きな声で「地域のため」と言う人がいる。

三宅さんは、大きな声を出さずに、草を刈り、場所をつくり、人をつなぎ、子どもたちの未来を整えている。

地域づくりは、理想だけでは続かない。人手も、お金も、仲間もいる。

三宅さんに必要なのは、拍手だけではない。

一緒に考える人。知恵を貸す人。地域とつながりたい企業。教育、観光、防災、農業、出産、子育てに関心を持つ人。

そして、地面を這っている人を、少しだけ持ち上げてくれる人だ。


善人とは、何でも一人で背負う人ではない。

良い未来のために、誰かと手を組める人でもある。

三宅さんに会ったなら、ぜひ聞いてみてほしい。


「今、何を一緒にやりましょうか」と。


きっと彼は少し考え、いつもの落ち着いた声で答える。

そして、その答えはたぶん、一つではない笑

お問い合わせ

◇株式会社にまつわるエトセトラ

〒701-2614

岡山県美作市上山

HP:https://www.ni-matsuwaru.com/


◇大芦高原キャンプ場

〒701-2614

岡山県美作市上山2350-1

TEL:080-1646-1647

HP:https://oh-ashi-forest.com/


*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: グリーンウッドワーク 鈴木 大吾 さん