今回のゲストは、遺品整理業を営む上東丙唆祥(じょうとう ひさよし)さんです。

高齢者社会を迎え、世の中のニーズに見合った職業だと思いますが、そこにはさまざまな人間ドラマが垣間見えます。

大変興味深いお話をいろいろと伺いました。


Photo:長谷部ナオキチ

便利屋業から、遺品整理業へとシフト

高木優一:上東さんが遺品整理業を始めようと思ったきっかけからお聞きしたいと思います。


上東丙唆祥:この仕事をやり始めてから18年になるのですが、当初はもちろん「遺品整理」などという言葉も、そのようなジャンルも存在しませんでした。「便利屋」とか「なんでも屋」というような括りでしたね。私もそのようなスタンス、つまり何でも受けますよといった感じで仕事を請け負っていました。たとえば、池の鯉を処分してくれとか。


高木優一:へぇ、そうなんですか。便利屋稼業ですね。それこそ、蜂の巣の駆除といった類の依頼があるという話はよく聞きます。


上東丙唆祥:家の中にヘビが出て動かないんだけれどどうにかしてくれとか(笑)。今は便利屋というと、チケットを確保するために並んだり、母子家庭、父子家庭のため、運動会などで写真が撮れないので代わりに撮るなどのサービスもあるみたいですけれど、当時はそこまでの領域までは踏み込んでいませんでしたね。そのうち、家の中のいらない物を捨ててくれという依頼が増えていき、便利屋から不用品回収の方へ徐々にシフトしていったのです。



高木優一:なるほど。そういう流れで事業が進んでいったのですね。


上東丙唆祥:そうなんです。そんな中、余命半年を宣告された友人が亡くなり、彼の遺品を整理したことがきっかけで、この仕事を継続してやるようになったという経緯があります。遺品整理に特化するようになったのは、やはり高齢者社会が色濃くなってきたという時代の趨勢が背景にあります。高齢者が多くなり必然的に相続の問題がクローズアップされてきて、遺品整理という商売が成り立つようになったということです。高木さんの事業ともそのあたりはリンクしますよね。


高木優一:確かに。私の場合も不動産仲介という大枠のところから入って、相続へと専門化していったという経緯です。大きな括りから、特化したある道筋へと突き詰めていくようになり今の姿に至るというのは我々の共通点ですね。


物が捨てられない悲劇

高木優一:遺品整理といっても、実際はどういうことをするのか、知らない方も多いと思いますので、具体的な仕事の内容を紹介していただけますか。


上東丙唆祥:身内が亡くなった場合、人はいなくなってもその人が所有していた物はずっと家・部屋に存在し続けるわけです。単純に言えば、遺品整理とは、遺族に代わってその物たちを吟味し区分けし、片付け、遺品となる物を見つけ引き渡すという一連の作業となります。捨てるだけならばゴミ回収業者に頼めば済むことですが、値打ちのある物を私たちが見定めて「これはこのような価値がありますよ」とアドバイスをすることまでを行います。でも、アドバイスと言ってもそこまでですね。「こうした方がいいですよ」というような強制はしません。基本的には、相手が気持ちを整理し、どうするのかを判断するまで何も言わず待つというスタンスです。


高木優一:これを処分してくれと言われても困る、という場面もあるのではないですか。私の場合、以前、「仏壇もいらないので一緒に持って行ってください」って軽く言われたことがあって、思わず絶句してしまいました。



上東丙唆祥:私の場合、たいがいの物は受け入れるようにしています。ゴミ屋敷の整理も多く経験していますよ。皆さん、テレビなどのメディアでゴミ屋敷の実態を目にすると思うのですけれど、実は本当にゴミ屋敷なのか、物が溢れている物やしきなのか、単に乱雑でだらしない部屋なのか、一緒くたにされているような気がします。お年寄りの場合は、ゴミ屋敷ではなく、物やしきのケースが多いですね。捨てられなくて物が溜まりに溜まってしまっているんです。


高木優一:チラシ一枚捨てられないんですね。通販で買った商品の段ボールが山積みになっていて圧倒されたケースもあります。すべて中身が入っているんですよ。買ったのに使わない。使いもしない物を広告で急かされてつい買ってしまう。挙句の果てに破産。悲劇以外のなにものでもない。


上東丙唆祥:そのような物やしきの悲惨な例はいくらでも目にします。一方でゴミ屋敷というのは、生活の乱れがベースになっています。ラーメンのどんぶりが食べたままになっていたり、弁当の食べ散らかしがそこらへんに置かれたままだとか。


高木優一:なるほど。生活習慣の乱れが次第にゴミ屋敷化していくんですね。私も任意売却の事例でよく目にしますよ。猫の排泄物を処理しないで、その匂いが壁中に浸みこんでいるとか、シャンプーの詰め替え用のパックを買えずに、ポンプ型のシャンプーのボトルが所狭しと並んでいるとか。もう疲弊した生活のありさまを、まざまざと見せられるときがあります。生活のすべての面において無気力になってしまっているのですね。


簡単に「便利が買える」時代

高木優一:上東さんは遺品の整理だけではなく、生前整理もされていますよね。


上東丙唆祥:はい。息子の家族と同居するとか、施設に入るからというので、2LDKの家から狭い6畳一間の部屋に住まなければならないといった場合、荷物をぐんと減らさなければなりません。そのときに、間違った物を持ってきてしまう、必要な物を処分してしまうと、その人の精神面に多くの影響が出てきてしまいます。他者が勝手に持っていく物を選んでしまうと、その後脱力感、無気力感に襲われてしまいます。施設に入ってから、あるいは病院に入院してからすぐに亡くなるお年寄りが多いのは、心の環境が変わってしまうからなんですね。ですから、本人に確認しながら選別していくわけなのですが、そういう点で見れば、我々の仕事は非常に非効率ですね。引越屋みたいにさっさと段ボールに物を詰めて、運んで「はい終わり」というわけにはいきません。高木さんの仕事も同じですよね


高木優一:おっしゃる通り。めちゃくちゃ非効率でさらにタチが悪いですよ。これだけ一生懸命動いて、結局銀行が抵当権を消さないで終わり。全てが徒労。そんなことはしょっちゅうです。


上東丙唆祥:依頼されて部屋や物の整理をしていると、その持ち主の心の状態が見えてきます。社会に振り回されず自分をきちんと見つめることができている人は、部屋もきれいだし実に質素です。また、自分で整理をせずに私たちのような外の人間に頼んでいる人は、結局、便利を買っているのです。実は便利の先には、もっともっと便利になりたいという欲求があります。便利さを買うために、時間あるいは命と言っていのかもしれませんが、それを売って対価としてお金をもらい次々と便利さを買っているのです。逆に、たとえば、お坊さんは決して便利さなど買いません。掃除とか厳しい修行だとか、自分の内側に目を向け精進して、不便さが達成感を生むということを実践することで、徳が積まれていくのです。そう考えると、便利さを売り物にしている我々のような商売が本来はあってはならない、とも思えてきます。


高木優一:なるほど。知恵を使い不便さを享受することで、人間は何かを得られるということですね、本日はありがとうございました。