【徹底解説!】現存する唯一の琉球国王の王冠「玉冠」

王冠は琉球国王の王権を象徴する冠で、明朝から琉球国王に下賜されたことで琉球での使用が始まります

中国側の正式名称は皮弁冠(ひべんかん)と言いますが、

琉球では「玉御冠」(タマンチャーブイ※「たまみかうぶり」から音が変化)とも呼ばれていました

そのため、当館での資料名は「玉冠」と呼んでいます

さて、明の時代はこの冠を使うことができたのは皇帝と皇太子、そして郡王と呼ばれるランクの人々に限られており、
さらに地位によって冠の金筋の条数や玉の色・数も厳密に分けられていました
明朝と外交関係(冊封・進貢体制)を結んだ際に琉球国王は「郡王クラス」と位置付けられため、
当初下賜された玉冠は現存するものと異なり、9筋の金筋で左右2筋を除く7筋に飾り玉を配したものが下賜されました

その後、17世紀初頭から数十年かけて中国の支配者が明から北方の女真族が興した清朝に移ります(「明清交替」)

琉球は新たに清朝と外交関係を構築しましたが、清は琉球に自らの文化である辮髪や女真族の服装を強制せず明代の衣裳をそのまま使い続けることを容認しました

そのため、琉球では1879年に王国が滅亡するまで「玉冠」が王冠として使われ続けました。

玉冠の補修は琉球国内で行われましたが、1754年の尚穆王(しょうぼくおう)の時代に大きな変更が加えられます
それは、金筋をこれまで9筋から12筋に増やし、すべての筋に飾り玉を飾るというものでした

その理由はわかっていませんが、現存する玉冠の型はこの時に現れたと考えられています

飾り玉は金・銀・水晶・珊瑚・琥珀・瑪瑙・軟玉の7種類で、1筋あたり24個ずつ、合計288個使われています。なんと玉の種類と数はかつての明の皇帝を超えるものに大きく変化しました

ちなみに尚穆王は1755年の自らの冊封(王位に就任することを中国皇帝から認められる外交儀礼)の際には新たな玉冠は使用せず、翌1756年から使用し始めたことが記録から確認できます

【補足】超絶技法の数々

玉冠は琉球王国時代の技術の粋を集めてつくられています
たとえば、金簪(かんざし)の頭には王権を象徴する龍が2匹、向かい合わせで彫られていますが、
この龍は、琉球の金工品の中ではもっとも精密な彫金の技術が用いられているといわれています

それだけではありません
玉冠は高さ18.4cm 長径21.8cm 短径14.6cmというサイズで、
見た目も重厚でありながら、なんと重さは605gしかありません(500mlのペットボトルとあまり変わらない重さ!)

見た目の重厚さは維持しつつも見えないところで徹底的に軽量化を図る努力が各所に見られます
冠の下地は和紙で作った骨格を藤の六ツ目編みで覆ったもので、そのうえに黒い縮緬を張り、さらに金筋・飾り玉が取り付けられる構造になっています
また、飾り金具や金・銀の玉も中空にし、金簪もキャップ式にして木製の軸棒と繋げるなどの工夫もされています

玉冠はまさに琉球の工芸の技術の高さを体現した資料ともいえます

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316 いいね! ('25/01/16 14:01 時点)