善人承継 リレーインタビュー
妄想は、未来の設計図だった。―「困った」を「面白い」に変え続ける、亀井愛子という生き方―
喜入子育てコミュニティ KADAN 代表 亀井 愛子 (かめい あいこ) さん インタビュー

人見知りの少女は、舞台の上で本当の自分と出会った。


「昔は、人見知りだったんですよ。」


今、地域を飛び回り、人を巻き込み、全国へ活動を広げようとしている亀井愛子さんから、その言葉が出てきた時少し意外だった。

来客があっても自分から挨拶へ行けない。

母からは「おっとりしているね」「マイペースだね」と言われ続けた少女。

前へ出るより、一歩後ろから周りを見ているような子どもだったという。

そんな彼女の人生を変えたのは、中学校の文化祭だった。


劇の主役。

自ら立候補したわけではない。

じゃんけんの結果、たまたま残った。


「スポットライトを浴びるって、こんなに気持ちいいんだ。」


その瞬間、自分でも知らなかった自分に出会った。

人前に立つことは苦手だと思っていた。

違った。

苦手だったのではない。

まだ、自分の可能性を知らなかっただけだった。


高校は音楽科へ進学。

声楽を学び、吹奏楽やマーチングに夢中になった。

舞台に立つ、演奏する、歌う。

人前で表現する喜びを知るたびに、幼い頃の引っ込み思案な少女は少しずつ姿を消していく。


「音楽の先生になりたい。」


そんな夢も自然と決まっていた。

ただ、その道は決して平坦ではなかった。


氏  名:亀井 愛子(かめい あいこ)

拠  点:鹿児島県鹿児島市喜入地区

家  族:住職の夫、娘二人

活  動:寺院運営のサポート(坊守)、喜入子育てコミュニティ「KADAN」代表、子ども食堂・コミュニティハウス運営、草刈りツーリズム発起人

座右の銘

「明日ありと思う心の仇桜  夜半に嵐の吹かぬものかは」

大切にしていること

「縁とタイミング」

「やりたいと思ったら、今やる。」

夢に届かなかった日が、人生を一番遠くまで運んでくれた。

国立大学の音楽科を目指した。

誰よりも練習したが、音楽科の高校は想像以上に厳しかった。

ピアノ、声楽、実技。

一日何時間も続く練習に勉強との両立。

「好き」という気持ちだけでは乗り越えられない世界だった。

結果は、不合格。

夢は叶わなかった。

多くの人なら、その出来事を「挫折」と呼ぶのかもしれない。

だが、亀井さんは違った。


「そういう人生だったんだな。」


その一言で前を向いた。

浪人してまで夢を追う選択もしなかった。

諦めたのではない。切り替えたのだ。

短期大学へ進学し、幼稚園教諭になる。そこには、子どもたちがいた。

考えてみれば、自分が本当にやりたかったことは「学校の先生」になることではない。

子どもたちと関わることだった。

本質は変わっていなかった。

その幼稚園が、お寺の幼稚園だった。

そして、そのご縁が、人生をもう一度大きく動かす。


住職となる男性と出会い、結婚。

宮崎県都城市から、鹿児島市喜入へ。

人生最大の引っ越しだった。

後から振り返れば、音大に受かっていたら、今の人生はなかった。

だから今は笑って言える。


「あれで良かったんです。」


人生には、あとになって初めて意味が分かる出来事がある。

亀井さんにとって、あの日の不合格は、まさにその一つだった。


知らない土地で知った、「孤独」という子育て

結婚して鹿児島へ来たが知り合いはいない。

親戚も、友達も、頼れる人もいない。

それでも毎日は続く。

お寺へ嫁ぎ、坊守としての仕事を覚えながら、子育ても始まった。

しかも、嫁いで間もなく義父である住職が病に倒れ、この世を去る。

夫は三十代半ばという若さで住職となった。

自分も寺を支えていかなければならない。

そう覚悟した亀井さんは、僧侶の資格を取るためにお腹に六か月の命を宿したまま京都へ向かった。

当然周囲は止める。京都の受け入れ先からも、「その体で来るのですか」と心配された。

十日間の缶詰修行、正座、読経、厳しい規律。

テレビもない、携帯も使えない、外の世界とは遮断された生活。

それでも彼女は行った。


「今しかない。」


その思いだけだった。

子供が生まれてからでは行けない。

だから、今。

この決断力は、この先の人生でも何度も彼女を支えることになる。

そして修行を終え、再び喜入で子育てが始まった。しかし、そこにはもう一つの壁が待っていた。

孤独だった。


子どもも家族もいる。

でも、自分には友達や相談相手がいない。子育ての悩みを話せる相手がいなかったのだ。

それが、移住してきた母親の現実だった。

多くの人が我慢し、「仕方ない」と飲み込むだろう。

だが、亀井愛子は違った。


「ないなら、自分で作ろう。」


その一歩が、やがて地域全体を巻き込む大きな物語の始まりになることを、この時の彼女はまだ知らない。


地域を変え始めたはじめの一歩

子育ての孤独を知ったからこそ、亀井さんは待つことを選ばなかった。

地域の子育てサークルへ足を運び、少しずつ人とのつながりを増やしていく。

そしてある日、ふと思う。


「お寺でもできることがあるんじゃないかな。」


お寺は、お葬式や法事の時だけ人が集まる場所ではない。

もっと日常の中で、人が安心して集まり、笑い合える場所になれるのではないか。

その思いから始めたのが、子育てサロンだった。

幼稚園にも保育園にも通う前の親子が集まり、他愛もない話をする。


「昨日は夜泣きで寝られなかった。」

「離乳食を食べてくれない。」


そんな何気ない会話が、孤独だった母親たちの心を少しずつ軽くしていく。

活動はボランティアだった。

時間も労力もかかる。

それでも続けた。

なぜなら、それはかつての自分が欲しかった場所だったからだ。

やがて娘さんが成長すると、子育ての悩みも変わっていく。

友達関係、PTA、進学、塾。

小さな子どもの頃とは違う悩みが次々と生まれてくる。

その時、亀井さんはもう一度考えた。


「今の私にできることは何だろう。」


答えは、新しいコミュニティだった。

喜入子育てコミュニティ「KADAN」。

名前には、「人が集まり、花が咲くようにつながってほしい」という願いが込められている。

活動はイベントだけでは終わらなかった。

ブログで地域情報を発信し、子連れで行ける店や遊び場を紹介する。

まだSNSが一般的ではない時代。

喜入のローカルな子育て情報は、どこにも載っていなかった。

「知らないから困る。」その経験が、そのまま活動になった。

さらに子ども食堂。

空き家を活用したコミュニティハウス。

コロナ禍ではお弁当配布へ切り替え、必要な家庭へ支援を届け続けた。

振り返ると、亀井さんは一度も「地域を変えよう」とは言っていない。

ただ、自分が困ったことを一つずつ解決してきただけだった。


ところが、その解決策は、いつも誰かの役にも立っていた。


草を刈っているのではない。人と人をつないでいるのだ。

ある日、近所の耕作放棄地の持ち主から相談を受けた。


「草が伸び放題で困っている。」


一方で、お母さんたちはこう話していた。


「子どもが思い切り遊べる場所がない。」


普通なら、別々の悩みとして終わる話だった。

しかし亀井さんの頭の中では、二つの点が一本の線でつながる。


「ならば遊べる農園を作ればいい。」


なんと耕作放棄地が遊び場になった。

けれど、また新たな課題が生まれる。草はどんどん伸びるから、毎月の草刈りの必要があった。

続けるほど負担は増え、参加する人も固定されていった。


「これを、もっと楽しくできないかな。」


またしても発想が変わる。

草刈りを目的にするのではなく、人との交流を目的にしたらどうだろう。

草を刈って汗を流して、終わったら、お茶を飲みながら笑い、地域の歴史を聞いてその土地の魅力を知る。


「大人の遠足みたいですよ。」


その一言から生まれたのが、「草刈りツーリズム」だった。

名前だけ聞けば少し不思議だ。けれど中身を知ると、その魅力に誰もが納得する。

草刈りは口実。本当の目的は、人と人が出会うこと。

今では関西にも広がり、京都や兵庫にも仲間がいる。

全国紙である農業新聞にも取り上げられ、ラジオ番組からの取材依頼も舞い込む。

行政から相談を受け、表彰も受けた。商標登録も済ませた。

亀井さんの興味と発想は、全国へ広がる可能性を秘めた活動になっていった。

だが、亀井さん自身はどこまでも自然体だ。


「タイミングが来たら。」

「ご縁があったら。」


そう静かに笑う。

その姿を見ていると、成功を追いかけている人というより、「面白そうだからやってみた」が積み重なった結果なのだと分かる。


妄想は、未来の設計図だった。

インタビューの終盤、亀井さんは何気なくこう話した。


「私、妄想したことは実現できる人なんです。」


思わず笑ってしまう表現だった。けれど、その意味を知ると鳥肌が立つ。

頭の中で描けた景色は、必ず形になる。だからまずは思い描くことから始める。

そして、小さく動く。すると、人に出会う。必要な人が現れる。また一歩進む。

この繰り返しだった。

亀井さんを「善人承継」に紹介してくれた野村勇さんと出会ったのも、その一つ。

重機を扱える人。地域を思う人。草刈りを楽しめる人。


「この人だ!」


頭の中の妄想と現実が結びついた瞬間だった。

だから亀井さんは、人との出会いを「偶然」とは考えない。

縁とタイミング。それを心底信じている。

未来の自分への問いには、こう答えた。


「元気で、楽しくしていますか。」


人生の目標は、とてもシンプルだった。

元気で長生き。そして、人間を存分に楽しむこと。

最後に、「善人とは」と尋ねると、少しだけ考えてから答えてくれた。


「自分に嘘をつかない人。」


自分をごまかさず、否定せず、自分の心に正直に生きる。

それが、亀井愛子さんの思う「善人」なのだ。

終始にこやかに、穏やかに語る亀井さんにも、人と同じように悩んだ日がある。

思い描いた道から外れたことも、見知らぬ土地で孤独を感じたことも、周囲がなかなか経験しない苦労もあった。

それでも彼女は、そのたびに「この先、どうなったら楽しいだろう」と未来を妄想した。


そして、ただ笑って待っていたわけではない。

自分から動き、その妄想に人を巻き込み、一人の笑顔を二人に、二人の笑顔を地域へと、じっくり育ててきた。

だから彼女が大切にする「縁とタイミング」も、決して空から降ってきたものではないのだろう。

動いたから出会った。

出会ったからつながった。

つながったから、また新しい未来を妄想できた。

そう考えると、亀井さんの人生に「偶然」なんて言葉は、案外ないのかもしれない。


インタビュー後記

インタビューの前、私は勝手に「草刈りツーリズムを考えた人」というイメージを持っていた。

ところが、お話を伺ううちに、その印象は見事に裏切られた。

この人は、草を刈る人ではない。

「困った」を見つけると、「じゃあ面白くしよう」と考える人だった。


子育てで孤独だった。だから仲間を作った。

情報がなかった。だから発信した。

遊び場がなかった。だから農園を作った。

草刈りが大変だった。だからイベントにした。


普通なら「仕方ない」で終わることを、「やってみよう」に変えてしまう。

しかも、それを肩肘張らずに楽しんでいる。

インタビュー中、何度も「縁とタイミング」という言葉が出てきた。

確かにその通りなのだろう。でも私は、もう一つ大切なものを感じた。

それは「行動」である。


縁は、動いた人のところへやってくる。

タイミングは、準備していた人の前に現れる。

亀井さんは、偶然を待っていた人ではない。

動き続けたからこそ、縁もタイミングも味方につけてきた人だった。

そして、今回一番印象に残った言葉がある。


「妄想したことは実現できる人なんです。」


最初はユーモアだと思った。

私が同じ言葉を発せばきっと病院を紹介される。

でも違った。

妄想とは、この人にとって未来の設計図だったのだ。

頭の中で描けた景色を、一つずつ現実へ変えていく。

その積み重ねが、子どもたちの笑顔になり、地域のつながりになり、全国へ広がる草刈りツーリズムになっていた。


善人とは、自分に嘘をつかない人。

その言葉どおり、亀井さんは「こうなったら面白い」という自分の心に、ずっと正直に生きてきたのだと思う。

もし喜入で、「楽しそうに草刈りをしている大人たち」を見かけたら、少しだけ足を止めてみてほしい。

そこでは草だけではなく、人と人との距離も、きっと気持ちよく刈り取られているはずだから。

お問い合わせ

喜入子育てコミュニティ KADAN

〒892-0203

鹿児島県鹿児島市喜入

TEL:090-8667-9850

HP:https://kiirekadan.wixsite.com/kadan1/about


*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 株式会社猫の手 野村 勇 さん

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