1945年8月9日、長崎から約20㎞離れた諫早やさらに離れた大村の海軍病院を目指し、多くの原爆被災者が列車で運ばれた。
氏原和雄さん(94)は、当時15歳。
学徒動員先の諫早駅で列車の連結手の見習いとして働いていた。
「ちょうど11時2分、ぴかーっとものすごい光が来て、閃光、というか目がまぶしいような光が諫早まで来た」...

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