まちの仕事人インタビュー
己事究明
臨済宗妙心寺派 曹溪寺 副住職 坂本 太樹 (さかもと たいじゅ) さん インタビュー

学習院大学出身。学生時代はアイスホッケー部に所属。

妙心寺にて修行。

5年の修業期間を経て下山。

曹溪寺の副住職として現在に至る。

これまでのご経歴を教えてください。

このお寺で生まれました。私どもは仏飯を食べるという言い方をするのですが、皆様からのお布施などから頂戴したものの中で育てていただきました。


長男ということもありましたが、住職である父(師匠)の姿を見て僧侶としての人生を歩みたいと考えていましたので仏門に入ることに迷いはありませんでした。


大学卒業後すぐに妙心寺というお寺にある妙心僧堂というところで5年程修行を行いました。その頃に住職が急病を患ったという連絡を受けました。修行半ばという状況ではございましたが、下山致しまして副住職として現在に至ります。


住職はその時点で余命半年と宣告をされておりましたが、奇跡的に快復しまして現在でも元気に過ごしております。

修業時代の思い出はありますか?

妙心寺の僧堂では電気も通っていないようなところで共同生活をいたします。裸電球のような明かりや、師家(老師ともいう修行僧を育てる役割を担われている僧侶)の方が扱う冷蔵庫はあるのですが、それ以外のいわゆる電化製品などはないところで修業をするわけです。


料理やお風呂なども全て薪を使って行い、自分たちが出したものを畑の肥料にして野菜を育てます。普段は主食に麦飯をいただきますが、これは托鉢で布施してくださったりご寄進いただくものです。時として虫や臭いがついている売り物にならない古米を分けてくださいとお願いすることもあります。朝食は天井粥(時として極端に薄く、水っぽく、天井が映ることからこの名がある。)に梅干しとたくあんといった儀式的なものになります。もしかすると皆さまがご想像されるいわゆる厳しい修行というイメージに合致している部分もあろうかと思います。


実はこうした修行を続けて参りますと、幸せのハードルが下がっていくんです。白いご飯を食べることができるだけで、横になって眠ることができるだけで心からの喜びを感じるようになります。


そして、些細なことに深く感謝するようになってきます。日々頂く食事も当たり前のものではありません。頂いたものを有難く頂戴する。そうした想いに至る修行の毎日でしたので、当時の生活が今では私の背骨になっています。


警策(警覚策励の略でけいさく、きょうさくと読む):一般の方が受けるものと違い、修行時代は厳しく打たれることもある。

日々のスケジュールについて教えてください。

朝起床し、御本堂でお経を読みます。朝課(ちょうか)といいますが、私どもはこれを非常に大切にしております。


このお寺は私どもの私物ではありません。たまたまこの時代の中で私どもがお預かりしてお護りしているものだという認識です。


本尊である釈迦如来のもと、ここを開いた開山和尚以来、歴代住職が護持してきたこのお寺があってお檀家さんのご先祖様をお守りしている。そうした気持ちを毎日お経にのせて唱える非常に神聖な儀式ですので欠かすことのない重要な日課です。


境内の日天掃除を終えた後は、日によって変わります。お参りがある日もあればご法事の日もある。坐禅会をしに外に出ることもありますし、昨年までは全日本仏教会という組織に勤めておりました。現在は日本宗教連盟という団体でお役をいただいているのでそちらで活動することもあります。


夜は決まったものはございませんが、今は上智大学で勉強させていただいているので課題に取組んだりしております。


ご本尊のお釈迦様

現在ご趣味や好きなことはありますか?

私は結婚をして子どももおります。独身時代はスポーツをしたりしていましたけども、今は空いている時間があれば子どもと過ごすようにしています。

曹溪寺について教えてください。

元和9年(1623年)に創建されました。ちょうど徳川秀忠から家光に家督が譲られた年のようですね。承応2年(1654年)に赤坂から現在の麻布に移転をされました。お寺の裏にある絶江坂や門前の絶江児童遊園はこの寺院を開いた初代住職で名僧と言われた絶江(ぜっこう)に因んでいます。お寺が創建されるときは大名などが自身や親族を弔う名目で財政的支持をいたしますが、曹溪寺は徳川家に仕えた酒井雅楽頭(うたのかみ)忠世の奥様の菩提を弔うために建てられました。


酒井雅楽頭(うたのかみ)忠世の奥様のお墓


宗派としましては臨済宗妙心寺派の禅寺です。先ほど少し触れたのですが、禅の世界というのは元来世襲ではございません。志のあるものが継いでいくというのが本来の姿です。この曹溪寺も今年でちょうど400年目を迎えますが、そのうち世襲だったのは1回だったと記録されています。私が住職を継ぐことになれば400年の歴史の中で2人目ということになります。


赤穂浪士で有名な寺坂信行のお墓

檀家さんや一般の参拝客向けのイベントはありますか?

日本には現在7万5千ほどの寺院がございますが、観光寺院は一握りしかないというのが現状です。曹溪寺も町の中でお檀家さんをお守りしているお寺です。一般向けのイベントのようなものは行っておりません。もちろん参拝に来られる方に関しては気持ちよくお参りしていただければと思います。


お檀家さん向けのものとしては、7月4日に盂蘭盆施餓鬼会(うらぼんせがきえ)というものを行っています。盂蘭盆はいわゆるお盆を意味します。施餓鬼とは、六道輪廻の中で、餓鬼道(飢えと渇きに苦しむ世界)に落ちてしまうような者にさえ施すがごとく、自分を生かしてくれている全ての生きとし生けるものに感謝し供養する功徳を自分たちの祖先にも振り向けることで、先祖供養に巡らせようという法要です。東京のお盆は7月に行われることが多いですが、お盆の時期にあたって習合して営む法要なのでご先祖様の供養の意味合いが強いです。



一方で、年始には大般若会(だいはんにゃえ)というものを行います。今年一年が健康で無事でありますようにという今生きている自分たちに向けて行う行事です。この2つの行事をお檀家さんに向けて行っています。

坂本さんから見た曹溪寺の魅力を教えてください。

曹溪寺はお檀家さんのためにあるお寺です。お檀家さんのご先祖をお守りする、お檀家さん自身のことをしっかり考える、そしてお檀家さんから支えていただいているそんなお寺です。同時にこの地に住まう地域の方々にもお支えいただきながら400年続いてきました。とかく寺院というものは、亡くなった方のため、死後の役割を担う場所というイメージを抱かれがちです。もちろん亡くなった方にご回向し供養することは私どもの大事な本分ですが、本来、仏教は今を生きる方々のためにあるものです。しかし、どうしても今の時代そうした想いが伝わりにくくなっています。その時代背景に合わせたお伝えの仕方を模索していく必要があります。


お寺の前にある公園はお寺の土地ですが、港区に無償でお貸ししています。地域の方が憩いの場として使っていただけたらなと思っています。わたしども宗教法人は学校や病院などとおなじように公益法人等に区分されています。それであれば、地域にある公的な立場として責任を果たさなければならない側面もあると思います。フードパントリーという、生活に困っていらっしゃる方にフードロスも含め食品をご提供したり、何か災害があったときに避難所として使えるように防災減災の取り組みを行っています。そうすると地域の方の目に触れる機会も多くなり、そんなことまでしてくれるのであればお寺がある意味があるよねと思っていただければいいなと思います。


お檀家さんのためにあるという本文をおろそかにすることなく、地域の方にも還元できることをしましょう、ということをある程度はできているお寺なんじゃないかなと思います。


まだまだ出来ていないことも多いと思いますので、お寺も時代に合わせて在り方を変化させていかないといけない。変えてはいけない部分はそのままに、お檀家さんや地域の皆様に受け入れていただけるよう私どもも努力を続けていきます。


インタビュー後記

無宗教の家で育った私からすると、感覚的にお寺がどのように成り立っているのか、お坊さんは普段どんなことをしているのか意外と知らないものだなと感じました。そんな私に副住職である坂本さんは本当に丁寧に様々なことを教えてくださいました。坂本さんはインタビューの中でこう繰り返します。住職はその時代において一時的にお寺をお預かりしている身なのですと。世襲が基本でないからこそ、先達が築き上げてきた地域との絆をしっかりと守り続けていく責任の重さを取材の中で感じました。また今回の記事において文字にしきれない学びも数多くありました。こうした対話を通じて得られる知識・知恵というのも、こんな時代だからこそ大切なんじゃないかなと感じた次第です。次の400年も地域に愛されるお寺であってほしい。坂本副住職が住職になられた際は、変化の激しい世の中にあってどのような在り方を模索していくのだろう。そんなことを思いながらふと手を合わせる自分がいました。

お問い合わせ

臨済宗妙心寺派  曹溪寺

港区南麻布2-9-22