大きく悟る、と書いて大悟
鈴木大悟さんの名前は、「大きく悟る」と書く。
もともとは「大介」になる予定だったらしい。
ところが、親戚であり隣同士に住んでいた同級生が、ひと月先に生まれて「大介」になった。
どうしても「だい」という響きを残したかった母は、国語教師らしく漢字をあれこれ探し、仏法用語から「大悟」という字を選んだ。
大きく悟る。この名前が、彼の人生を少し先回りしていたようにも思える。
鈴木さんは横須賀市長井で生まれ育った。三浦市に近い、横須賀の端の方。
父は鈴木さんが生まれる直前まで漁師をしており、小さな畑も持っていた。
海があり、山があり、畑があり、夜になれば人の気配がすっと薄くなる。
「田舎なんだけど、必要なことがあれば都会にもすぐ出られる。その距離感がいいんです」
自然と自分だけになる時間が、日常のすぐそばにある。
鈴木さんにとって長井は、ただの地元ではない。
呼吸を整える場所であり、自分に戻る場所なのだ。

名 前:鈴木大悟
職 業:消防隊員
活 動:野良遊びスクール/グリーンウッドワーク、アウトドア、防災、自然体験活動
出身・拠点:神奈川県横須賀市長井
家族構成:妻、娘との3人家族
好きなもの:釣り、野鳥観察、山歩き、焚き火、コーヒー焙煎、バイク旅、自然の中で遊ぶこと
本が好きで、生き物が好きだった少年
幼い頃の鈴木さんは、意外にもインドア派だったという。
本を読むのが好きだった。理由は単純で、「知らないことを知るのが好きだった」からだ。
社会と理科は得意。でも国語、算数、英語は苦手。米軍基地の消防で働いている今も、英語は苦手だと笑う。
一方で、自然の中で遊ぶことも好きだった。
春には山菜を採り、夏には虫を捕り、釣りをし、野鳥を見た。ガキ大将のような友人たちに引っ張られながら、山を歩き、生き物を探し、冒険と呼べるような時間を過ごした。
そんな鈴木さんの自然観を大きく変えた人がいる。
中学時代、産休代替で来ていた理科の先生だ。その先生は、鳥の見方を教えてくれた。
ただ「きれいだね」「かわいいね」で終わらない。なぜその鳥がここにいるのか。どんな虫がいて、どんな植物があり、どんな環境があるから、その鳥は生きていられるのか。
「世界って、めちゃくちゃ奥が深いんだなと思いました」
魚が一匹釣れた。うれしい。けれど鈴木さんはそこで終わらない。その一匹に出会うまでの背景を見たくなる。
水の流れ、虫、木、季節、山。すべてがつながっている。
この感覚は、今の活動の根っこにも確かに残っている。
3.11で知った、自然の怖さと人間の小ささ
鈴木さんの人生の大きな転機は、東日本大震災だった。
当時、鈴木さんは米軍の消防の仕事をしていた。特に救急業務に強い熱意を持っていた時期だった。
もともとは消防という体育会系の世界が好きではなかった。いつか辞めてやると思っていた。
でも救急業務に出会い、考え方が変わった。
自分が勉強すれば、人の命を助けられる。しかもそれを仕事としてできる。こんなに意味のあることはないと思った。
しかし3.11で、鈴木さんは大きな無力感に襲われる。
大好きな自然が、あまりにも簡単に多くの命を奪っていく。
自分が学んできたことは無意味ではない。でも、それだけでは届かない現実がある。
「明日やろうじゃなくて、今日やれるなら今日やっちゃえ」
その感覚が、震災後に強くなった。
やりたいことがあるなら、まずやる。恥をかいてもいい。かっこつけて動けない方が、よほどもったいない。
大人になると、人は落ち着いていくものだと思っていた。ところが鈴木さんは違った。
釣り、山、バイク旅、コーヒー焙煎、木工、防災、アウトドア。やりたいことは、むしろ増えていった。
「若い頃の方が、年寄りでしたね。今の方が子どもみたいです」
そう言って笑う鈴木さんは、確かに少年のようだった。

森で見つけた、自分の形
鈴木さんの活動を語るうえで欠かせないのが、グリーンウッドワークだ。
生木を割り、斧やナイフで削り、スプーンやバターナイフなどを作る。単なる木工ではない。
木の形、繊維、自然の流れを見ながら、その木がなりたがっている形を探していく。
きっかけは北海道のイベントだった。
そこで出会ったのが、スウェーデン人の木工作家、ヨッケさん。モーラナイフのアンバサダーでもある、すごい人だった。
そんなことも知らず、鈴木さんは「俺わかんないから、デザインしてよ」と頼んだ。
ヨッケさんは鈴木さんの顔をじっと見て、木に線を引き、「これが君のバターナイフだ」と渡してくれた。
その後、焚き火を囲みながら聞いた言葉が忘れられない。
「スプーンを作るときは、スプーンになりたい木を森に探しに行く」
自然のなりを見て、人のなりを見て、形にする。
鈴木さんはそこに強く惹かれた。
自然と生活は別のものではない。自分も自然の一部であり、自然もまた生活の中に取り込める。そう感じた瞬間だった。
現在、鈴木さんは「野良遊びスクール」として、アウトドアやグリーンウッドワークを通じた活動を行っている。
ただ技術を教えたいわけではない。その奥にある、自然との関わり方や、ものの見方を伝えたいのだ。

地元の人にこそ、この価値に気づいてほしい
鈴木さんの活動には、強い地域への思いがある。
グリーンウッドワークで使う木は、基本的に三浦半島で出る伐採木だ。
倒木の危険や病気で伐採された木は、多くの場合、お金をかけて処分されている。燃やされ、ゴミになっていく。
でも、鈴木さんにはそれが宝に見える。
都会の人は、切りたての新鮮な木にお金を払ってでも触れたいと思っている。
一方で地元では、その価値に気づかず、お金を払って捨てている。
「地元の人に気づいてほしいんです。俺たちの住んでるところ、いいじゃんって」
横須賀、三浦半島には、海があり、山があり、半日かからず東京にも行ける利便性がある。
釣りもできる。山も歩ける。自然観察もできる。都会から近いのに、これほど豊かな遊び場がある。
それなのに、遊ぶ場所は外にあると思っている人も多い。
鈴木さんは、外の人を呼びたいだけではない。最終的には、ここに住む人にこそ、自分たちの足元にある価値に気づいてほしいと思っている。
それは地元愛というより、もっと静かで深い感覚だ。
ここにあるものを、ちゃんと見ようよ。
鈴木さんは、そう言っているのだ。

やってみな。失敗も奪っちゃいけない
若い世代に伝えたいことを聞くと、鈴木さんは迷わずこう言った。
「やってみな、ですね」
やればわかる。やらなければ、能書きと想像だけで終わる。
以前、子どもたちにアウトドアを教えるとき、鈴木さんは失敗させないように一生懸命教えていた。
すると師匠のような存在から、こう言われた。
「お前は、その子たちの失敗する経験を奪っている」
その言葉が刺さった。
ナイフで手を切る。焚き火で火傷する。うまくいかない。痛い。悔しい。でも、その経験があるから判断できるようになる。
自然遊びは、楽しいこととリスクがいつも隣り合わせだ。大きな楽しさを得ようとすれば、相応のリスクもある。
だからこそ、準備はする。でも現場で判断するのは本人だ。
「命に関わること以外は、なるべく黙る」
これは、子育てにも、人を育てることにも通じる。
鈴木さんは、善人とは何かという問いに、こう答えた。
「自分を信じているように、相手も信じられる人」
自分を信じる。相手を信じる。だから任せる。だから失敗も奪わない。
この人の優しさは、手取り足取り支える優しさではない。相手の中にある力を信じて、少し離れたところから見守る優しさだ。

インタビュー後記
鈴木大悟さんの話を聞いていて、途中からこちらの心にナイフが入ってきた。
もちろん、モーラナイフではない。言葉のナイフである。
「失敗する経験を奪っている」
これは子育て中の親には、なかなかの切れ味だ。私も子どもが3人いる。
自分は散々好き勝手やってきたくせに、子どもにはすぐ「危ない」「やめとけ」「それは違う」と言ってしまう。
命に関わることは止める。これは当然だ。
でも、それ以外の小さな失敗まで止めていないか。
鈴木さんは、自然の中で遊びながら、人間の育ち方まで見ている人だった。
地元の木を削りながら、地元の価値を掘り起こす。子どもに教えながら、失敗の価値を守る。自然を愛しながら、人間も面白がる。
しかも本人は、肩に力が入っていない。
周りから「好きなことやってていいね」と言われても、「そうだよ、好きでやってるからさ」と笑う。
これが強い。
頑張りすぎない。でも、ちゃんと動く。稼ぐためだけではなく、価値を見せるために動く。
横須賀の端っこで、木を削り、コーヒーを焙煎し、釣りをし、バイクで旅に出る。
そしてきっと5年後も、本人すら想像していなかった何かをしている。
鈴木大吾さんは、自然の中で悟った人ではない。
自然の中で、まだまだ悟り続けている人だ。
横須賀市長井。
この町には、鈴木大悟さんみたいに「足元の宝物」を見つけられる人がいる。
そして鈴木さんのまわりにはきっと、同じ思いの人が少しずつ集まってくるはずだ。
お問い合わせ
鈴木大悟
YouTube 助次郎:@arasakituushin
野良遊び 助次郎 :@noraasobi.sukejirou
Sukejirou :@sukejirou.arasaki
*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/06/02(火)