「看取り」が日常にある場所で
「ここでは、“患者さん”じゃないんです。“誰々さん”なんです」
そう話すのは、住宅型老人ホームで働く看護師・田中麻奈美さんだ。
医療依存度の高い人たちが暮らすその場所は、いわゆる“ホスピス”に近い。
呼吸器をつける人、強い痛みと闘う人、そして――人生の最期を迎える人。
つまり、日常の中に「死」がある場所だ。
だが、田中さんの言葉はどこまでも穏やかだ。
「全部、人の営みの中のことだから」
この一言で片付けてしまうには、あまりにも深い現場に彼女はいる。

名 前:田中 麻奈美
出 身:神奈川県横須賀市
職 業:看護師(住宅型老人ホーム勤務)
保有資格:緩和ケア認定看護師、公認心理師、上級心理カウンセラー
活 動:地域での「暮らしの保健室」運営
家 族:夫、娘1人
違和感に敏感だった少女時代
横須賀で生まれ育った田中さんは、少し変わった子どもだった。
みんなと仲良くはできる。でも、どこかで急に“外に出たくなる”。
「空気を感じすぎちゃうというか…そこにハマると、違和感が出てくるんです」
保育園を抜け出して、家の床の間に隠れていたこともあったという。
高校に入れば、今度は人間関係の“距離感”に違和感を覚えた。
無理に輪に入らず、一人でいることを選ぶ。
けれど、それを「寂しい」とは思わなかった。
むしろ――
廊下の窓から、人が行き交う様子をずっと眺めている時間が好きだった。
「いろんな人がいて、それを見るのが楽しかった」
人を観察するというより、“存在そのもの”に興味がある。
今の仕事に繋がる原点は、すでにこの頃にあったのかもしれない。

人生を変えた「離婚」と決断
転機は、離婚だった。
子どもを育てていくために、何か“手に職”を――
その時に浮かんだのが、看護師だった。
しかし実は、もともと看護の道は「絶対にやりたくない仕事」だったという。
祖母の介護を間近で見ていたからだ。
「家族でもこんなに大変なのに、人の世話なんて絶対できないって思ってた」
それでも選んだ理由は、シンプルだった。
「看護師なら、年齢関係なく働けるから」
35歳で学校へ。
決して早くはないスタート。
だが、そこで彼女は気づく。
――自分は“人”が好きだということに。
「なんでこの人はこう思うんだろうって考えながら関わるのがすごく面白い」
そして現場に出て、確信に変わる。
“治らないその先”に関わりたい
病院で働く中で、違和感があった。
治療が終わった人たちは、どこへ行くのか。
「家に帰った人たち、その後どうなったんだろうってずっと思ってたんです」
病気が治らないとわかった時、人は終わるわけじゃない。
そこからどう生きるか。どう過ごすか。
そこに関わる人が必要なんじゃないか――
その想いで、あえて“看取り”の現場へ。
そして出会った言葉が、彼女の軸を決めた。
「医者が治せる患者は少ない。でも、看護できない患者はいない」中井久夫著〜看護のための精神医学〜より
この言葉を聞いた時、すべてが繋がった。
「これだって思いました。私がやりたかったのはこれだ!って」

地域に飛び込んだ“おせっかい”
彼女のすごさは、ここからだ。
ある日、地域の掲示板に貼られたポスターを見て、いきなり区役所に電話をかけた。
「断られたらそれでもいいやと思って」
結果は――繋がった。
自治会長へ、民生委員へ、そして地域へ。
そこから生まれたのが「暮らしの保健室“こうなん”」という活動だ。
病院でもない。介護施設でもない。
“ちょっと相談できる場所”。
「学校の保健室みたいな感じで、気軽に来てもらえたらいいなって」
医療の話だけじゃない。
不安、孤独、家族のこと、最期のこと。
“まだ病気じゃない人”も含めて、支えられる場所をつくりたかった。

見捨てられた、という言葉の先に
彼女が地域に出ようと思ったきっかけの一つに、強い違和感があった。
在宅に戻った人が「見捨てられた」と言っている――
そんな話を聞いた時だった。
「見捨ててないのにって思いました」
病院側も、家族も、必死に考えて出した選択。それなのに、その言葉一つで意味が変わってしまう。
「だから、ちゃんと繋がらなきゃいけないって思ったんです」
病院と在宅、医療と生活。
その“間”を埋める存在が必要だと。
それが今の活動に繋がっている。
この街で、生きる人を支える
横須賀と横浜。
生まれ育った場所と、今、自分を受け入れてくれている場所。どちらにも関わる中で、田中さんは静かにこう話す。
「祖母や母が、“地域に恩返ししなくちゃね”って、よく言ってたんです。だから私も、ささやかでも誰かの支えになれたらって」
背伸びも、気負いもない。
ただ、これまで受け取ってきたものを、次に手渡していくような感覚だ。
当たり前のことのように口にするその言葉。
けれど、その“当たり前”が、どれだけ難しいことかを彼女は知っている。
人は、誰かに支えられながら生きているのに、その支えは、いつも見える場所にあるとは限らない。
病院の外に出た瞬間、途切れてしまうもの。
言葉にできず、誰にも届かないまま抱え込まれる不安。「見捨てられた」と感じてしまう、その一瞬の孤独。
田中さんは、その“隙間”に入り込もうとしている。
特別なことじゃない、と彼女は言う。
ただ、その人がその人らしく生きること。最期の瞬間まで、“その人でいられること”。
それを邪魔しないこと。そっと支えること。そして必要なときに、ちゃんと隣にいること。
派手な医療でも、劇的な奇跡でもないけれど、人の人生にとって一番大切な部分に触れている。
だから彼女は、今日もやり続ける。
目の前の一人の「誰々さん」のために。


インタビュー後記
インタビューを終えて、強く残ったのは、田中さんの“幼少期の感性”だった。
みんなと仲良くできるのに、ふっと離れたくなる。違和感を感じると、その場にいられなくなる。一人で人の流れを眺めている時間が好きだった。
子どもの頃なら、「ちょっと変わってる」で終わる話だ。
でも今の田中さんを見ていると、それは“ズレ”ではなく“力”だったのだと思う。
人が見過ごす違和感に気づけること。
言葉にならない空気を感じ取れること。
そして、“その人らしさ”に目を向けられること。だからこそ田中さんは、「患者さん」ではなく「誰々さん」と向き合える。
“治らないその先”に寄り添える。
あの頃の感性が、今、誰かの人生を支えている。
もし、この記事を読んでいるあなたが親なら、少しだけ伝えたい。
自分の子どもが「周りと少し違う」と感じたとき。不安になったとき。
それは、もしかしたら――
“普通の人が気づかないものに気づける力”
かもしれない。
無理に合わせなくていい。削らなくていい。そのままでいい。
田中さんが、昔の自分にかけてあげたい言葉も「そのままで」だった。
きっと、それが答えなんだと思う。
派手じゃなくたって、確実に人を支えている人がいる。
そんな人が、この街にいることを、少し誇らしく思った。
ちゃんと、自分を見守ってくれる人がいるんだから。
さて今日は、気分がいいから会社サボって、田中先生がいる暮らしの保健室に顔だそうかな。
お問い合わせ
田中麻奈美
Instagram:@4embrace_yourself2024
株式会社SOG
インタビュアー 山元 直樹
Mail:relay.interview@gmail.com
*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。