「この子を殴るなら、私を殴りなよ」
小学校一年生か二年生の頃だった。
クラスには、男子にも負けないような、少し怖がられている女の子がいた。
ある日、その子が男の子に馬乗りになっているのを、柳下歩美さんは見つけた。
まだ殴ってはいない。でも、このままでは殴るかもしれない。
「止めなきゃ」
そう思った。
そして、間に入って言ったのが冒頭の言葉だった。普通、こういう場面では物語なら相手が我に返る。
「……ごめん」
となって、友情が芽生れたりする。
しかし現実は、そんなに都合よくできていない。
歩美さんは、しっかり腹を殴られた。
「え、殴るんだ……って(笑)」
人を助けようとして腹パンを食らう。
善行に対するリターンとしては、かなり割に合わない。
けれど三十歳を越えた今、あの頃の自分に何と声をかけたいかと尋ねると、歩美さんは迷わず答えた。
「よくやった、って言ってあげたいです」
その言葉を聞いて思った。
柳下歩美という人は、昔からずっと変わっていないのかもしれない。
人のことを放っておけない。人と人との間に入る。相手が何を考えているのかを察する。
そして時々、自分のことを後回しにする。
その性格はやがて、彼女を海の向こうへ連れていき、人が集まるシェアハウスをつくり、今度はひとりの母親として新しい人生を歩ませることになる。
名前は「歩美」。
「美しい人生を歩んでほしい」
そんな願いを込めて付けられた名前だという。
本人は笑いながら言う。
「美しい人生かと言ったら、美しくはなってないですけど。楽しくやってます」
いや、それでいい。
そもそも美しい人生とは、汚れず、失敗せず、予定通りに進む人生なのだろうか。
少なくとも彼女を見ていると、どうも違う気がしてくる。

基本情報
氏 名:柳下 歩美(やぎした あゆみ)
出 身:東京都武蔵村山市
現住所:オーストラリア・ブリスベン
家 族:ニュージーランド人の夫、娘
経 歴:高校卒業後アメリカの大学へ進学。帰国後、シェアハウス運営・管理業務に従事し、管理人ランキングで2年連続1位を経験。
30歳を前にオーストラリアへ移住。
よく喋り、よく笑い、殴られても人を助ける子
柳下歩美さんは1995年生まれ。
子どもの頃について両親から言われるのは、「口から生まれてきたんじゃないか」というほど、とにかくよく喋る子だったこと。
本人いわく、今もそれほど変わっていないらしい。
幼稚園の頃に引っ越し、小学校は友達のいない状態から始まった。
普通なら少し心細くなりそうなものだが、歩美さんはあまり気にしていなかった。
気づけば友達は増え、今でも友人は多い。人との間に壁を作らない。
これは、のちの彼女の人生を考えると非常に重要な才能だったと思う。
一方、小学生の頃には二、三年ほどいじめられた時期もあった。
それでも、先ほどの喧嘩の場面では他人を助けに入った。
自分も苦しい経験をしているからこそ、誰かが傷つく場面を見過ごせなかったのかもしれない。
長女気質もあるのだろう。
「そういうところは見逃せないタイプですね」
と本人は言う。
子どもの頃に夢中だったのは歌。
モーニング娘。が大好きで、友達と一緒に歌って踊った。
世代的には「LOVEマシーン」。
その後はEXILEなど、テレビの中で輝く人たちに憧れてダンスも始めた。
キラキラした世界への憧れは、やがて「英語を話せたら格好いい」「海外に行ってみたい」という思いへと形を変えていく。

「行きたいなら行けばいい」で、本当にアメリカへ行った
高校卒業後、歩美さんはアメリカの大学へ進学した。
高校生が「海外に行きたい」と言うこと自体は珍しくない。
問題は、本当に行く人がどれだけいるかだ。
歩美さんは行った。
背中を押した一人が、高校三年生の担任だった。
英語教師で、外国人のパートナーを持つ、とても個性的な先生だったという。
「やりたいことは、やりなよ」
本人によれば、先生にしてみればそれほど大げさな言葉ではなかったのかもしれない。
しかし、人生を動かす言葉とは得てしてそんなものだ。
言った側が忘れていても、言われた側は一生覚えている。
こうして歩美さんは海を渡った。
お父さんは心配だったのだろう。
渡米時に皆が作ってくれたビデオの中でも、
「俺はまだ許してないぞ」
と言っていたらしい。
娘を海外へ送り出す父親としては、非常に正しいリアクションである。
結局、大学は中退し、アメリカ生活は二年弱で終わった。
これだけを切り取れば「挫折」と表現することもできる。
でも人生は、履歴書の〇とXだけでは測れない。
英語を使って生活し、友人をつくり、異文化の中で暮らした経験は、確実に彼女の中に残った。
後にニュージーランド人のパートナーと出会い、オーストラリアで生活することになる歩美さんにとって、この二年間は遠回りではなかった。
むしろ、その後の人生へ続く予行演習だったのかもしれない。
「この人と友達にならなきゃ」――人望で満室にする管理人
帰国後、歩美さんの大きな転機となったのが、シェアハウスに関わる仕事だった。
ここで、今回の善人承継のバトンを彼女へ渡した恵奈美さんとも出会う。
当時、歩美さんは福生のシェアハウスで管理人をしていた。
恵奈美さんは、そのシェアハウスを見学に来たお客さんだった。
ところが、歩美さんは初対面の瞬間に思ったという。
「この人とは一緒に何かする気がする。この人とは友達にならなきゃ」
そして猛アピールした。
結果、恵奈美さんはそこに住み、二人の付き合いは現在まで続いている。
お客さんとして来た人を見て「絶対友達にならなきゃ」と感じ、本当に友達になる。
口だけなら簡単だが、なかなかできることではない。
そして、この「人との距離を縮める力」は仕事でも発揮された。
歩美さんは、シェアハウスの管理人として二年連続で社内ランキング一位になったという。
本人は、その理由を「人望」だと考えている。
もちろん成績も良かった。
しかし、それ以上に彼女が誇りに思っているのは、自分が担当するシェアハウスがいつも満室に近い状態だったことだ。
内見に来た人に、
「この人がいるなら、ここに住みたい」
と思ってもらう。
部屋を売ったのではない。そこで始まる暮らしを売ったのだ。
これは不動産の話だけではない。商品でも、サービスでも、会社でも、人は最後には「誰から買うか」「誰と働くか」「誰と過ごすか」で決める。
歩美さんは、それを理屈ではなく感覚で理解していた。
だから新社会人へのアドバイスを聞くと、彼女らしい答えが返ってくる。
成績や能力も大切だけど、人とのつながりも大切にした方がいい。
「面倒くさいと思わず、飲み会行けよ、って感じです(笑)」
飲んで、くだらない話をして、一緒に笑う。
時にはタバコを吸いながら話す。そこで生まれる関係もある。
もちろん時代は変わった。
飲み会への参加を強制する時代ではない。
けれど彼女が言いたいのは、酒を飲めという話ではないのだと思う。
効率だけでは生まれない関係がある。
用件のない時間を一緒に過ごすことで初めて分かる人柄がある。
二年連続一位という結果の裏側には、そんな彼女の人間くささがあった。
世界を飛び回るはずだった女性が、母になる
三十歳を目前にした頃、歩美さんは再び海外へ行こうとしていた。
ワーキングホリデーの年齢制限もある。
「最後にオーストラリアへ行こう」
そう決め、仕事も辞めるつもりだった。
そこで出会ったのが、現在の事実婚のパートナーであるニュージーランド人男性だった。
二人でオーストラリアへ行こうと話していた頃、妊娠が分かった。
人生というものは、本当にこちらの予定表を見てくれない。
海外へ行く。
仕事を辞める。
パートナーと出会う。
妊娠する。
そして海外で出産する。
短期間にイベントが詰まりすぎている。
「めちゃくちゃバタバタでした」
現在はオーストラリア・ブリスベンで暮らし、幼い娘を育てている。
パートナーも子どもとの時間を大切にするため、早朝から働き、午後二時頃には帰宅する生活を選んでいる。
歩美さんがオーストラリアで好きなのは、何より空だ。
高い建物が少なく、見上げれば広い空がある。
写真を撮ることも好きな彼女にとって、何度見ても「わあ」と思える景色だという。
カンガルーも珍しくない。
日本で言えば、少し大げさだがカエルを見るくらいの感覚らしい。
ただし良いことばかりではない。
スーパーを裸足で歩く子どももいる。
靴のまま家に入る文化もある。
将来、娘が連れてきた友達が裸足で家へ入ってきたらどうしよう――と、今から少し怯えている。
「もうちょっと、みんな清潔になってほしい(笑)」
海外移住を語る記事で、治安でも物価でもなく「裸足問題」が出てくるところが、いかにも歩美さんらしい。
一方で、子育て環境については非常に心地よさを感じている。
赤ちゃんや子どもへの社会全体の距離が近く、日本でベビーカーを押して電車に乗る時のような「すみません」という感覚が少ない。
みんなが自然に赤ちゃんを優先する。
だからこそ少し距離が近すぎて、産後は娘に触ろうとする人から守る「熊みたいな母親」になったこともあったそうだ。
海外での出産には不安もあった。
特に医療用語は難しい。しかし助産師から言われた。
「あなたの体が言う通りに動けばいい」
出産とは、本来そういうものなのだろう。
言葉が完全に分からなくても、最後は自分の体が知っている。
そして娘が生まれた瞬間、歩美さんの人生観は一変した。
以前の彼女は、子どもが特別好きだったわけではない。むしろ自分が子育てをできるのか、不安だった。
好きな作家は湊かなえ。
母と娘の複雑な関係を描く作品などを読んでは、
「自分も子どもを傷つけてしまうんじゃないか」
と怖くなったことさえあった。
将来像は、もっと違っていた。
バリバリ働く。
世界中を旅する。
それが自分の人生だと思っていた。
ところが、いざ母になってみると、
「なんでもっと早く産まなかったんだろう」
と思った。
出産直後には、まだ痛みの余韻の真っただ中で、
「もう一回やりたい」
と思ったという。そして、現在の夢は豪快だ。
「産めるだけ子どもを産みたいです」
人生のベクトルは、本人曰く「180度変わった」。
計画通りではない。
だが今の彼女は、予定していた人生より、予定していなかった人生を愛している。


「美味しいご飯は、命をつなぐ」
歩美さんが今でも大切にしている言葉がある。
アメリカへ行く時、料理が得意ではなかった娘のために、母親が好きな料理のレシピを手書きでまとめてくれた。
その表紙に書かれていた。
「美味しいご飯は、命をつなぐ」
難しい哲学ではない。食べれば生きられる。だから、とりあえずちゃんと食べなさい。
母親から娘への、極めて実用的で、極めて深い愛情だった。
その言葉は、オーストラリアで妊娠し、つわりで苦しかった時にも再び母から届いた。
「とりあえず美味しいものを食べなさい」
海を越えても、母親は母親だった。
今度は歩美さんが母になった。
いつか娘にも、この言葉を伝えたいという。
アメリカへ渡った娘に母が渡した言葉が、オーストラリアで育つ孫へ受け継がれていく。
こういうものこそ、本当の意味での「承継」なのかもしれない。

五年後、自分に聞きたいことは何か。
歩美さんは、
「どこに住んでるんだろう」
と答えた。
今はオーストラリアが拠点だ。けれど日本にいる家族にも会いたい。
ニュースで日本の地震を見るたび、胸がぎゅっとなる。
自分の実家の地域ではないと分かれば安心する。
でも同時に思う。
何かあるのなら、家族のそばにいたい。
日本か。オーストラリアか。あるいは別の国か。
五年後の答えは、まだ分からない。
そして老後には、パートナーと一つだけ決めていることがある。
海の近くに住む。そこにベンチを置く。二人で座り、コーヒーを飲む。
ただそれだけ。
若い頃は、海の向こうへ行くことが夢だった。いつか歳を重ねたら、海の前で動かなくなることが夢になる。
人生とは面白い。
そして今回、恵奈美さんから「善人」のバトンを受け取った歩美さん自身に、善人とはどんな人かを聞いた。
答えは、
「自分がつらくても、無理にでも笑おうとする人」
だった。
相手の気持ちを察する。場の空気を読む。
自分が少し嫌な思いをしても、人のために笑える。
決してそれだけが正しいとは思わない。
自分を犠牲にし続ければ、いつか苦しくなる。彼女自身もそれを分かっている。
それでも、そういう人は最後には人から信頼されるのだという。
思えば、小学生の頃からそうだった。
誰かが殴られそうなら、自分が前へ出る。
シェアハウスでは、新しくやって来た人が心地よく暮らせる場所をつくる。
海外へ行けば、文化の違いに笑いながら適応する。
母になれば、娘を守る熊になる。
柳下歩美という女性は、自分の人生を好き勝手に歩いているようでいて、いつもその隣に誰かがいる。
「美しい人生を歩んでほしい」
名前に込められた願い。
本人は「美しくはなっていない」と笑うけれど、私には十分、美しいと思えた。
なぜなら美しい人生とは、転ばない人生ではない。
予定が狂わない人生でもない。
泣いたり、笑ったり、たまには腹パンまで食らいながら、それでも人を好きでいられる人生なのだと思う。
そして何より――。
海を越えたところで今日も、彼女は笑っている。

インタビュー後記
この人はたぶんどこに放り込んでも生きていける。
アメリカに行く。帰ってくる。シェアハウスで人をまとめる。ニュージーランド人と出会い、オーストラリアへ行き、そのまま出産する。
普通なら人生の大事件として一個ずつ処理するところを、柳下歩美は福袋みたいにまとめて引いている。
しかも、オーストラリア生活で彼女が熱を込めて語った不満が、
「みんな裸足」
だった。そこなのか笑
物価でも治安でもなく、将来、娘の友達が裸足で家に入ってくる可能性の方が切実らしい。
そして何より好きだったのが、小学生時代の腹パン事件だ。
「この子を殴るなら私を殴れ」
漫画なら100点のセリフ。そして本当に殴られる。オチまで100点である。
でも、この話には柳下歩美という人の根っこが全部詰まっている気がする。
人を放っておけない。人との間に壁を作らない。誰かのためなら、自分が一歩前に出る。
だからシェアハウスでも人が集まり、恵奈美さんも彼女を「善人」として私につないだのだろう。
彼女が語った善人とは、
「自分がつらくても、無理にでも笑おうとする人」
だった。
優しい人ばかりが我慢する必要はない。それでも、誰かのために笑える人の強さは確かにある。
柳下歩美は、そんな強さを持った人なのだと思う。
いつか海辺のベンチで、パートナーとコーヒーを飲む日が来る。
その頃もきっと、彼女は相変わらずよく笑い、よく喋っている。
何しろ両親から「口から生まれてきたんじゃないか」と言われた人である。
静かな老後だけは、おそらく無理だ笑
お問い合わせ
善人承継インタビュアー
山元 直樹
Mail:relay.interview@gmail.com
*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/09/03(木)