善人承継 リレーインタビュー
名刺は3枚、本業は理美容師
有限会社ZEPP FACTORY 代表取締役 山崎 正博 (やまざき まさひろ) さん インタビュー

氏名

山崎 正博(やまざき・まさひろ)

生年月日

1967年2月21日

出身

神奈川県藤沢市

家族構成

子供2人

経歴

高校卒業後、理容の道へ進み、渋谷での勤務を経て21歳で独立。戸塚に「CUT STUDIO SPIRIT」を開業。その後、美容師免許も取得し、現在は理容・美容双方の免許を持つ。有限会社ZEPP FACTORY代表取締役。

本業の傍ら地域活動にも幅広く携わり、現在は戸塚区商店街連合会 会長、戸塚宿ほのぼの商和会 会長、とつか夏まつり実行委員会 会長、とつかストリートライブ運営委員会 委員長などを務めるほか、戸塚少年補導員としても活動。

趣味はテニス。現在も週に一度ほどプレーしている。

3枚の名刺

取材の席で、山崎正博さんから名刺をいただいた。


一枚目

「戸塚区商店街連合会  会長」

「戸塚宿ほのぼの商和会 会長」

なるほど、商店街の会長さん。


すると、もう一枚

「とつか夏まつり実行委員会 会長」


さらにもう一枚。

「とつかストリートライブ運営委員会 委員長」

……名刺が3枚。


しかも、それで全部ではない。戸塚少年補導員としても活動している。一体、この人の本業は何なのだろう。


本業は、戸塚で長年「CUT STUDIO SPIRIT」を営む理美容師だ。


これだけの肩書きを見れば、さぞかしエネルギッシュに人を引っ張る「俺についてこい」タイプかと思いきや、実際の山崎さんは正反対。物腰は柔らかく、話し方も穏やかだ。


けれど、その人生をたどると、21歳で独立し、時代の変化を乗り越え、子育てをし、今では5万人を超える祭りを支え、街の未来を考えている。


しかも戸塚は、最初から特別な街だったわけではない。


「戸塚じゃなきゃ、というのはなかったですね」


たまたま店を出した街、そこから38年。

いつの間にか山崎さんは、その街を次の世代へつなぐ側になっていた。

海のそばで育った藤沢っ子。「将来の夢」は特になし

小学生の頃はサッカーをし、ボーイスカウトにも夢中になった。家の中より外で遊ぶのが好きな少年だった。


中学、高校ではバレーボール部へ。母親がママさんバレーをしており、小さい頃から練習について行っていたため、自然と馴染みがあったという。


海が身近な藤沢で育ち、若い頃にはサーフィンも楽しんだ。体を動かすことが好きなのは今も変わらない。


現在は週に一度ほどテニスをし、仲間とコートが取れれば茅ヶ崎まで出かけることもある。


そんな活発な少年だったが、高校生になっても「これになりたい」という職業は特になかった。


そろそろ進路を決めなければ…

そんな時、いつも通っていた理容店の人から何気なく言われた。


「この仕事、向いてるんじゃない?」


「向いてるのかな、って。そう言われたことを真に受けたんでしょうね(笑)」


その人は話が上手で、何より楽しそうに仕事をしていた。父親は会社員。自分で商売をするという働き方にも、どこか面白さを感じた。


「じゃあ、やってみよう」


人生を決めたきっかけは、案外あっさりしていた。

修業3年、21歳。「店を出したいんです」


最初に勤めたのは渋谷の店だった。

そこも知人から「山崎に合うと思うよ」と紹介された場所。


そして3年ほど経った頃、山崎さんは先生に切り出した。


「僕、お店を出したいんです」


まだ21歳だった。


当時の理美容業界では、長く修業を積んでから独立する人も珍しくない。


「今考えると、全然修行してないですよね(笑)」


当然、「まだ早い」と止められると思った。ところが先生は、「お前なら、もういいだろう」

と背中を押した。しかも、店を借りるための保証人にまでなってくれた。


山崎さんは今、自分の息子に置き換えて笑う。


「21歳で『店やりたい』って言われたら、多分『ふざけんな』って言いますよ(笑)。保証人なんて、なかなかなれないですよ」


だからこそ、「本当に恵まれてました。運が良かったんでしょうね」と振り返る。


けれど、21歳の若者に「保証人になってやろう」と思わせるのは、運だけではない気もする。人から背中を押してもらえる人には、押したくなる何かがある。


独立する場所を探して、いくつもの街や物件を見た。その中で条件やタイミングが合ったのが戸塚だった。「絶対に戸塚で」という思いがあったわけではない。


物件にも縁があった。

居抜きで前の店の造作が残っていたが、最終的には「全部なくして好きなようにやっていい」と言ってもらい、一から自分の店を作ることができた。


21歳。スタッフ2人と3人でのスタート。

これが山崎さんと戸塚との長い付き合いの始まりだった。

時代が変われば、自分も変わる

20代半ばになると、山崎さんは「理容だけじゃないな」と考えるようになった。


店を続けながら通信教育で学び、美容師免許も取得。理容・美容、双方に対応できるようになった。


ちょうど世の中は「カリスマ美容師」が注目され始めた時代。


美容業界が華やかになる一方、理容業界では若い人材を集めるのが難しくなっていき、山崎さんの店も人材確保に苦労した。


そこで活用したのが、沖縄から県外へ就職する若者を支援する仕組みだった。沖縄から戸塚へ一人が来る。そのつながりからまた一人と学校から紹介されることもあった。


「人が来ない」で終わらせず、探す場所を変えた。


長く店を続けていれば、時代もお客さんも変わる。昔からのお客さんと一緒に歳を重ねる一方、その子どもや地域の子どもたちもやって来る。


38年という時間は、ただ同じ場所で店を開け続けた年月ではない。


店の椅子に座る人たちを通して、戸塚の変化を見続けてきた年月でもある。

会長になる前に父親としてやることがあった


戸塚で商売を続けるうち、地域との関わりも増えていった。


やがて商店街連合会の前会長から、

「会長をやってくれないか」と声をかけられた。


しかし、山崎さんは一度断っている。当時は離婚後で、息子が高校受験を迎える時期。

「大学に入るまでは、親としてちゃんとサポートしたかったんです」


仕事もある、子育てもある、そこに会長職まで抱えることはしなかった。


何でも引き受ける人に見える山崎さんだが、優先順位ははっきりしていた。まずは父親としての役目。


そして息子が大学へ進学した後、再び声をかけられ、今度は引き受けた。


「21歳からここで仕事をさせてもらって、もう30年くらい経っていましたから。地域に何か返したいなって」


最初は、たまたま選んだ戸塚。

30年商売を続けた頃には、「何か返したい」と思う街になっていた。

一つ引き受けたら、名刺が3枚になった

地域活動を始めると、人とのつながりは一気に広がっていった。


特に大きかったのがコロナ禍だ。


人が集まれず、イベントも開けない中、オンラインを取り入れながら活動を続けた。

その過程で、これまで別々に動くことの多かった東口、西口、東戸塚などのメンバーとも交流が深まり、


「一緒に何かやろう」と互いのイベントを手伝うようになった。


現在は、とつかストリートライブをはじめ、街を歩いてもらうイベントや、戸塚ならではの商品を発掘・発信する「戸塚ブランド」の構想など、活動は商店街の枠を越えて広がっている。


そして、とつか夏まつり。


300年以上の歴史を持ち、今年は約5万5000人が訪れた大きな祭りだ。


5万5000人が「楽しかった」と帰るためには、その裏で膨大な準備が必要になる。


警備員を増やす、協賛を集める、ボランティアを確保する。暑い中で働くスタッフには、十分な飲み物と食事を用意する。


「スタッフが疲弊したら、続かないですからね」


ボランティアだから我慢してもらう、ではない。

支える人も「また来年やろう」と思えなければ、300年以上続いている祭りの次の一年はない。


伝統を守るというと壮大に聞こえる。けれど、その実態は、警備員一人、飲み物一本、お弁当一つまで考えること。そうした小さな積み重ねが、祭りを次の世代へつないでいる。


「商店街って何?」答えは、若い人と一緒に探す

今、山崎さんが考えているのは、イベントを成功させることだけではない。


「これから商店街って、何をするところなんだろう?」


その答えを探すために「商店街未来サミット」を企画している。


商店街連合会の会長自身が「商店街って何?」と聞くのだから面白い。


「ぼくら商店街をやっている人間だって、これからどこへ向かうのか、答えられる人ってそんなにいないと思うんですよ」


だから商店街の人だけで決めない。自治会、行政、そして学生にも入ってもらう。


「若い人は商店街に何を求めているんだろう。そもそも、商店街が何をやってるのか知らないかもしれないですよね」


組織の中でも、若い世代が企画し、実際に動ける委員会づくりを進めている。先輩たちの経験は大切にする。でも、昔のやり方だけに固執しない。


「若い人が自分の意見を言える、風通しのいい場を僕らの世代が作らなきゃいけないと思うんです」


「正直に、素直に」

そして、山崎さんが大切にしている言葉がある。


「正直に、素直に。正直で素直な人って、やっぱり強いと思うんですよ」


考えてみれば、山崎さん自身がそうやって歩いてきた。


高校生の頃、

「この仕事、向いてるんじゃない?」と言われて、この世界へ入った。


21歳で独立したいと言えば、先生が背中を押してくれた。


戸塚で長く商売を続け、地域から「力を貸して」と言われれば、子育てを終えたタイミングで今度は街へ力を返した。


そして現在、戸塚宿ほのぼの商和会が掲げるビジョンは、


「子どもも高齢者も障がいのあるひとも、誇りと居場所と出番を感じられる地域に」


山崎さんが特に願うのは、子どもたちに街の記憶を残すこと。


祭りの日の人混み、露店の明かり、友達と歩いた道…


「大人になって違う街に行ったとしても、『戸塚で育って良かったな』『あの祭りがあったよね』って思ってもらえたら」


山崎さんにとって戸塚は、最初から「特別な街」だったわけではない。21歳で独立を決め、いくつもの候補の中から、条件とタイミングが合って店を構えた場所だった。


それから38年。


ここで商売を続け、お客さんと歳を重ね、子どもを育て、地域の人たちと出会ってきた。

そして今では、


「この街で育って良かった」と次の世代が思える戸塚を残そうとしている。


人と街との関係も、人と人との関係に少し似ているのかもしれない。


最初から強い思い入れがあるとは限らない。

長い時間を過ごし、いろいろな人と関わり、自分もその街の一員として何かを担うようになる。


そうやって少しずつ、ただ「仕事をする場所」だった街が、「大切にしたい場所」に変わっていく。


38年前、戸塚に店を出した21歳の青年は今、この街の未来を考えている。


名刺が3枚になったのは、きっとその38年間の答えなのだろう。


編集後記


山崎さんとお話しして、まず印象に残ったのは、その穏やかさでした。


物腰は柔らかく、話し方ものんびり。こちらが何を聞いても、少し考えながら穏やかに答えてくださる。


正直、こんなにたくさんの役目を引き受け、あちらこちらを飛び回っている人には見えませんでした。名刺を3枚いただいた時には、「一体いつ休んでいるんだろう」と思ったほどです。


でも、お話を聞いているうちに、なぜ山崎さんのところに色々な話が集まってくるのか、なんとなく分かった様な気がしました。


話しかけやすい、相談しやすい。

「ちょっと聞いてもらえます?」と言いたくなるんです。


前に出てぐいぐい人を引っ張るというより、いつの間にか人が集まってきて、気づいたら中心にいる、山崎さんはそんなタイプなのかもしれません。


私自身、地元は戸塚ではありません。それでも戸塚に住んで、もう30年。

2人の子供達もここで育ち、小さい頃から毎年のように「とつか夏まつり」を楽しんできました。


子どもを連れて歩き、屋台で何を買おうか迷ったり、人混みに揉まれたり…

私にとって夏まつりは、ずっと「行けば楽しいもの」でした。


でも今回、山崎さんのお話を聞いてその見え方が少し変わりました。

5万人を超える人が安心して楽しむために、警備を考える人がいる、暑い中で動くスタッフの飲み物や食事を気にする人がいる、協賛を集め、準備を重ねる人がいる。


そして、「子どもたちに、この街の祭りを残してあげたい」そんな思いで動いている人たちがいる。


私たちが何気なく「楽しかったね」と帰る、その裏側には、たくさんの人の時間と気持ちが重なっていたのです。


それを知ってしまったので、来年のとつか夏まつりは、今までとは少し違って見えそうです。

屋台の向こう側に山崎さんたちの顔が浮かんでしまうかもしれないですね。


きっと、「今年もありがとうございます」と、心の中で言っていると思います。


そして山崎さん、あれだけ沢山の役目を抱えながら、あの穏やかな雰囲気でいられる秘訣を、今度こっそり教えてください。

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*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 株式会社かつた接骨院 勝田雅文 さん