【若宮御霊神社_間宮信元】笹下城⁡
⁡後北条時⁡代

⁡起源⁡(天文年間1530)
⁡杉田の領主:御霊神社は間宮信元が邸内鎮守として創建⁡
若宮八幡社は笹下城の守護として笹下曲輪に創建⁡
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(天正18年1590年)⁡⁡
⁡間宮康俊は秀吉の小田原北条氏攻めの時、⁡箱根の山中城におり滅ぼされる。⁡⁡⁡
⁡間宮康俊は手勢200人を率いて三の丸~岱崎出丸(だいさき)で抗戦、豊臣方は多くの戦死者を出した。⁡
⁡戦力差が有り山中城は半日で落城。
⁡豊臣軍6万7千、山中城4千。⁡
⁡山中城主:松田康長
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⁡間宮氏:宇田源氏_佐々木氏の分流⁡⁡
武蔵国久良岐郡に居住
⁡北条氏・後北条氏・武田氏・徳川氏に仕えた。⁡
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⁡子孫:間宮林蔵、杉田玄白⁡⁡、間宮士信(徳川旗本)
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⁡所在:横浜市磯子区洋光台1-13-49⁡
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⁡笹下城の遺構は無い。上大岡傍の大岡川が別れる高台に有ったと言う。笹下、洋光台の一部。⁡
⁡後北条の水軍の城で有った。⁡
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⁡笹下の語源⁡
⁡佐々木→佐々気→佐々下→笹下⁡⁡

⁡間宮信盛ー杉田間宮・笹下間宮・氷取間宮などに別れる。⁡
⁡山中城で戦死した間宮康俊の娘「おひさ」徳川家康の側室になる。
間宮⁡⁡康俊の孫の直元・高則は徳川の旗本になる。⁡
間宮⁡康俊の弟綱信の子正重・重信らも徳川家臣となる。⁡
⁡中里、杉田、氷取沢に陣屋を構え栄えた。⁡
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⁡徳川は源氏の新田義貞系列の子孫と称している。⁡
⁡間宮氏も源氏なので登用したので有ろうか?⁡
⁡後北条の家臣の中で、稀な例と言われている。
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⁡横浜市磯子区は金沢区と同様に鎌倉幕府と関わりが多い土地なので、歴史を持った神社仏閣が数多く見受けられる。⁡
下調べをせず、行って知るのも楽しみで有る。

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37 いいね! ('23/03/10 14:43 時点)