まちの仕事人インタビュー
曹洞宗泉谷山龍珠院 永久良徳住職インタビュー 〜お寺とともに生きる〜
曹洞宗 泉谷山 龍珠院 住職 永久 良徳 (ながひさ りょうとく) さん インタビュー

── まずはご自身の生い立ちについて教えてください。


生まれも育ちも龍珠院です。お寺の中で育ったと言っても、特別な意識は当時はまったくなくて。お泊まり会をするような場所でもありましたから、普通の家のような感覚でした。学生時代は野球一筋で大学は曹洞宗の大学でもある鶴見大学に進学したのですが、大学まで野球をやっていました。

 

── 小さい頃から仏教に触れる機会はあったんですか?

 

当然本堂からはお経の声が聞こえてきますし、時には仏具を玩具にして怒られました。お風呂場の壁面には【洗心無垢】という先々代の言葉が、タイルの色を変えて刻まれてました。人生を歩む中で塵や垢で覆われてしまった心も、心掛けや行いによって洗い流すことが出来るという意味の言葉です。今思えば身近に多くの学びがありました。

 

── お父様についてもお聞きしたいのですが、どんな方でしたか?

 

一言でいうと「ザ・昭和」という父でした。家庭では厳しく、顧みない部分もありましたが、お寺や仕事に関しては繊細で丁寧な人でした。仏道を突き詰めるというよりは、他者への心遣いを追求されてました。そんな父から強く言われたことがあります


 

── どんな教えだったのでしょう?


「僧侶としての覚悟を持ち、お檀家様や同業の方と一生のお付き合いをさせていただけるよう接しなさい」と。“言葉と行動に責任を持て”というのが口癖でしたから、その延長の教えなんだと思います。お寺は皆に支えられながら、微力ながらお力になっていく立場ですから、今でも肝に銘じております。


── 住職を継がれたきっかけは?

 大学でも野球を続けていましたが、4年生の時に僧侶の第一ステップとなる資格を取り、卒業後に大本山總持寺での修行を終え副住職となりました。父が大腸の難病で生活に支障が出始めてから、実務の多くを私が担うようになり、その後父が他界して私が住職となったという流れです。

 

── 自然な流れだったんですね。

 

はい、父が他界した時に私は27歳でしたので、一般的にはイレギュラーかもしれませんが、若いうちから“多くの経験が出来る” “時代に合った改革に取り組める” と今では前向きに捉えています。

 

── お寺を引き継いでから、どんな変化を意識していますか?

 

まず、お寺の“敷居”を下げたいと思っています。仏教の良さをもっと日常に取り入れてもらいたい。そのために、お寺をもっと近い存在にする必要があると思うんです。いただきます、初詣、厄除け——実は多くの人が無意識に宗教行為をしている。でも、それを知識として持っていない。そこをつなげていきたいですね。

 

── 現代社会に対する危機感もあるのでしょうか?

 

あります。他者への関心が薄れていると感じます。世界は人間の欲得で利便性を上げ続け、社会が複雑になると同時に、人と人との交流を簡素化している。既に不調和が際立ち、人の心は枯渇していく一方です。昔は地域で子供を育て、大人との関わりから人の心を汲み取れる人間が育っていました。【協力して生きていく】という何千年、何万年と続く人間という生命の当たり前のスタイルです。そんな現代では貴重な、人間味を感じられる場所にお寺がなれるのではないかと。人の心を潤すのは、人の心だけなのです。

 

── 具体的にはどんな活動を?

 

地域の団体に自ら参加して、朝は境内を掃除しながら挨拶を交わしたり。小さなことかもしれませんが、そういう積み重ねが一番大切だと思っています。坐禅会も不定期で開いていて、これは禅宗、特に曹洞宗らしい活動ですね。整う感覚というか、トランス状態に近い体験をする人もいて、日常のリセットとして喜ばれています。

 

── 最後に、これからどんなお寺を目指していますか?

 

昔のように、老若男女が集まる場。お寺が地域のハブになって、そこから人と人との縁が広がるような場所にしたいですね。今も、そしてこれからも「ともにあるお寺」であり続けたいと思っています。


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曹洞宗 泉谷山  龍珠院

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*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。