野原を走り、タイヤのステージで歌った少女
三浦久美さんの原点は、千葉市稲毛区にある。
今でこそ開発が進み、便利で住みやすい街になったが、久美さんが子どもの頃の稲毛は、畑や野原が広がる場所だった。
男の子たちに混じって、トンボを捕まえ、バッタを追いかけ、蝉の抜け殻を探す。
おとなしく座っているより、外で体を動かしている方が似合う、やんちゃな女の子だった。
小学校3年生の頃、夢中になったのはピンク・レディー。
校庭に半分だけ埋まったタイヤがあり、そこをステージに見立てて、友達と2人で歌って踊った。
野原で虫を追い、タイヤの上でスターになりきる。
その姿を想像すると、今の落ち着いた久美さんからは少し意外にも見える。だが、よく考えると、その頃からすでに「自分の世界を楽しむ力」はあったのかもしれない。
中学ではバドミントン部に所属した。
決して特別に上手だったわけではない。けれど、毎日練習に出続けた。その姿を顧問の先生が見てくれていた。
「ちょっと使ってみようかな」
そうして選手に選ばれた久美さんは、ダブルスで試合に出る。そして最後には、第1ダブルスと第2ダブルスが戦うことになり、久美さんたち第2ダブルスが勝った。
才能だけではない。見てくれている人がいる。続けていれば、道が開けることがある。
この経験は、久美さんの人生に静かに根を張っているように感じる。

氏 名:三浦 久美(みうら くみ)
出 身:千葉県千葉市稲毛区
居住地:神奈川県相模原市
職 業:一般社団法人血糖値コントロールサポート協会代表理事、腸内フローラ解析士、看護師
“憧れ”ではなく、“生きるため”に選んだ看護の道
中学生の頃、久美さんは看護師になることを決めた。
理由は、よくある「小さい頃に優しくしてくれた看護師さんに憧れて」ではない。
「手に職をつけたかったんです」
家が特別に裕福だったわけではない。進学するなら、将来的には自分で稼いでいかなければならない。
だから、資格を持ち、自分の力で生きていける仕事を選ぼうと思った。
それは、夢というより現実。憧れというより、生きる知恵だった。
高校は衛生看護科へ進む。たまたま近くの学校で一期生を募集していた。定員80人に対して、受験者は81人。そして全員合格。
「運が良かったんです」
久美さんはそう笑う。
准看護師の資格を取り、その後は正看護師を目指して専門学校へ進むことになる。推薦入試には小論文と小テストがあった。
ところが、久美さんは小論文が大の苦手だった。
先生からも「小論文は諦めて、小テストを頑張りなさい」と言われるほどだった。それでも週に1回、小論文を書き、先生に添削してもらった。
そして本番。
不思議なことに、その日だけは書けた。
「なんか、すごく書けた気がする」
そう思っていたら、結果発表の時、高校の先生からこう言われた。
「小論文が素晴らしかったので採用しました。ただ、テストはいまいちだったので、勉強してきてくださいね」
まるで漫画のような話である。
だが、これは単なる幸運ではない。書けないと言われながらも書き続けたから、その一度の“降りてきた瞬間”をつかめたのだ。
久美さんは「運が良かった」と言う。
けれど、運というものは、準備していない人のところにはなかなか降りてこない。

病院の中で感じた違和感。そして選んだフリーランス看護師という働き方
看護師になってから、久美さんは外科病棟や救急病棟など、病院の現場で働いた。
忙しい毎日だった。休みは取りづらく、連休も限られる。
何より、久美さんが本当にやりたかった「患者さんに寄り添い、話を聞く」という時間が、なかなか取れなかった。
看護師になりたかった。人に関わりたかった。でも、現場はあまりにも忙しい。
20代後半、久美さんは壁にぶつかる。
このまま病院に勤め続けていたら、ずっと同じ状況が続くのではないか。
そう考えた久美さんは、働き方を変える決断をする。
選んだのは、フリーランスの看護師という道だった。
クリニックや派遣の仕事を組み合わせ、自分でスケジュールを作る。休みたい時には休みを取る。働く場所も、働き方も、自分で選ぶ。
当時としては、かなり珍しい選択だった。周りの看護師からは「何をやっているんだろう」と見られたこともあったという。
常勤で働くのが普通。ひとつの場所に勤めるのが安心。そういう時代だった。
しかし久美さんには、どうしても叶えたいことがあった。
ハワイに行きたかったのだ。
3連休ではハワイに行けない。だったら、1ヶ月休める働き方にすればいい。
普通なら笑って終わる話かもしれない。だが、久美さんは本当にその働き方を作ってしまった。
「時々1ヶ月ぐらい休みたいんです。週に2、3回しか働けないんですけど、雇ってもらえますか」
そう正直に伝え、それでも受け入れてくれる職場を見つけた。
そのひとつが、今も長く続いている心療内科のクリニックだった。
そのクリニックでは、西洋医学だけでなく、鍼灸、整体、アロマセラピー、心理療法などを取り入れ、心と体を広く見ていくホリスティック医学を大切にしていた。
薬だけでは良くならない人が実際にいる。
もっと手前の予防や、生活全体から支える医療が必要なのではないか。
久美さんが感じていた医療への違和感と、そのクリニックの考え方はぴったり重なった。
「ここで働きたい」
そう思い、電話をかけた。
そこから久美さんの働き方は大きく変わっていく。

腸活、血糖値、そして“見える化”が人を救う
現在、久美さんは看護師として週に2〜3回働きながら、腸活や血糖値コントロールの活動にも力を入れている。
きっかけは、クリニックで食事アドバイスをしてきた経験だった。
予防的な生活習慣の大切さを伝えたい。けれど、クリニックに来た人にしか届けられない。もっと広く伝えたい。
そう考え、5年前に腸活を学び、SNSやセミナー、個別相談を始めた。
そして、久美さん自身の体験から大きく広がったのが、血糖値コントロールだった。
久美さんは痩せ型で、健康診断でも異常はなかった。糖尿病でもない。
それなのに、食後に異常な眠気が出る。夕方になるとフラフラになる。甘いものを摂らないと元気が出ない。摂らないでいると倒れそうになる。
「これは普通じゃない」
そう感じていた。
そこで、糖尿病の方が使う血糖値センサーを自分で購入し、装着してみた。
すると、食後に血糖値が急上昇し、その後一気に下がって低血糖になっていることがわかった。
見えなかった不調が、数字として見えた瞬間だった。
そこから久美さんは、食べ方、食べる順番、運動などを試しながら、自分に合った血糖値の整え方を探っていった。
高すぎても、低すぎてもよくない。ただフラットならいいわけでもない。糖はエネルギー源でもある。
だからこそ、血糖値を正しく知り、自分の体に合ったコントロールをすることが大切なのだという。
周囲の看護師にも声をかけ、試してもらうと、意外にも血糖値が乱れている人が多かった。
朝起きられない。寝ても疲れが取れない。食後に眠くなる。甘いものがやめられない。
そうした不調が、血糖値の乱れと関係していることもある。
センサーをつけると、それが見える。
見えるから、対策ができる。
対策ができるから、変化を実感できる。
「朝起きられるようになった」
「ちゃんと眠れるようになった」
「食べられるようになった」
そう喜んでもらえた時、久美さんは確信した。
これは伝えていけるものだ、と。
現在は一般社団法人を立ち上げ、血糖値コントロールアドバイザーを育てる養成スクールも運営している。
看護師、整体師、サロン経営者、企業で健康支援に関わる人たち。
そうした人たちが血糖値を読み取り、生活習慣のアドバイスができるようになれば、不調に悩む人をもっと早い段階で支えられる。
久美さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

稲毛、相模原、港区。三つの街にある久美さんの居場所
久美さんには、関わりの深い街が三つある。
生まれ育った千葉市稲毛区。
今暮らしている相模原。
そして30年通っている港区。
稲毛は、昔ながらの風習やお祭りが残る街だという。開発されて便利になった一方で、昔から住む人たちの温かさが残っている。
ただ、高齢化が進み、人が少しずつ減っていることには寂しさも感じている。
両親は今も健在で85歳。これから何かあった時には、看護師として、訪問看護や介護の人たちと連携しながら、地域に役立つことがしたいと考えている。
相模原では、地域コミュニティの温かさを感じている。街づくりに力を入れる人たちがいて、場所を提供してくれる人がいて、そこに仲間ができる。
今後は自治体向けに、腸活や老化しないための血糖値コントロールのセミナーもやってみたいという。
港区は、長年通っている場所だ。
昔は今ほど華やかではなく、雨が降れば水が溜まるような場所もあった。それが今では、誰もが知る洗練された街になった。
けれど久美さんは、ただ派手になった港区を見ているのではない。緑があり、居心地のいいスペースがあり、人が集える余白があることに魅力を感じている。
どの街にも、それぞれの良さがある。
どの街にも、久美さんなりに関われることがある。
それはきっと、久美さんが「人の体」だけでなく、「人が暮らす場所」まで見ているからなのだろう。

後世へ伝えたいこと——ちゃんと選べる人になってほしい
若い世代に伝えたいことを聞くと、久美さんは食生活の話をした。
人工甘味料や液糖の入ったジュースが、血糖値を大きく乱していることがある。
若い人でも血糖値が乱れている人は多い。赤ちゃんの頃から甘い飲み物に慣れてしまえば、将来の健康にも影響するかもしれない。
だからこそ、久美さんはこう願っている。
「ちゃんとチョイスできる人になってほしい」
何を食べるか。
何を飲むか。
どう暮らすか。
それは、誰かに押し付けられるものではない。けれど、知らなければ選べない。
久美さんが伝えたいのは、禁止ではなく、選択する力だ。
そして、その根底にはアドラー心理学の言葉がある。
「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」
夫婦関係でも、仕事でも、健康でも同じだった。
相手を変えようとしても変わらない。けれど、自分の見方や関わり方を変えると、相手との関係が変わることがある。
体も同じだ。
今までの生活を責めるのではなく、これからどう変えていくか。
久美さんの言葉は、静かだ。
でも、芯がある。
周囲からは「落ち着いている」「凛としている」「声が聞きやすい」と言われるという。
本人は「昔は人前に出るタイプではなかった」と話す。目立ちたいわけではない。前に出たいわけでもない。
それでも、
必要とされれば、前に立つ。
伝えるべきことがあれば、声にする。
その姿こそ、久美さんらしさなのだと思う。

インタビュー後記
久美さんの話を聞いていて、何度も出てきた言葉がある。
「運が良かったんです」
高校も、専門学校も、職場も、人との出会いも、久美さんはさらっと“運”の一言で片づける。
しかし、聞いているこちらとしては、そう簡単には片づけられない。
小論文が苦手でも書き続けた。
病院の働き方に違和感を覚えたら、自分で働き方を変えた。
不調の原因がわからなければ、自分でセンサーをつけて調べた。
そして、良いと思ったものは人に伝え、仕組みにしようとしている。
これはもう、運というより「運を迎えに行っている人」である。
自分から運を取りに行くんだから、”運”で片づけられるのも納得だ。
しかも、迎えに行く時の服装がたぶん軽やかで、きっとコンビニにでも行く感覚なんだろう。
「ちょっとハワイに行きたいので、1ヶ月休める働き方にします」
普通の人なら居酒屋で言って終わる話を、久美さんは本当にやる。もうやってる。しかも30年前に。
この行動力、なかなかである。
久美さんが語る善人とは、「私、社会貢献しています」と大きな旗を振る人ではなく、道にゴミが落ちていたら自然に拾う人。
ありがとうを自然に言える人。まさに久美さん自身がそういう人なのだと思う。
血糖値の乱れは目に見えない。
人の不調も、努力も、優しさも、案外見えにくい。
だからこそ、久美さんのように“見えないものを見えるようにする人”が必要なのだ。
ちなみに私自身も、話を聞きながら何度も胸が痛かった。
血糖値、内臓脂肪、喫煙、夜食。
途中からこれはインタビューなのか、生活習慣の懺悔室なのかわからなくなった。
ただ、久美さんのすごいところは、責めないことだ。
「ダメです」ではなく、「見てみましょう」
「やめなさい」ではなく、「選べるようになりましょう」
この優しさなら、人は変われるかもしれない。
5年後の久美さんに、今の久美さんが聞きたいことは「充実していますか」。
きっと5年後、久美さんはこう答えている気がする。
「はい。たぶんハワイで」
その時、血糖値も心も、きっといい波を描いているはずだ。
お問い合わせ
一般社団法人 血糖値コントロールサポート協会
神奈川県相模原市南区相模台2-2-2 ガーデンビルⅡ3階フェルゴ内
Mail:contact@bglcsa.org
H P:https://bglcsa.org/kyoukaisetumei/gaiyou/
*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/07/02(木)