善人承継 リレーインタビュー
食いしん坊は、人生を豊かにする。――料理と文化を通して「生きること」を伝える、瀬川知恵美の台所
暮らしの中の茶懐石「あたはん」 主催 瀬川 知恵美 (せがわ ちえみ) さん インタビュー

「昔の自分に声をかけるなら、何と言いますか?」


少し考えて、瀬川知恵美さんは笑った。


「食いしん坊は、ずっと続いてるよ」


なんとも彼女らしい答えだった。

指宿で育った少女は、泥を水で溶いて“天ぷらの衣”を作り、葉っぱにつけて乾かしては、


「ほら、天ぷらできた」


と遊んでいた。

父が福岡へ出張すると、楽しみに待っていたのは「ひよこ」のお菓子。別のお土産が出てくると、子どもながらに本気でがっかりした。

母は、近所にスーパーなどなかった時代、家にあるもので料理をし、おやつまで手作りしてくれた。

そして58歳になった今。

知恵美さんは料理教室を開き、和菓子を教え、茶懐石を学び、日本文化を伝えようとしている。

振り返れば、泥の天ぷらも、母の手料理も、父を待ちながら食べたひよこ饅頭も、全部が今につながっていた。

人生とは案外、そんなものなのかもしれない。

子どもの頃に夢中になっていたものは、本人が忘れているだけで、ずっと人生のどこかに残っている。

知恵美さんの場合、それが「食べること」だった。


いや、正確に言えば――

食べることを通じて、人を幸せにすることだった。


氏  名:瀬川 知恵美(せがわ ちえみ)

出  身:鹿児島県指宿市

居住地:鹿児島県鹿児島市

家  族:夫と二人暮らし

職  業:屋号「あたはん」にて料理教室を主宰

泥を揚げていた少女が、料理の先生になるまで

知恵美さんは、鹿児島県指宿市で生まれ育った。

池田湖を望む高台の家。

温暖な気候。広い昔ながらの家。そして台所には、料理好きの母がいた。


「今みたいに、足りないものがあったらすぐスーパーへ買いに行く、という環境じゃなかったんです。だから母が、あるものでいろいろ作ってくれて。

おやつも手作りでした」


知恵美さんが初めて包丁を握った年齢は、もう覚えていない。ただ、小学生の頃には当たり前のように何かを作っていたという。

今なら子どもに包丁を持たせるだけで、親のほうが緊張してしまう。

しかし、当時は違った。

子どもだからと遠ざけるのではなく、やらせてみる。

失敗するかもしれない。怪我をするかもしれない。

それでも経験させる。


「昔の親って、子どものことを信用してくれていたのかなって思います」


その経験が、料理を特別なものではなく、「暮らしの中にあるもの」にしていったのだろう。

もっとも、学校の勉強については話が別だった。

本人いわく、


「全然ダメというか、楽しくなかった(笑)」


高校時代、授業が嫌でトイレに隠れていたことまである。

高校3年生で習った確率に至っては、4月の段階からすでにチンプンカンプンだったそうだ。

ところが、今は勉強が好きだという。

これ矛盾しているようで、実はそうではない。

試験に合格するための勉強には興味が持てなかった。

でも、自分が知りたいこと、料理、和菓子、茶道、日本文化となれば話は違う。

人は「勉強が嫌い」なのではない。

興味のないことを覚えさせられるのが嫌いなだけなのかもしれない。


そんな少女時代のもう一つの記憶が、父の福岡出張だった。


「ひよこ買ってきてね」


楽しみに待っている。

ところが父が別のお土産を持って帰ってくる。

今なら喜べる。

しかし少女・知恵美は違う。


「なんで、ひよこじゃないの!」


心の中は大事件である。

何十年も経って、その話をしながら知恵美さん自身が気づいた。


「私、今、和菓子の教室もしてるんですよね。もしかしたら、あの頃の味の記憶もつながっているのかもしれない」


人生の伏線とは面白い。

当時はただのお菓子だったものが、何十年後かに自分の仕事と重なってくる。

あの頃の少女に未来を教えてあげたら、きっとこう言うだろう。


「じゃあ、もっと食べとけばよかった」


……いや、たぶん十分食べている。


お見合いで出会った紳士と、一本の電話が変えた人生

知恵美さんが「人生最大の転機」と迷わず挙げたのは、結婚だった。

ご主人との出会いは、お見合い。

とはいっても、両家が並んで畳の部屋で正座して――という昔ながらの形ではない。

両方の家族を知る人から紹介され、電話番号を交換し、


「あとは二人で会いなさい」


というスタイルだった。

初めての待ち合わせの日、ご主人から電話が入った。


「すみません。少し遅れます」


たったそれだけ。

しかし知恵美さんは思った。


「この人、信用できるな」


遅刻したのに評価が上がる。

世の男性諸君には希望の持てる話だが、重要なのは「遅刻」ではなく「ちゃんと連絡したこと」である。

結婚後、ご主人の仕事に伴い、鹿児島を離れて新横浜へ。そこで約8年間を過ごした。

知恵美さんはもともと鹿児島の百貨店で洋服の販売をしていたため、上京後も東京の管轄へ異動し、伊勢丹など百貨店で働いた。

そして、ある朝。

出勤前につけていたテレビが、人生をもう一度動かした。

番組に出演していた料理家が、ご飯と味噌汁を紹介していた。

司会者が食べて言った。


「本当においしいですね」


その瞬間、知恵美さんの中で何かが動いた。


「これだ」


考え込むことはなかった。

「いつか習えたらいいな」でもない。「仕事が落ち着いたら調べてみよう」でもない。

その日のうちに教室へ連絡した。


「お稽古に行きたいです」


その学びの場となったのが、東京・世田谷区成城にある「一宮庵(いっくあん)」だった。

知恵美さんにとって、一宮庵との出会いは、単に料理を習う場所に出会ったというだけではない。

料理とは、ただ手順を覚え、味を整えるだけのものではないこと。

季節を感じ、素材と向き合い、器を選び、食べる人を思うこと。

そして料理の背景には、日本人が長く育んできた文化や心があること。

そこで学んだ時間は、その後の知恵美さんの料理人生に大きな影響を与えていった。


現在、料理だけでなく、和菓子や茶道、茶懐石へと学びを広げ、「料理を通して、その人の生き方に影響を与えたい」と考える知恵美さん。

その原点をたどれば、テレビを見て直感のまま飛び込んだ、成城の一宮庵へと行き着く。

後にその先生は、知恵美さんにとって大切な師匠となった。


テレビを見て感動する人はたくさんいる。

しかし、その日のうちに電話をする人は、そう多くない。ここに知恵美さんという人の生き方が凝縮されている。

「今だ」と思ったら、動く。準備が完璧になるまで待たない。お金が貯まってからでもない。もう少し勉強してからでもない。


「次に同じ縁が来るかどうか、分からないじゃないですか。準備ができてからやろうと思っていたら、タイミングを逃しちゃうから」


もちろん、それで失敗したこともある。

直感のまま突っ走り、「今じゃなかったな」と思った経験も一度や二度ではない。

だから最近は、ひとつ知恵を身につけた。

何かを思いついたら、ご主人に相談する。


「ねえ、私こう思ってて、こうしようと思うんだけど、どう思う?」


そしてご主人が、


「うーん……」


となった時は、一度止まる。


「自分一人で考えないようにしたんです」


結婚28年。長く続く秘訣を尋ねると、


「主人の忍耐です(笑)」


と即答された笑。

いや、それもあるかもしれない。しかし話を聞いていると、それだけではない。

走る人と、止める人。直感で進む人と、冷静に見る人。

知恵美さんにとってご主人は、単なる夫ではなく、人生のブレーキであり、相談役であり、一番身近な伴走者なのだ。

ちなみに知恵美さんによると、ご主人は自分のことを「子どもだと思っている」らしい。

妻であり、時々子ども。一人二役。

ご主人の忍耐力には、やはり敬意を表しておきたい。

料理を教えたいのではなく、料理で「生き方」を伝えたい

現在、知恵美さんは「あたはん」という屋号で料理教室を主宰している。

料理だけではない。和菓子も教える。さらに茶道を学び、茶懐石にも取り組む。

料理と和菓子の比率は、およそ半々。


2022年9月4日に開業し、2026年9月から5年目に入る。

では、これから何年続けるのか。答えは豪快だった。


「100歳まで現役(笑)」


これは案外、冗談だけでもなさそうだ。

なぜなら彼女が伝えたいものは、レシピではないからだ。

今の時代、「肉じゃが  作り方」と検索すれば、レシピは無限に出てくる。動画を見れば切り方まで分かる。

それでも知恵美さんは、料理教室を続ける。


「料理の作り方というより、料理を通して、その人の生き方に影響を与えたいんです」


この言葉が印象に残った。レシピならインターネットでいい。

でも、誰かと一緒に作ること。旬を知ること。器を選ぶこと。季節を感じること。食べる人を思って盛り付けること。

そして、「いただきます」と食卓を囲むこと。

それは検索窓には出てこない。

茶懐石や茶道にも、同じものを感じている。


「茶道をやっている人だけのものじゃないんです。日常生活に生かせる知恵が、すごくたくさんあるんですよ」


知恵美さんが伝えたい「文化」とは、博物館に飾っておくものではない。

暮らしの中で使うものだ。

お茶を点てる。和菓子をつくる。料理をつくる。誰かを迎える。季節を感じる。

一つひとつは小さい。しかし、その小さな所作が、暮らしを豊かにする。

だから知恵美さんの教室へ行けば、料理が一品作れるようになるだけでは終わらないのだと思う。

帰る頃には、少しだけ自分の暮らしを丁寧にしたくなる。そんな教室なのではないだろうか。


周囲からは、

「会うと元気をもらえる」

「パワーをもらえる」

「いつも楽しそう」


と言われるという。

確かにインタビューをしていても、こちらまで明るくなる。

料理教室の先生には、技術も必要だ。

でも、案外こういうことの方が大切なのかもしれない。


「この先生と一緒に作ったら楽しそう」


料理教室を選ぶ理由として、それ以上のものが必要だろうか。


文化が、人と人をつなぐ場所をつくりたい

知恵美さんが現在暮らしているのは鹿児島市。

谷山地区にある自宅の玄関を開ければ、桜島が見える。

スーパーも銀行も身近にあり、高速道路を使えば空港へのアクセスもいいから便利で暮らしやすい。

唯一の不満は――


「渋滞です。とにかく渋滞(笑)」


鹿児島市への壮大な提言が出るかと思いきや、極めて生活者目線だった。

しかし、「鹿児島のために何かできるとしたら」という問いへの答えには、知恵美さんらしさが出た。

文化を通して、人と人がつながる場所をつくりたい。

現在、その構想のひとつとして頭にあるのが、紹介者の亀井愛子さんとも縁のある喜入の古い屋敷だ。

歴史を持つ場所で、料理、茶懐石、お茶、和菓子などを通して、もっと気軽に日本文化に触れてもらえる場をつくれないか。

そんな話が少しずつ動き始めている。


知恵美さんと亀井さん。

二人に共通しているのは、「文化を昔のものにしない」ことなのだと思う。

伝統だから守る、ではない。今を生きる人たちが楽しみ、使い、次の人へ渡していく。

そうして初めて文化は生き続ける。


「楽しいご縁でつながっているから、きっといいものしか生まれないと思うんです」


この言葉もまた、善人承継というプロジェクトそのもののように感じた。

人が人を呼び、その人がまた次の人とつながる。料理も文化も同じなのかもしれない。

一人で完成させるものではなく、誰かに渡すことで残っていく。

知恵美さんは、これからオンラインでの教室にも挑戦したいという。

鹿児島の台所から、全国へ。

幼い頃、池田湖を眺めながら泥で天ぷらを作っていた少女の料理が、インターネットを通じて全国へ届く未来。


なかなか面白いではないか。


「自分でご飯を作ってね」――次の世代へ伝えたいこと

知恵美さんは、直感を大事にして生きてきた。

「今だ」と思ったら動く。

お金も、以前は生徒のために器や道具をたくさん買っていたが、最近は考え方が変わった。

自分自身の学びや経験に投資する。


「残さない(笑)」


潔い。

ただし、何も考えず使うということではない。今しかできないこと、今しか来ない縁に使うのだ。

その一方で、現在58歳。最近、強く感じることもある。


「体力って、本当に大事です」


股関節など足に痛みを感じるようになった。

以前なら出張料理で重い荷物を抱えて動き回っても平気だった。しかし今は違う。


「体力がないと、気力まで萎えちゃうんですよ」


だから5年後、63歳の自分へ伝えたい言葉は、


「ちゃんと動ける体になっておきなさい」


だった。

現在はヨガや体操にも通う。その体操の先生は75歳。身体は柔らかく、声には張りがあり、何よりLINEの返信が知恵美さんより速い。


「75歳ですごくはつらつとしているんですよ。その先生に今出会ったってことは、私もそうなれるっていうことなのかなって思うんです」


人との出会いを、未来から届いたメッセージのように捉える。やはり、この人は前向きだ。

そして最後に、新社会人をはじめとする若い世代への言葉を尋ねた。

返ってきたのは、驚くほどシンプルだった。


「自分でご飯を作ってね」


立派な料理でなくていい。

ご飯を炊いて、味噌汁を作って、野菜を少し食べる。週に一回でもいい。


「出来合いのものばかりじゃなくて、自分で作ってほしい。毎日食べているもので、人間の体ってできているじゃないですか」


もちろん知恵美さんだって、コンビニも使う。カップ麺を食べる日もある。

だから「添加物は悪だ」とか「全部手作りにしなさい」という話ではない。

もっと根っこの話だ。

食べることに、ちゃんと向き合ってほしい。

食事は、ただ空腹を満たす作業ではない。命をつなぐもので、身体をつくるものだ。

そして時には、心を満たすものでもある。

それを知恵美さんは、料理を通じて伝え続けたい。

料理に合う日本酒を選び、ワインに合わせて献立を考え、旅行へ行けば酒蔵かワイナリーを探す。

鹿児島県民ながら芋焼酎はそれほど飲まず、でも鳥刺しの時だけは甘い醤油がいいという絶妙な鹿児島愛も忘れない。

食べることが好き。飲むことが好き。人が好き。文化が好き。

そして何より、人生を面白がっている。


少女時代から続いている「食いしん坊」は、どうやら食欲だけの話ではない。

瀬川知恵美という人は、人生そのものを味わうことに、とても貪欲な人なのだ。


インタビュー後記

私は金融屋なので、普段なら「将来のためにお金を残しましょう」と言う側の人間である。

ところが知恵美さんは言った。


「残さない(笑)」


職業柄、一瞬だけ心拍数が上がった。だが話を聞いていると、その意味が分かった。

知恵美さんは、お金を雑に使っているわけではない。人生に使っているのだ。

学ぶ。人に会う。料理をする。器を買う。文化に触れる。

「今だ」と思った縁に飛び込む。もちろん、時には失敗する。

しかし、失敗したから次はご主人に相談するようになった。

これは金融で言えば、リスク管理が強化されたということである。

ご主人という超優秀なコンプライアンス部門が家庭内に設置されている。

しかも結婚28年。主人の忍耐と本人は笑ったが、私は違うと思う。

走り出す知恵美さんを、ご主人が見守り、時には止めて、それでもまた走らせる。

それが二人の形なのだろう。

そして今回、最も心に残った言葉は、難しい茶道の言葉でも、偉人の名言でもなかった。


「自分でご飯を作ってね」


ものすごく普通の言葉である。でも、普通だからこそ大事なのだ。

炊きたてのご飯を食べる。味噌汁を作る。誰かのために一品つくる。そして「おいしいね」と言う。

人間が何百年、何千年と繰り返してきたこの当たり前を、便利になった私たちは少しずつ手放している。

料理教室の先生はたくさんいるし、レシピを教えられる人もたくさんいる。

しかし、


「料理を通して、その人の人生に影響を与えたい」


と言う先生は、そう多くない。

100歳まで現役を宣言した知恵美さん。残された課題は、ひとつだけである。

まずは75歳の体操の先生より早くLINEを返せるようになることだ。

文化継承より先に、そこから始めてもらおうと思う笑

ただ、きっと大丈夫だ。

泥を天ぷらにし、テレビを見たその日に師匠へ電話し、お見合いで出会った紳士と28年を歩き、58歳になった今も「次は何をしよう」と目を輝かせている人である。

この人なら、63歳でも73歳でも、きっと何か新しいことを始めている。

そして100歳になっても台所に立ちながら、


「食いしん坊は、まだ続いてるよ」


と笑っている気がする。

お問い合わせ

あたはん

~茶道の知恵で作る、心豊かな家庭料理~

◇Instagram:@atahanlife


知恵美さんが敬愛する師に学び、料理の礎を築いた場所

一宮庵

住所:東京都世田谷区成城6-22-7

TEL:03-3484-5878

H P:https://ikkuan.com/


*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 喜入子育てコミュニティ KADAN 亀井 愛子 さん