
氏名
千葉 真也(ちば しんや)
生年月日
平成元年3月17日
出身地
宮城県
家族構成
妻、子ども2人の4人暮らし
経歴
高校卒業後、宮城県から関東へ。
養老乃瀧株式会社へ入社し、東京・亀有で飲食業のキャリアをスタート。現場で調理や店舗運営を学び、店長として藤沢、大阪、川崎など多数の店舗を経験。
藤沢勤務時代に岩田憲一朗さんと出会い、その後も長年にわたり同じ会社で勤務。
退職後、岩田憲一朗さん、松尾和幸さんとともに2026年4月「戸塚酒場 憲 -KEN-」を開業。
18歳で宮城を離れ、飲食の現場を歩き続けた千葉さんが、仲間と自分の店を始めるまで
「50代になったら、もう働きたくないですね、おじいちゃんしたい」
さらっと、そんなことを言う。
えっ、50代?
まだまだ働き盛りでは?
思わず聞き返す私に、千葉さんはいたって真面目だ。
「ちょっと散歩して、テレビ見て。基本、何もしない。それが最高です」
温泉も好き。子供とディズニーランドに行ったりするのも好き。でも、そんなに頻繁に行きたいわけではないという。
「たまに行くから楽しいんですよ。当たり前になったら、ワクワクしなくなるじゃないですか」
なるほど。
夢は世界一周でも、高級車でも、大豪邸でもない。50代でのんびりすること。
でも、その穏やかな夢を実現するために、今は自分の店に立ち、料理を作り、お客さんを迎え、次の店まで見据えている。
そのギャップがなんとも千葉さんらしい。
話を聞くと、「何もしない老後」にたどり着くまでには、とんでもなく濃い現場人生があった。
冬のプールに落ちた少年は、18歳で関東へ
千葉さんが育ったのは宮城県。
子どもの頃は、かなりのやんちゃ坊主だったらしい。
幼稚園に入る前から自転車に乗り、一人であちこちへ出かけてしまう。田んぼや川など自然の中が遊び場で、深い川で泳ぐことも平気だった。
極めつけは、冬のプール。
凍った水面を見て、友達と「走って渡れるんじゃないか」と盛り上がった。
そして実行した。
結果は――もちろん、氷が割れて落下。
「渡ったのは僕だけです」
いや、そこは胸を張るところではない。
幸い泳ぎは得意で大事には至らなかったそうだが、聞いているこちらは数十年後の話なのにヒヤヒヤする。
そんな少年時代を宮城で過ごし、18歳になる直前、就職をきっかけに関東へやってきた。
進学という選択肢もあったが、本人には「大学に行きたい」という強い気持ちはなかった。
父を幼い頃に亡くし母に育てられたこともあり、「やりたいことが決まっていないなら、まず働こう」と考えた。
求人票を見ていて目に留まったのが、寮のある飲食企業だった。
「一人暮らしもできるし、やりたいことが見つかるまでは、お金を貯めればいいかなって」
最初は西日本方面への応募だったというが、「関東でも大丈夫と言っておいたから」と話が進み、配属先は東京・亀有。
18歳、知り合いもほとんどいない土地で、千葉さんの飲食人生が始まった。
半年で一年分覚えた。今なら笑えない‘’昭和な修行時代‘’
現在の穏やかな話しぶりからは少し意外だが、若い頃の職場環境は相当にハードだった。
入社して半年ほどは、休みが月に2、3回ということもあった。
今なら「完全にアウトですね」と本人も笑う。
「出勤簿は店長に判子を預けていたし、自分が月に何時間働いていたかも知らなかったです」
笑い話として聞いていいのか迷うレベルである。
ただ、その環境が結果的に千葉さんを鍛えた。
人手が足りない、やるしかない。
通常なら一年かけて覚える仕事を、半年ほどで覚えた。
料理についても、会社の研修で包丁の使い方から丁寧に教えてもらったわけではない。
新人研修は、どちらかといえば社会人としてのマナーや考え方が中心。調理技術はほぼ現場で身につけた。
そこで意外な先生になったのが、アルバイトスタッフたちだった。
飲食店経験の長い人、料理人経験者、寿司屋で働いていた人。
いろいろな背景を持つ人たちから、実践的な技術を吸収していった。
寿司の握り方も、マニュアルではなく経験のある人から本格的な握り方を教わったという。
千葉さんは自分について、
「決められたことを、その通り実行するのは割と得意なんです」と話す。
ものすごく器用だからできた、というより、教わったことを素直にやる。できるまで繰り返す。
その積み重ねが、いつの間にか「仕事ができる人」をつくっていったのだろう。
一方で、納得できないことは飲み込めない性格でもある。
上司とぶつかり、「もう辞める」となったことも一度や二度ではない。
「上司に言われたら、“はい、すみません”っていうのが、あんまりできないんですよ。おかしいと思ったら、“それ、おかしいですよね”って言っちゃう」
若い頃から、そこは変わらない。
ただ、長く働くうちに周囲も千葉さんの性格を理解し、本人もベテラン側になった。
言うべきことを言い、やるべき仕事はやる。
その姿勢が、長い現場人生を支えてきた。
藤沢で出会った仲間と、「いつか一緒にやろう」
亀有を皮切りに、いくつもの店舗を経験した。
異動の多い時代で、藤沢、大阪、川崎など各地の店に立った。
中でも大阪勤務は印象に残っているという。
「大阪は、本当にいい街でした」
単身赴任だったが、月に一度ほど連休を取り、家に帰ったり、広島へ足を延ばしたり。
仕事だけではなく、その土地で暮らすことも楽しんだ。
そして、長い飲食人生の中で大きな意味を持つ出会いがあった。
藤沢で一緒に働いた岩田さんたちだ。
最初から意気投合したわけではない。
むしろ岩田さんのほうが年上でも、社歴では千葉さんが先輩。
店長として仕事を教える立場でもあった。
けれど、一緒に働く年月が重なり、やがて「いつか一緒に店をやろうか」という話が出るようになる。
具体的に動き始めたのは、4〜5年ほど前。
当初は加盟店としての独立も考え、物件を紹介してもらっていた。ところが、コロナ禍がやってくる。
飲食業界にとって先の見えない時期、計画はいったん止まった。
それでも、「いつか自分たちで」という思いは消えなかった。
そして巡ってきたのが、現在の店との出会いだった。
条件に合う家賃、これまでのつながりを生かせる仕入れ先、既存の設備。
さらに、岩田さんが地域で積み上げてきた人との縁。
「いろんなものが、ちょうど良かったんですよね」
新しい挑戦というのは、全部をゼロから始めなければいけないように見える。
けれど実際は、それまで積み重ねてきたものが、ある日突然一本の線につながることがある。
この店はまさに、そんな場所だった。
「個人店にして良かった」。自由になって、仕事が楽しくなった

店を始めて数か月。
千葉さんが感じているのは、少しずつ手応えが大きくなっていることだ。
一度来てくれたお客さんが、また来てくれる。
常連さんが増える。新しいお客さんが、さらに誰かを連れてきてくれる。
その小さな積み重ねが、目に見えてきた。
そして何より、「個人で店を出して良かったと思います」と言う。
理由は明快だった。「自由ですね」
長くチェーン店で働いてきた。そこには当然、全国共通のルールがある。
仕入れ先も、メニューも、使う食材も決められている。自分が「この食材は使いたくない」と思っても、簡単には変えられない。
お客さんから「今度これ作ってよ」と言われても、すぐに応えられるとは限らない。
今は違う。
「これやってみよう」
「あれ、おいしそうじゃない?」
仲間同士で話し、すぐ試せる。季節のメニューも考えられる。お客さんの顔を見ながら店を変えていける。
やっている作業だけを見れば、以前と大きく違わないかもしれない。厨房に立ち、料理を作り、店を回す。
「でも、全然違うんですよね」
そして、こう続けた。「毎日、楽しいです」
このひと言が、何より印象に残った。
仕事とは、楽なものではない。特に飲食業は体力もいる。営業時間も長い。
それでも、自分たちで考え、自分たちで決め、目の前のお客さんの反応がそのまま返ってくる。
同じ仕事でも、「誰かに決められてやる」のと「自分たちで決めてやる」のでは、景色が変わる。

目標は3店舗。そして50代で「おじいちゃん生活」
現在の目標は、3店舗。
店を増やし、安定させ、任せられる人を育てる。
その先にあるのが、冒頭の「50代でおじいちゃんしたい」である。
休日はどちらかといえばインドア派。
家族から「出かけたい」と言われれば行くが、自分から「今日はここへ行くぞ!」と張り切るタイプではない。
子どもたちも成長し、中学生になると部活や塾、学校の予定がある。家族みんなで出かける機会は、以前より少なくなった。
それを寂しがり過ぎるでもなく、
「まあ、それはそれでいいですけどね」と笑う。
奥様の実家に近い鶴見に暮らして13〜14年。
子育ても家族に協力してもらいながら続けてきた。
派手な家族サービスを語るわけではない。
けれど、仕事も家庭も、無理に格好良く見せようとしないところに、不思議な安心感がある。
18歳で宮城を出て、知らない土地で働き始めた少年は、現場で料理を覚え、人に出会い、時には上司と喧嘩をし、転勤を繰り返し、家庭を持った。
そして今、長年一緒に働いてきた仲間と、自分たちの店に立っている。
「50代で何もしないために、今頑張る」
一見すると矛盾しているようで、実はとても筋が通っている。
走り続けるためではなく、いつか立ち止まるために走る。人生には、そんな頑張り方があってもいい。
今日も千葉さんは厨房に立つ。
きっと手際よく料理を作りながら、心のどこかでは、未来の自分がのんびり散歩している。
その日のために。
インタビュー後記
取材中、一番私の頭に残った言葉は、やっぱりこれでした。
「50代でおじいちゃんしたい」
何度思い返しても、いい。
50代といえば、世間的にはまだまだ「管理職としてバリバリ」とか「第二のキャリアへ」と言われそうな年代です。
そこを千葉さんは、堂々の「何もしないのんびり生活」。清々しい。
とはいえ、よくよく考えると、18歳から十分すぎるほど働いているんですよね。
今は「毎日楽しい」と話す姿が何より印象的。
3店舗を実現した頃には、「もう働かない」と言いながら、結局ちょこちょこ店に顔を出している気もします。
「ちょっと飯食いに来ただけだから」と言いながら、厨房が気になって仕方がない――。
そんな未来が、私には少し見えるのですが…笑
さて、本当に50代で完全なおじいちゃんになれるのか。
その答え合わせも兼ねて、これからもこのお店を見守っていきたいと思います。
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