自分の地元の区議や市議の活動って

表からはなかなか見えてこないもの。

区民ニュースCloseupでは

そんな議会の様子や議員の方々のリアル活動を

レポートしていきます。




備蓄マスクは?情報発信は?  コロナ禍での川崎市議会で起きていたこと。


ーーー2020年は、新型コロナウィルスによる未曾有の「厄災」に見舞われました。市政においては非常に多くの判断や行動力が普段以上に求められたことかと思います。


まずは緊急事態宣言の前後、4月5月のコロナピーク時は、市議会はどのような動きをされていたのか教えていただけますでしょうか。


青木議員(以下「青」):私はちょうど、川崎市議会の議会運営委員会で委員長をやらせていただいておりました。文字通り、議会を運営する立場の長でしたので、コロナ対応ではまさにど真ん中というか、三密を避けながらどうやって会議をするのか、といった点に苦慮していました。


ーーーそれだけ議論しなければいけないことが山積みだったと?


青:議論ももちろんですが、判断や決定ですね。例えば緊急を要する案件に対して、対応策や財源はどうするのか。議会の承認を得なくてもいいのかどうか、など。その方針決定のメンバーでした。


ーーーあの頃は、「集まる」という行為自体が社会的に禁忌でしたからね。実際には議会はどのように運営されていたのですか?


青:川崎市では、危機事象会議と言うのを設けました。市議会の議長、副議長、議会運営委員会の委員長、副委員長、そして会派が4つあるのですが、それぞれの代表の面々。基本はその人たちが集まって動いていました。


ーーーなるほど。密を避けて、ソーシャルディスタンスをとりながら、議会運営をされていたのですね?


青:基本はそうなのですが、実際に何かを決めるとなると、その担当や専任者や事情を理解している人が参加しなければなりません。やむなく人数が増えてしまう事はありました。


ーーーやはりそれだけ決定事項がたくさんあったと言うことでしょうか?


青:議会と言うのは、インフラが全て直結しているじゃないですか。水もやれば消防もあるし、病院や介護もあります。コロナだからといって、休むわけにはいきません。特にあの頃は、ご存知のようにマスクがないことが深刻な問題でした。消毒液やトイレットペーパーの買い占めなどもあったため、物資の調達に奔走していました。


ーーー具体的にはどのような対応をされましたか?


青:まずは市の備蓄倉庫ですね。何をどのくらい使っていいのか、どこに優先して回すのか、といった問題を含めて、市長や副市長、危機管理官を交えて決定し、対処していました。様々な意見はありましたが、あの時期にため込んでいてもしょうがなかったですからね、どんどんはき出していきました。

マスクに関しては、たまたまご縁のある方でマスクの取り扱いをされている業者の方や、寄付を申し出てくれた市民の方が多くいて、私が取りまとめただけでも、数万枚を市に寄付していただきました。

どこでもそうだったと思いますが、マスクの補給は大騒ぎでしたよ。




感染症対策で川崎市はトップレベルの情報を持っていた。その理由とは?


ーーー当時、市民の方々からは、他にどのような声が届いていましたか?


青:誰も経験したことがなく、先が全く見通せない状況でした。そういう意味では、とにかく情報が欲しい、と言うご意見をたくさんいただいていました。


ーーーその点はどういった対応をされていましたか?


青:国の感染症対策の座長で国立感染症研究所所長の尾身先生がテレビに出られていますが、あの方の前任の所長で岡部信彦先生と言う方がいらっしゃいます。実はその方が川崎市の感染症対策のセンター長に就かれていました。岡部先生は、国の対策会議にも出られていましたし、川崎市の会議の先頭に立ってくださっていました。おかげで我々は、他と比べてもレベルの高い知識を共有し、コロナに対応できていたと思います。例えば情報発信。混乱が生じないように皆さんが知りたい情報を出していく、しかもタイムリーに伝えていく必要がありました。感染の状況や発生場所、感染ルート、行動履歴など、マスコミも詳細を知りたいわけじゃないですか。個人情報を守りながら、どのように情報を提供するか、初期段階から統制が取れていたと思います。


ーーーパニックにならず、落ち着いてコロナ対応ができたと言うことでしょうか?トラブル等はありませんでしたか?


青:全議員が岡部先生のレクチャーを受ける機会が早い段階であったので、私たちはラッキーだったと思います。初期の頃はそれこそパニック状態でしたが、個人攻撃につながるようなトラブルや目立った事件は避けられたのではないでしょうか。


ーーーコロナを通じて見えてきた課題のようなものはありますか?


青:課題はたくさんありますが、そのひとつが障害者の方への支援ですね。お恥ずかしい話、私はこれまで深く関わってきてはいなかったのですが、日常や習慣が変化することで、障害者の方々は、健常者の何倍も苦労されます。毎日8時に来ていたバスが来ない。毎日話していた先生と話せない。それがいきなり停止したわけですから、ご本人にかかる負荷も保護者様のご負担も、相当なものがありました。どうしたらいいかわからない、助けてほしい、といった切実な声が多く届いていました。


ーーーいい解決策はありますか?


青:まずは情報をうまく共有することでしょうか。学校が休校になっても、幼稚園・保育園は休園になりませんでしたよね?学童が機能しているところもありました。同じように養護学校などでも、通学が全てストップしていたわけではありません。ただし、通常とは違い、時差登校するとか、隔日で行くとか、制服を着ないで登校するとか、学校ごとに変則ルールが設けられました。それらがうまく伝わっていなかったようなのです。学校に聞くと伝えたと言うし、保護者の方々は聞いてないと言う。救援策ももちろん考えていきますが、情報が正確に共有できる仕組みを作ることが大事だと痛感しました。




コロナホワイトな社会の実現を目指して。


ーーー現在注力していることや今後取り組まれる政策などについてお話しください。


青:今後は「afterコロナ」ではなく「withコロナ」になりますよね。その意味では「コロナホワイト」な社会を目指さなければいけません。常に密な空間を作ったり、会議ばかりしていると、あそこは「コロナブラック」だ、なんて言われかねないですからね。コロナの中でも持続可能で成長し、循環していくような社会を作る必要があります。代表的なところでは、リモートやデジタル化の推進でしょうか。私はその分野も得意で、5月6月くらいから取り組んできたのですが、行政というのはなかなか遅いんですよね。電子申請なども昔と比べれば進みましたが、withコロナ時代には追いついていないのが現状です。


わかりやすいところで言うと、保育園の申請書というのが手書きでした。年少さんから年中さん、年中さんから年長さん、年次が変わることに、同じ書類を手書きで出さなければいけません。毎年ですよ。なぜそんな必要があるのか、と聞いてみると、それによって、家庭の状況や子どもが虐待されていないかなどが垣間見える、というのです...わからなくもないけれど、時代に合っていないですよね。早ければ次年度から変更される予定です。


ーーー今後の抱負や未来への希望を込めて、最期に一言お願いします。


青:議会では一気に5年は進んだね、いやいや10年進んじゃったよ、と言われています。世の中の多くがそうなのでしょうけれど。急ブレーキをかけて止まった後に、急加速をしたみたいですよね。でも、日本人はそういう変化に強いじゃないですか。感染が他国よりも大きく抑えられているのは、上下水道の整備や清潔さへの意識の高さが大きいと思います。そういった強みを生かせば、未来は明るいことだらけですよ。


川崎で言えば、ステイホームで物流が変わり、小さな運送会社がたくさん生まれました。住まいの状況も変化して、地元での滞在時間が増えていく傾向にあります。そうするとやはり大事になってくるのが、水と食料。それが豊かな街が、これからは勝っていくでしょうね。加えて、学びと生活と仕事の3つがきちんとできること。さらに導線が繋がっていることが重要です。そんな豊かで利便性のある街づくりを目指して尽力していきたいと考えています。


ーーー本日はお忙しい中ありがとうございました。コロナ禍での市議の活動がよくわかりました。今後のご活躍を期待をしています。また機会がありましたら、お話を伺わせてください。


●青木のりお議員  プロフィール

昭和52年8月26日  高津区生まれ

1984年 川崎めぐみ幼稚園卒

1990年 洗足学園小学校卒

1993年 サレジオ学院中学卒

1996年 サレジオ学院高等学校卒

2000年 産業能率大学 経営情報学部卒

2004年 ボーマス大学 大学院(イギリス)国際経営学Dip取得


川崎市議会役職歴

まちづくり委員長

健康福祉副委員長


自民党川崎支部連合会役職歴

自民党川崎市議団副団長

自民党川崎市連副幹事長


★公式サイト

http://www.aokinorio.com/index.html





インタビュー:高木優一&長谷部なおき  写真:長谷部なおき(区民ニュース編集部)