終戦間近の1945年7月29日深夜、宇治山田市(現伊勢市)に1万数千発の焼夷弾が投下され、市域の約6割が灰となった。
当時10歳だった伊勢市常盤町の元教員横山公子さん(89)は家族と離れて、火の海の中を逃げ惑った。
79年が経過した今、「戦争は何も生まない」と、子どもたちに「宇治山田空襲」の記憶を語り継いでいる。
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