
キップス株式会社 田中 康雄専務
出身:東京都墨田区
大学:立教大学
2016年に創業100周年を迎えたキップス株式会社。墨田区に本社を構え、自社縫製工場を福島に構える縫製事業のスペシャリストです。大正5年から糸を紡ぎ、田中康裕社長が5代目を務めています。今回は、社長の息子にあたり、次期後継者候補の田中康雄専務に、家業を継ぐことの難しさと、未来を見据えた新たな挑戦について話を伺いました。
キャリアについて
インタビュアー(以下、イ):新卒から今の会社で働かれているのでしょうか?
田中専務(以下、田中):大学時代は親の会社で働くことになるとは一切考えていなかったので、就職活動をしてアパレルとは全く関係のない業種の会社に入りました。当時やりたいことが定まっていなかったので、内定が貰えそうな会社を片っ端から受けて、通った会社にそのまま入った感じでした。
イ:私もそうでしたが、殆どの大学生がそうですよね。大学生からやりたいことを見つけるのはとても難しいです。
田中:3年ぐらい働いて、また違う業種に転職しようくらいに考えていたので、今となって思えば舐めた学生でした。
イ:新卒で入った会社では、どんな仕事をされていたのですか?
田中:眼科の医院と協力して、コンタクトレンズの販売をしていました。
イ:ほんとに全く業種も仕事内容も異なりますね。その後、実家の会社に入ることになったのはなぜでしょうか?
田中:ちょうど新卒から3年経った頃、当時代表をしていた父の兄(専務から見た叔父)が怪我をしてしまい、急遽父が代表を継ぐことになりました。小さい会社ですから、役員も現場で営業をしに行くので、人手が足りなくなり、自分に声が掛かりました。まさか自分に回ってくるとは思ってもいませんでしたが、営業として働いていけばいいだろうくらいの本当にラフな気持ちで飛び込みました。
イ:今は働き始めてどれくらいですか?
田中:8~9年くらいです。入社から3年ほどして、会社の経営を視野に入れて、自分で考えて行動し始めるようになりました。
イ:なにかきっかけがあったのでしょうか?
田中:墨田区が運営する若手の後継者育成塾に参加したことがきっかけでした。墨田区内で様々な業種や年齢の方と仲良くなることが出来て、自分のマインドが変わりました。
会社を継ぐことについて
イ:後継者という言葉が出てきましたが、正直会社を継ぐことについてはどのようにお考えでしょうか?
田中:嫌です。何が嫌かというと、今、これだけ職業が色々あって、新しい仕事も出てくる中で、色々な選択肢があるにも関わらず、跡を継ぐ人間は職業の種類を選べないんです。仮に自分がケーキ屋さんをやりたいと思ったとしても、たまたまうちの会社が服を作っていたために、従業員さんや設備のことを考えると簡単に業種転換は出来ません。
イ:業種を選べないという制限についてはどのようにご自身の中で咀嚼されているのでしょうか?
田中:自分としてはフラストレーションが溜まる。それをどこで解消するかと考えた時に、既存の生産体制は維持する前提で、今ある工場の設備を活用して、自分がやりたいと思った領域に広げていくことが出来れば、今までにないものも出来るし、自分としてもやる理由が出来ます。跡継ぎである人間は職種は選べませんが、自由度はあります。
イ:今までの事業はしっかりと継承しながらも、自分の色も新たに追加していく。そのバランスを取ることが出来れば、後継者としてもやりがいを見出すことが出来るんですね。
アパレル業界の現状と抱える課題について
イ:アパレル業界の現状をどのように見られているのでしょうか?
田中:アパレルは加工業なので、人件費と光熱費が原価のほとんどです。今どちらも高騰してきている一方で、大量生産の低価格なファストファッションがあるので、販売価格を上げることは難しいです。国内で生産を続けていくなら、販売価格が非常に高いものでないと採算が合いません。
また、コロナを経て、普段の生活リズムが変わり、外に出ないでも仕事やプライベートの用事が済ませられるようになってきて、必要最低限の服の枚数が減っていくだろうと思います。この少ないパイを取り合うのは財力のある企業がするので、中小企業は違うところで勝負する必要があります。
イ:創業100年の歴史を持つ御社では、これまでも幾度となく変化が求められたのではないかと想像したのですがいかがでしょうか?
田中:時代の波に上手く合わせて乗ってきたところがあると思います。創業時は和服から洋服に変わるタイミングで肌着の製造が軌道に乗りました。そこから服の種類が増えるにつれて、婦人服とベビー服に力を入れるようになり、アパレルブランドが乱立するようになると大手企業と一社専属契約を頂けるようなこともありました。服の需要が衰えると価格競争が激化し、大手企業がメイドインジャパンにこだわることが難しくなるため、お取引様も変わってきています。
イ:御社としての課題はどういったところにあるのでしょうか?
田中:1つは今話した変化ですが、もう1つは「技術の承継」です。福島県の自社工場で1点ずつミシンを使って縫製を行っているのですが、従業員の数を維持し、技術を承継していくには工夫が必要です。縫製は技術が必要である上、職場も地方になるため、なるべく賃金を上げたいところですが、服の販売価格を上げられない以上、それは厳しいのが現状です。行政と連携した地方創生やアパレル以外での新たなビジネスによる利益の分配など検討を急がなければいけません。
イ:田中専務の時代が大きな節目になる可能性もあるということですね。
田中:昨今はVUCA(ブーカ)時代と呼ばれており、先行き不透明で将来の予測が困難です。今まで培ってきた経験も全く無意味になってしまう可能性もあります。思い切った市場の転換で本業を支える副業が必要になるかもしれませんし、副業が本業に移り変わることもあるかもしれない。そのために、これからの経営において「臨機応変」「柔軟性」ということを意識しています。その実験的位置づけとして、私主導で新たな2つの取り組みを進めています。
未来に向けた挑戦
イ:新たな挑戦について具体的に教えてください。
田中:大きく分けて2つ、「自社ブランドの立ち上げ」と「空間提供サービス」を始めています。
イ:1つ目の「自社ブランドの立ち上げ」について教えてください。
田中:キップスワークス、リベーセル、オフローバフカンパーニーズという3ブランド(※)を立ち上げました。それぞれ作業着関係、インテリア関係、お風呂関係とコンセプトは異なりますが、目的は同じです。当社のような縫製業は、どこのブランドの服を作っているということを大々的に公表できないため、自社技術の宣伝が難しいという課題があります。そこで、自社ブランドを作り、広告として活用することで、本業の受注に繋げていくというやり方を目指しています。
※各ブランドについて
1)kips works(キップスワークス)
職種に合わせた、オリジナルワークウェアの制作
2)ReVessel(リベーセル)
刺繍の技法を用いた、インテリアとして使えるサステナブルなデザインプロダクトの制作
3)off-low-buff-companys(オフローバフカンパニーズ)
墨田区の特徴である銭湯とモノづくりの文化を融合させた、サウナ&銭湯用アイテムの制作
イ:自社ブランドの立ち上げは何かきっかけがあったのでしょうか?
田中:墨田区の経営者塾で仲良くなった方から、Tシャツの依頼を受けたところから、キップスワークスに繋がるオーダーメイドの作業着の制作が始まりました。最初は社名入りのTシャツを作るだけのつもりが、改良を重ねるうちに作業着へと昇華されていました。
イ:インテリアを扱うリベーセルについても伺いたいです。
田中:ワインボトルに着せる形で、ニットの花瓶を作りました。ワインボトルはガラスなのでリサイクル率は高いですが、原料に戻して、同じものを作り直すだけなのでつまらないなと思い、デザイン性があって、かつサステナブルなものというテーマで制作しました。今年の4月にはミラノのミラノサローネという展示会で、スタジオを借りて出展をしてきました。
イ:服の売り上げには直接繋がらずとも、会社の技術の高さやユニークさ、SDGsへの取り組みのPRにはうってつけですね。
田中:ニットだけを受注で作っていた会社が、それを主軸としながら、様々なグッズを作って販売するという全体的なライフスタイルブランドを生み出して、ニット以外も作る・売るという経験値を得られるため、自社ブランドの展開はした方がいいと考えています。
また、国内縫製工場の技術は一定水準に達しており、当社で言えば薄い生地が得意など各社得意不得意はあるものの、技術力だけで差別化を図るのは難しくなってきています。そこで、求められるのが、顧客とのコミュニケーションでどれだけ意図を汲み取り、OEMの受注ではありながら、製造過程で違和感のあるところはこちらからも意見を出せるということだと思うので、自社ブランドを通して伝えていきたいです。
イ:先ほどキップスワークスの作られた作業着を見させて頂きましたが、袖や裾、脇の部分まで生地の素材を変えて、着る方の目的に合わせたディテールの拘りに驚きました。技術もさることながら、着る方への深いヒアリングを感じました。
田中:ありがとうございます。
イ:続いて2つ目の「空間提供サービス」について教えて下さい。
田中:今年本社の建て替えを行った際に、家庭のリビングをイメージしたスペースを作りました。ここは打合せをする会議室でもありますが、近隣の事業者向けに展示会や写真撮影のスペースとしてレンタルも出来るようにしています。特に使用用途は絞らず、業種もアパレル限定ではありません。
たとえばアパレルの場合、個々のブランドがマンションの一室を借りて展示会を開き、営業をするようなことをしているので、このスペースを使ってもられば良いと思います。この場所で商談が生まれた際に協力できることがあれば手伝ったり、他社の方と繋がりが生まれてコラボをしたりといったことが出来る装置になることを期待しています。
イ:こちらのスペースは誰でも使えるのでしょうか?
田中:はい、どなたにでも使って頂けます。最近、ハウススタジオとしてドラマの撮影の連絡がくることもあります。色んなことで使えるように作った空間なので、まずは近場の会社の方に使ってみて頂きたいです。
ビジョンについて
イ:自分のやりたいことをしながらも、ビジネスを大局的に俯瞰されているバランスがすごいと感じました。そんな田中専務が描く、会社のビジョンについて教えて下さい。
田中:売り上げを伸ばすというところは会社をやる以上目的にはなってきます。ただ、縮小している業種ではあるので、短期的な会社の規模の拡大というのはリスクがあるので、「維持」していくこと最優先事項と捉えています。
イ:未来に向けた取り組みが、いつどのような形で花を咲かせるか楽しみですね。
田中:もう一つ、会社とは別に、墨田区の経営塾の同期で「継創(ツギヅクリ)」というグループを組み、「〇〇の継ぎを創る」をテーマに活動をしています。『ものづくりのまち』墨田区には家業を持って生きている人が沢山いますが、オリジナル商品やプロダクトを作りたいけど出来ないなど悶々としている人もいます。昨年は、新規事業や取り組み事例、家業ヒストリーの紹介を通じて交流を図れるようなトークイベントを開催しました。
イ:田中専務のように若手の事業承継者の方たちは共通の悩みを抱えていらっしゃるんですね。
田中:そうですね。若手が率先して全体を引っ張っていくと、皆さんのヒントになるだろうし、地域活性にもなる。墨田区にビジネスや観光を目的に人が集まるようになれば、企業の承継もしやすくなっていくので、そういうことにも力を入れていきたいです。
イ:会社としてのビジョンと後継者としてのビジョンについて教えて頂き、ありがとうございました!これからの御社と田中専務の益々のご発展をお祈り申し上げます。
インタビュー後記
家業を継ぐのは嫌です、という言葉を聞いた時はドキッとしましたが、そこからの田中専務の発想の転換がとても面白かったです。本業の主軸は残しながらも、自分のやりたいことを融合させて、自分がやる意味を創造していく。私には真似できない、経営者ならではのバランス感覚を感じました。また、アパレル業界の現状を伺うと、想像以上に逆風にさらされていることも痛感しました。ただ、田中専務は悲観視しているわけではなく、ポジティブな意味で「維持」という言葉を使われていました。新たな挑戦から生み出される臨機応変な経営が、これからこの会社をどこへ導いていくのか。行先未定の電車の切符が、まもなく田中専務によって切られようとしています。
お問い合わせ
キップス株式会社
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*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。