「伸夫」という名に込められた、丈夫に伸びる人生
二宮伸夫さんの名前には、家族の歴史がある。
祖父は「しずお」、父は「せつお」、そして自身は「のぶお」。三代にわたり「お」の音が受け継がれた。伸びるという字に、夫。丈夫に伸びろ。そんな願いを込めて、祖父が名づけてくれたという。
生まれ育ったのは東京都大田区池上。先祖は大分にルーツがあり、今も親戚との交流は続いているが、二宮さん自身にとっての原風景は東京だ。
東京の魅力を尋ねると、二宮さんは少し意外な答えを返した。
「東京の人は、知らない人にも優しいんです」
東京は冷たい。そんな言葉を聞くことがある。けれど二宮さんの目には、東京はむしろ、見知らぬ人同士が気を配りながら暮らす街に映っている。
全国から人が集まる。文化も価値観も違う。だからこそ、お互いにうまくやろうとする。身近な人だけでなく、知らない誰かにも配慮する。その空気が、東京の大きな魅力だという。
この感覚は、現在の仕事にもつながっている。
ただ部屋を貸すのではない。そこで過ごす時間を支える。部屋が良かった、ではなく、この街での滞在が楽しかったと言ってもらう。
「東京コンシェルジュ」という名前には、そんな思いが込められている。

氏 名:二宮 伸夫(にのみや のぶお)
生 年:1968年
出身地:東京都大田区池上
現 職:株式会社トラストインフィニティー 代表取締役
事業内容:マンスリーマンション「東京コンシェルジュ」運営、ホテル・民泊事業、ホテル再生コンサルティング
経 歴:オリックス株式会社 → 上場企業管理部門 → リゾートホテル再生→不動産・ホテル運営会社社長 → 独立
現在の目標:全国へ事業を展開し、「暮らし方」を提案するコンシェルジュサービスを実現
ピッチャーで四番、慶應へ。でも本当は九九ができなかった
子どもの頃の二宮さんは、いわゆる文武両道だった。
大田区の公立小学校に通いながら、ソフトボールでは区のチャンピオン。ピッチャーで四番。さらに中学受験で慶應へ進学した。
ここだけ聞くと、漫画の主人公である。しかも序盤から強すぎるタイプ。こちらとしては「いや、善人承継って、一般人を輝かせる企画なんですけど」と一度ツッコミを入れたくなる。
ただし、本人は最初から何でもできたわけではないと言う。
小学二年生の頃、掛け算の九九ができないと見られていた。そこから祖父が朝六時から付きっきりで勉強を見てくれた。
ソフトボールも、最初から強いチームだったわけではない。勝負弱いチームが、努力を重ねてチャンピオンになった。
つまり、ドラえもんの出木杉君に見える二宮少年の裏側には、かなり泥くさい努力があった。
父には、息子をプロ野球選手にしたいという思いがあった。
小学校一年生の机には、慶應中等部の過去問が置かれていた。
サンタクロースは頼んでもいない野球道具を持ってきた。これはもう、サンタというよりスカウトである。
二宮さんは中学、高校、大学と野球を続ける。大学一年時には、慶應義塾大学野球部で日本一を経験した。
そこで出会った監督の存在は大きかった。
意味のない声出しはいらない。プレーに集中しろ。必要なのは、確認と指示の声だ。そう教える監督だった。
さらに、一芸に秀でた選手を活かすのがうまかった。打つだけ、走るだけ、守るだけ。完璧ではない選手たちの強みを組み合わせ、チームとして勝つ。
二宮さんは、そこにマネジメントの本質を見た。
人は欠けているところで判断するものではない。何を持っているかを見極め、どう活かすか。
後のホテル再生や会社経営にも、この考え方は深く通じている。

「お前のためにやれ」若き日の自分にかけたい言葉
今の二宮さんが、若い頃の自分に声をかけるなら。
答えははっきりしていた。
「お前のためにやれ。父親のためじゃない」
二宮さんには、横浜高校で野球をしたかった時期があった。初めて見た高校野球が横浜高校の試合で、その姿がたまらなく格好良く見えた。
けれど、親が悲しむだろう。そう考えて、口に出せなかった。結果として慶應高校へ進んだ。
もちろん、その道にも感謝はある。けれど、自分の意思をもっと強く持てばよかったという思いも残っている。
大学野球でも、忘れられない悔しさがある。
法政大学戦。ツーアウト二塁。ここで一本打てば点が入る。代打で使われた。
相手はのちにプロへ進む投手。キレのあるスライダーが内角に飛んできた瞬間、身体が逃げた。
そして、見逃し三振。
悔しかったのは、三振そのものではない。準備をしていなかった自分だった。
いつかチャンスが来るかもしれない。相手投手はどんな球を投げるのか。自分はどう打つのか。そこまで想像して練習していなかった。
「同級生の中では上手い方だから、いけるだろう」
その甘さが悔しかった。
エリートに見える人生にも、本人にしか分からない後悔がある。
二宮さんの場合、それは「自分の人生を、自分の意思で戦えていたか」という問いだった。

赤字ホテルで学んだのは、数字よりも人だった
大学卒業後、二宮さんはオリックスに入社する。金融、不動産、不良債権処理。数字で物事を考える力を磨いた。
その後、上場企業へ移り、管理部門や経営企画を担う。そして大きな転機が訪れる。
赤字続きのリゾートホテルの再生を任されたのだ。
毎年約三億円の赤字。大手が運営してもうまくいかない。株主総会でも厳しく追及される。
そこで二宮さんが総支配人として現地へ行くことになった。
二宮さんはホテルマンではなかった。方言も分からない。ホテル業界の言葉も分からない。年上の現場スタッフからは厳しい目で見られた。
総支配人室にホテル用語辞典を投げ込まれたこともある。
普通なら心が折れる。少なくとも筆者なら、用語辞典の厚さを見た時点で一度帰る。
だが、二宮さんは現場に入った。
客室に住み、皿洗いをし、送迎をし、レストランに立った。
二百人で回していた運営を百人で回せるようにするため、自分も一人の戦力として各現場に入った。
一方で、単なるコスト削減では終わらせなかった。
そのホテルの価値は、部屋ではなく海水にあった。海水、海藻、海の泥を使い、女性を美しく健康にするタラソテラピー。
日本人が価値を感じにくい「海水」を、どう価値づけるか。
二宮さんは、自らサービスを受け、料理を食べ、送迎の運転手としてお客様の本音を聞いた。お客様目線でサービスを磨いた。
結果、ホテルは黒字化した。
ただ、二宮さんが本当に学んだのは、数字の作り方だけではなかった。
地元との関係である。
そのホテルは、地域とうまくつながれていなかった。
二宮さんは地元の店に足を運び、地元の人に教えてもらい、ホテルのお客様を地域の飲食店や観光へ送り出した。
うちのホテルだけでお金を使ってください、ではない。この地域には、こんなに面白い場所がある。こんなに美味しい店がある。そう伝え続けた。
すると、地域の人たちも変わっていった。
ホテル単体ではなく、地域全体でお客様を迎える。二宮さんはこの経験から、「場所の価値は、そこで暮らす人や街と一緒に作るものだ」と知った。


部屋を貸すのではなく、暮らしを支える
リゾートホテル、久米島のホテル、軽井沢のホテル再生。二宮さんは、うまくいかない事業を立て直す仕事に関わってきた。
そして、前職のグループで最も苦戦していたマンスリーマンション事業にも携わる。二百室弱で赤字だった事業を、約三千室規模へ伸ばした。
その後、独立。株式会社トラストインフィニティーを設立し、東京コンシェルジュを始めた。
マンスリーマンション業界で、二宮さんが感じた違和感がある。
不動産業界では、物件を持つ人、持とうとする人がお客様になりやすい。借りる人、住む人は、手続きが終わると関係が薄くなる。
でも、ホテルは違う。滞在している人のために動く。
ならば、不動産にもホテルのマインドを持ち込めないか。
東京コンシェルジュが目指すのは、ただ部屋を貸す会社ではない。お客様がその街で過ごす時間を、安心で楽しいものにする会社だ。
「いい部屋を紹介してくれてありがとう」ではなく、「この街での滞在が楽しかった」と言ってもらう。
現在は東京に加え、札幌や熊本にも展開を広げている。今後は地方大都市、ホテル、民泊、そしてリゾート事業にも挑戦したいという。
さらに、二宮さんが構想しているのは「ライフスタイルの提供」だ。
熟睡できる部屋。勉強に集中できる部屋。スポーツ観戦を楽しむ部屋。サイクリングライフ、ゲーム、筋トレ、ゴルフ。さまざまな目的に合わせたコンセプトルームを作り、お客様が望む暮らしを選べるようにする。
部屋を探す時代から、暮らし方を選ぶ時代へ。
二宮さんの挑戦は、まだ途中だ。
五年後の自分に声をかけるなら。
「今より元気で、明るく楽しく笑顔でやっていろ」
その言葉が、二宮さんらしい。
成功しているかどうかより、楽しんでいるか。人を楽しませる側が、まず楽しんでいるか。
かつてヘリコプターを操縦させられたお客様に、「仕事の方が簡単だろ。じゃあ楽しんでやれ」と言われたことがある。
その言葉は、今も二宮さんの中に生きている。

未来を担う新社会人へ
人の幸せを喜べる人であってほしい。
二宮さんが新社会人に伝えたいことは、実にシンプルだ。
自分以外の誰かの幸せを喜べる人であってほしい。人を幸せにしたら、自分も幸せになれる。人を輝かせることができたら、自分も輝ける。
そして、二宮さんにとっての善人とは。
「人が輝くことを、心底から喜べる人」
結果は自分に返ってくる。だから心配せず、人のことを思えばいい。
この言葉に、二宮伸夫という人の人生が詰まっている。
インタビュー後記
正直に言うと、インタビュー前の私は少し構えていた。
慶應、オリックス、上場企業、ホテル再生、会社経営。
経歴だけ見ると、善人承継というより「偉人紹介」である。こちらの企画は、普段スポットライトが当たらない人を照らすものだ。
すでにスポットライトどころか、業界誌の照明まで浴びている人をどう書くのか。
ところが話を聞いていくと、見えてきたのは肩書きではなかった。
九九ができなかった少年。
父の期待に応えようとした野球少年。
代打で腰が引けた大学生。
ホテル用語辞典を投げつけられた総支配人。
短パンでモズクを取りに行くホテルマン。
そして最後に残ったのは、「人の幸せを喜べる人でありたい」という、驚くほどまっすぐな言葉だった。
二宮さんは、街を売る人ではない。街を好きになり、その好きな気持ちを人に渡す人だ。
たぶんこの人に街を案内されたら、ただの路地も名所になる。普通の定食屋も、旅の目的地になる。
場合によっては海水までありがたく見えてくる。これはもう、コンシェルジュというより、街の翻訳家である。
善人承継にふさわしいかどうか。
最初は少し迷った。
でも今は思う。
人を輝かせることを心底喜べる人なら、どれだけ実績があっても、やっぱり善人だ。
構えて話を聞いていた私の姿勢が、次第に前傾になってワクワクしてたことが、それを証明しているじゃないか。
お問い合わせ
東京コンシェルジュ
(株式会社トラストインフィニティー)
〒105-0004
東京都港区新橋2丁目14-4 Rビル6階
TEL:03-6205-4821
HP:https://tokyo-concierge.jp/company
*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/07/10(金)