2017年の『孤独死大国〔予備軍1000万人時代のリアル〕』、2019年の超孤独死社会〔特殊清掃の現場をたどる〕』に続き、

コロナ禍の2020年『家族遺棄社会〔孤立、無縁、放置の果てに。〕』を上梓したノンフィクションライターの菅野久美子さん。

孤独死問題の第一人者がコロナ禍で見た“沈没する社会”の現実についてお話を伺いました。


プロデュース:高木優一

文・写真:長谷部なおき

区民ニュース編集部


孤独死に取り組んだきっかけ

ーーー“孤独死”という概念は、日本の高齢化が問題視され始めた1970年代に誕生した。しかし、それが社会問題化したのは2000年以降のこと。マスコミが特集を組んで報道するようになったのはつい最近の話である。その凄惨でやりきれない実態を菅野さんの著書「孤独死大国〔予備軍1000万人時代のリアル〕」で初めて知った方も少なくないのではないだろうか。菅野さんがこのテーマに取り組んだきっかけを伺った。


菅野:最初はただの興味本位でした。大島てるさんが主催する「事故物件」のイベントに参加して、他の参加者と一緒にキャーキャー言ってるような感じだったんです。ところが何度か参加するうちに、大島さんと意気投合し、一緒に本を出すことが決まったんです。そこで本の取材のために、大島さんからホットな事故物件の情報をもらい、現地を見に行くようになりました。※1  すると、事故物件ほとんどが孤独死であることがわかってきました。え、また?孤独死ってこんなに多いの?と衝撃を受けました。特殊清掃業の方や事故物件専門の不動産業の方とも親しくなり、話を伺う機会に恵まれました。そうした方々の証言なども交え、この問題を包括的に捉えてみようと思ったのです。

※1  〔大島てるが案内人〕 事故物件めぐりをしてきました(https://www.amazon.co.jp/dp/B06WD1GWJY/ref=dp_kinw_strp_1


ーーー孤独死と聞くと、多くの方は、高齢で独居の方がひっそりと亡くなるイメージがあるのではないだろうか。貧困も大きな要因だ。阪神・淡路大震災後に被災者の孤独死が問題になったとき、そうした報道が多かったせいだろう。しかし、菅野さんが目の当たりにした現代の孤独死は、その頃とは大きく異なる様相を呈しているという。


菅野:私も当初は、高齢と貧困が孤独死の背景にあると考えていました。ところが取材を通じてわかってきたのは、60代以下の方が少なくないということ。高齢者の問題というだけではなく、私たち現役世代もかかわる問題なのだと実感しました。孤独死現場も以前はアパートや賃貸住宅が多かったのですが、分譲マンションや戸建住宅で亡くなっているケースが増えたように思います。最近では、タワーマンションの上層階や高級住宅地の戸建てなど、いわゆる資産家に属する方々の孤独死も目のあたりにしました。高齢や貧困は一要因に過ぎず、多岐にわたる社会の階層で孤独死が起こり始めています。


ーーーでは、その背景には何があるのだろうか。


菅野:結局は“孤立化”なのだと思います。長期間他人とつながりを持たなくなって、社会から分断され、孤立化する。その先に孤独死があります。ではそれがどのように起こるのかと言えば、核家族化、熟年離婚、生涯未婚率の増加、8050問題など、さまざまな要因が挙げられます。普通に生活していた人が、ある時期仕事がうまくいかなかったり、パワハラを受けるなど、ちょっとした躓きで引きこもりになるケースがあります。するとやがて人間関係が絶たれ、孤立化していきます。そういった意味では、だれにでも起こりうることだと言えるでしょう。


コロナで一変した孤独死の現場

ーーーコロナ禍では、人と人との“分断”が進み、人に会う機会も減った。ソーシャルディスタンスは、孤立化する人と社会の距離を更に遠ざけた。その結果、孤独死の現場も一変したという。


菅野:亡くなってから遺体が発見されるまでの時間が、以前の比ではなくなりました。2020年、孤独死保険などを手掛ける日本少額短期保険協会の孤独死対策委員会が発表した第5回孤独死現状レポートによると、孤独死の平均発見日数は17日。1ヶ月や2ヶ月、更にはもっと長期間発見されないケースも出てきました。その結果、以前ならば床の張替えで済んでいた特殊清掃業者の作業は、部屋のフルリフォームまで必要になるケースが増加しています。亡くなった方の体液が床材の下まで染み込み、部屋全体を侵食してしまうのです。コロナ禍では、地域の見守りが機能しなくなり、民生員や町内会などの地域活動も益々難しくなっていますし、個人情報保護法の壁も大きくなっています。平均値以上に長期間気づかれない孤独死が激増したと感じた1年でした。


ーーー緊急事態宣言で社会が活動を停止する中、人知れず人生を終えた人々。第一発見者は家族や親族以外がほとんどだという。孤独死は、いちばん親しいはずの血縁からも分断されている。親の遺体の引き取りを拒否する子どもや、近くに住んでいても関わりたくないと拒絶する親族も少なくない。家族からも、社会からも切り離され、“遺棄”された人の死が、そこにはある。孤立、無縁、放置。その成れの果ての孤独死から菅野さんが読み取ったのは、現代版の姥捨て山。「家族遺棄社会」という衝撃的な現実だった。


菅野:取材をしていて実感したのは、親を捨てたい子ども、捨てられた親、それぞれが、やむにやまれぬ事情を抱えているということでした。家族代行業に依頼する高齢の親を捨てたい子どもは、一見傍から見ると非情のように見えるかと思いますが、子供の側は、やむにやまれぬ事情を抱えているのです。私自身、親から虐待された経験があるので、その心境がとてもよく理解できます。親が重い人たちもいるということを知ってほしい。日本青少年研究所の2015年高校生調査では、「どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい」という割合は、中国が9割、米国と韓国は5割台に対して、日本は4割を切っていて、最下位です。そんないわば「迷惑な」親族も元気なうちはともかく、高齢になると介護の問題だったり、亡くなった後は葬儀、納骨はどうする?など、当事者にとって目に見える大きな負担となって現れてきます。そうした方々と直接関わっておられるカウンセラーや法律家、家族代行サービス業、終活問題を追い続けている新聞記者、社会問題に詳しい著述家の方などに話を伺いましたが、閉塞感は増すばかり。日本の社会構造の必然として無縁社会に拍車がかかり、避けようのない家族遺棄社会が生まれてしまったように感じます。孤立化がどの階層にも浸透したせいで、社会全体で沈没が起こっているような感覚があります。本書のあとがきにも書きましたが、取材をすればするほど、途方もなく巨大な穴倉の中にいるような感覚になり、こうした社会とどう向き合えばよいのか、答えが見つからずに考え込んでしまいました。




壮絶な死を伝え続ける

ーーーそれでも菅野さんは、この問題を直視し続ける。ゴミに埋もれて遺体が見つかった部屋、尿入りのペットボトルが並んだ部屋、犬に体を食べられたOLの部屋、そんな壮絶な現場を取材し、世の中に発信し続ける。菅野さんの意欲と情熱はどこから来ているのだろうか。


菅野:中学生のとき、私はいじめに会い、不登校になり、2年間に亘って引きこもっていた時期がありました。心から寄り添ってくれるカウンセラーの方に出会い、私は運良く抜け出すことができましたが、取材を通じて目にする孤独死は、私だったかもしれない、と思うことがあります。部屋に足を踏み入れたり、ご遺族に故人の抱えていた生きづらさについてお話を聞くと、引きこもっていたときの焦燥感、絶望感、苛立ち、不安、さまざまな感情が湧き上がってくることもあります。孤独死した人への共感、他人事として切り離せない思いが、この取材を続けている理由なのかもしれません。


ーーー部屋に残る生と死の痕跡。遺族や近隣住民の証言。特殊清掃人の視点。それらを通して死者と対峙する菅野さんは、声なき声の代弁者だ。悲痛な思いや無念の叫びが、著書にはにじみ出ている。最後に、執筆活動を通じて菅野さんが最も訴えたいことを伺った。


菅野:第一には、知ってほしいということ。勘違いしてはいけないのは、一人でお部屋で亡くなることが悪ではないということです。先日の取材した事例は50代の男性で、おひとり様でした。ご自宅で亡くなられたのですが、こちらは在宅医の先生が入っており、ケアマネやヘルパーさんも頻繁に訪れていたため、ご遺体は暖かいまま発見されました。生前も、なるべく本人の希望を叶えようと懸命に寄り添ってくれる人たちがいました。しかし、反対に特殊清掃が入るような孤独死だと、ごみ屋敷の中、誰にも気づかれずに亡くなっている。遺体も腐敗していることがほとんどだし、中には餓死や凍死といった痛ましい事例もある。そういったケースだと親族も寄りつかないので、ひっそりと人知れず行政に処理される。そんな事例が実は世の中にごまんとある。しかし、これだけ孤立が進んだ世の中だと、誰もが当事者になりうる問題です。知ることで変わってほしいという思いはあります。そもそも、隣の部屋で起きているかもしれない出来事に、多くの人が無関心でいることへの憤りもあります。こんな社会でいいのか!と。昔には戻れないかもしれませんが、人と人との新しいつながりや、これまでなかったような地域での支え合いなど、孤立を防ぐ仕組みやルールができることを願ってやみません。


ーーー相続のコンサルタントである区民ニュース代表の高木優一も孤独死の現状をいち早く看破し、その増大を憂いていた。自身のラジオ番組やコミュニティで菅野さんの著書を紹介した。すると、ある自治体の議員の目に止まった。あまりの内容に驚愕した件の議員は、高木に詳しい話を聞き、菅野さんの著書を政治家グループの勉強会の題材にしたいと伝えてきた。「知ることで変わってほしい」という菅野さんの思いは、そうやってつながって大きくなっていく。“死ぬときは誰もが一人。”とは「超孤独死社会」の帯に書かれた言葉だ。たとえそれが真理だとしても、孤立を防ぎ、気づかれない死を防ぐことはできるのではないだろうか。菅野さんの渾身の著書が、より多くの人の目に触れ、社会全体の動きにつながることを祈るばかりである。




●菅野久美子

1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション作家。出版社の編集者を経て、執筆家に。 著書に『家族遺棄社会  孤立、無縁、放置の果てに。』、『超孤独死社会  特殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『大島てるが案内人  事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。ウェブニュース、雑誌、新聞等で多数の記事を執筆している。


家族遺棄社会  孤立、無縁、放置の果てに。

(角川新書)

Amazon.co.jpによる


超孤独死社会  特殊清掃の現場をたどる

(毎日新聞出版)

Amazon Services International,  Inc.による


孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル

(双葉社)

Amazon Services International,  Inc.による