
「あなたの口は何のためについてるの」無口だった秋田の少年
塚田悠佑さんは、秋田県で生まれ育った。
子どもの頃の塚田さんは、今の穏やかで柔らかな語り口からは少し想像しにくいほど、無口な少年だったという。
小学校は1学年1クラス。20人ほどの小さな学校。ある日、先生に呼び出され、こう言われた。
「あなたの口は何のためについてるの?」
なかなか強烈な一言である。今なら職員室が少しざわつきそうだが、塚田さんはその言葉を今でも覚えている。
ただ、彼はその言葉を恨んではいない。
「言ってくださった先生もありがたい。でも、今の自分が当時の自分に声をかけるなら、“そのままでいい”って言います」
外で走り回るより、砂場で山を作る。
ウルトラマンの人形で遊ぶ。
絵を描く。
父が勤めていた紙の工場から持ってきてくれたA4用紙に、ドラゴンボールやドラえもんを描き続けた。
静かな少年だった。でも、静かなだけで、何も持っていなかったわけではない。
心の中には、ちゃんと”色”があった。

名 前:塚田悠佑(つかだ・ゆうすけ)
出 身:秋田県
在 住:鹿児島県鹿児島市加治屋町
職 業:ビジネスホテル勤務
活 動:Art Exhibition『TSUKA FES』主催
音楽が、静かな少年のスイッチを入れた
中学、高校になると、塚田さんの中で音楽が大きな存在になる。
X JAPAN、Hi-STANDARD、GOING STEADY。ロックやパンクの激しい音に触れ、やがてバンドを始めた。
普段は静かな人間が、ステージに立つと変わる。
「お前ら聞いてるのかー!もっと盛り上がれー!!」
マイクを握って叫ぶ塚田さん。
まるで『こち亀』の本田さんがバイクに乗ると人格が変わるように、音楽が彼のスイッチを入れた。
無口だった少年は、音楽に背中を押されて、人前で声を出すことを覚えた。
その後、社会人になった塚田さんは、秋田で事務職に就く。しかし、その会社は1年ほどで倒産。本人は当時を振り返り、「また遊べるな、くらいに思っていた」と笑う。
その後、飲食店で働き、系列店のヘルプで兵庫へ向かった。秋田から関西へ。神戸、大阪、京都。遊ぶ場所も、人も、文化も一気に広がった。
仕事で行ったはずなのに、関西が楽しかった。
そして塚田さんは、秋田へ戻らず、その地に残ることを選ぶ。
そこで出会ったのが、ビジネスホテルの仕事だった。

鹿児島が、人生を形づくった場所になった
関西のビジネスホテルで約10年働いた頃、勤め先のホテルが売却されることになった。
辞めるか。それとも、本社のある鹿児島へ行くか。
塚田さんは思った。
「10年くらい勤めた会社だしな。いっちょ九州に行ってみるか」
この軽やかな一歩が、人生を大きく変える。
鹿児島に来た当初、土地勘はなかった。職場に近いという理由で加治屋町に住み始めた。けれど、住んでみると中央駅も近い。天文館も近い。歩いてどこへでも行ける。
そして何より、鹿児島という土地が肌に合った。
「いろんな場所に住みましたけど、ダントツで鹿児島です。自分の人生を形成してくださったのは鹿児島だなと思います」
秋田で生まれ、関西で働き、鹿児島へたどり着いた塚田さん。
普通なら「転々としてきた」と言うかもしれない。
でも、彼の話を聞いていると、転々ではなく、点と点が少しずつ線になっていったように感じる。
そして、その線が大きく結ばれた場所が、鹿児島だった。

ギャラリーでの5年が、すべてを変えた
塚田さんの人生において、特に大きな転機となったのが、2019年から2023年まで勤めた天文館のギャラリーだった。
それまでビジネスホテルの夜勤をしていた塚田さんは、30代半ばになり、生活リズムの面から昼の仕事を望むようになる。上司に相談すると、会社が運営するギャラリーの受付を勧められた。
美術館やギャラリーに通っていたわけではない。専門知識があったわけでもない。
それでも塚田さんは、いつものように「ちょっと行ってみるか」と一歩踏み出した。
その一歩が、人生を変えた。
ギャラリーでは、作家、イラストレーター、クリエイター、表現者たちと出会った。展示の準備、作品の見せ方、人とのつながり、場をつくる面白さを知った。
「2019年から2023年のギャラリー時代がなかったら、今の僕は間違いなくないです」
塚田さんはそう言い切る。
ギャラリーを離れる時、最後の思い出作りとして、お世話になった作家たちに声をかけ、小さなマルシェのようなイベントを開いた。
それが「TSUKA FES 2023(ツカフェス)」だった。
最初は、塚田さんのお別れ会のようなものだった。
しかし、そこに出たかったという声が届いた。
だったら、翌年はもっと広い場所でやってみよう。
自分のためではなく、クリエイターが主役のイベントにしよう。
そうしてツカフェスは、塚田さん個人の思い出から、鹿児島のアートシーンを支える場へと育っていった。
2024年には約80組の作家が参加。
2025年、2026年へと続いていく。
塚田さんは言う。
「若手のクリエイターの方たちは、作品発表の場を求めているんです。続けていけば、自然と鹿児島の文化の盛り上がりにもつながっていくんじゃないかなと思います」
最初から大きな理想を掲げていたわけではない。
ただ、人に喜んでもらえた。
必要としてくれる人がいた。
だから、続ける。
この自然体の熱量が、塚田さんらしさなのだと思う。


あきらめない先にあった、感謝という生き方
塚田さんが好きな言葉に、『SLAM DUNK』の安西先生の名言がある。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」
この言葉は、仕事でも、プライベートでも、ずっと心の片隅に置いてきたという。
ツカフェスを続けていると、もちろんうまくいかないこともある。会場のこと、予算のこと、出展者のこと。頭を抱えることも少なくない。
それでも、やめようと思ったことはない。
なぜなら、楽しみにしてくれる人がいるから。
出展してくれる作家がいるから。
一緒に走ってくれる仲間がいるから。
「あきらめなかったら、何かしら次につながると思うんですよね。」
その言葉は、どこか塚田さん自身の人生そのものを表しているようだった。
秋田を出たことも。
関西に残ったことも。
鹿児島へ来たことも。
ギャラリーへ飛び込んだことも。
そして、ツカフェスを始めたことも。
どれも最初から答えが見えていたわけではない。
それでも、一歩踏み出し、続けてきた。
だからこそ、今の塚田さんがいる。
そして、その先にたどり着いたのが、「感謝」という生き方だった。
父の背中が教えてくれた「感謝」の生き方
塚田さんには、忘れられない一枚の写真がある。
数年ぶりに秋田へ帰省した時のことだった。
父は70歳を過ぎていた。多くの人が第二の人生をゆっくり過ごしている年齢だ。しかし、父は秋田県角館で観光客を乗せ、人力車を引いていた。
小学校の頃からずっと紙を作る工場で働き、定年まで勤め上げた父。その後に選んだのが、人力車を引く仕事だった。
「かっこいいなと思ったんです。」
塚田さんはそう言った。
汗を流しながら、人を乗せ、街を案内する父の背中。久しぶりに会ったその姿は、子どもの頃に見ていた父よりも、ずっと大きく見えたという。
その時、何気なくスマートフォンで一枚の写真を撮った。
後日、その写真をギャラリー時代に出会ったイラストレーターへ渡し、「父の背中」という作品にしてもらった。
今もその絵は、秋田の実家に飾られている。
地元を離れて20年以上。
親と過ごす時間は決して多くなかった。
だからこそ、久しぶりに見た父の姿が胸に刺さったのだろう。
そして、その出来事は、塚田さんが大切にしている価値観を改めて教えてくれた。
それが「感謝」だった。
ギャラリーで出会った人たち。ツカフェスを一緒につくる仲間たち。イベントを楽しみにしてくれる来場者。
そして、遠く離れていても変わらず見守ってくれている家族。
今の自分は、一人でできあがったわけではない。
多くの人との縁があって、今ここにいる。
だからこそ、5年後の自分へ伝えたいことも変わらない。
「人とのつながりに感謝することを忘れないでほしい。」
そして、善人とはどんな人かと尋ねると、塚田さんは少し考えてから、こう答えた。
「周りの方々に常に感謝しながら、その御恩を返していけるように精一杯生きていく人だと思います。」
無口だった少年は、たくさんの人と出会い、たくさんの縁に育てられた。
そして今、自分が受け取ったものを、今度は誰かへ手渡そうとしている。
ツカフェスもまた、その“恩送り”のひとつなのかもしれない。

インタビュー後記
塚田さんは自分を主役にしない人なんだなぁ。
バンドをやっていたことも、15年以上ホテルで働いてきたことも、80組が集まるイベントを立ち上げたことも、全部さらっと話しやがる。
そして最後は必ずこう言う。
「人に恵まれたんです。」
いやいや、普通はそこ、自分の手柄を少しくらい盛るところでしょうが。
でも、塚田さんは本気でそう思っている。
だから、みんなこの人を応援したくなるんだ。
そして、お父さんの話がめちゃくちゃ刺さった。
70歳を過ぎても人力車を引いている父親。
その背中を見て、「かっこいい」と思った息子。
さらにその姿を、アート作品として残した。
これ、ものすごく塚田さんらしい。なんとまあいいエピソードをもっていやがる笑
目の前の景色を、ただの思い出で終わらせない。
人との出会いも、景色も、感謝も、ちゃんと形にして残していく。
だからツカフェスも続いているんだと思う。
誰かの「忘れられない一日」をつくるために続けているんだ。
無口だった少年は、今は人と人をつなぐ場をつくっている。
人生って本当に面白い。
そして、人は案外、自分の力だけではここまで来られない。
誰かに支えられ、誰かに背中を押され、誰かに救われながら生きている。
塚田さんの話を聞いて、そんな当たり前のことを、改めて思い出させてもらった。
……それにしても、70代で人力車を引くお父さん、かっこよすぎでしょ。
もし将来、俺がその年齢になったら何をしているだろう。
少なくとも、人力車は引ける自信がない。
2階に上がった理由は覚えていない。
歯もきっとほぼないな。
毎日コンビニ代わりに病院を利用していることだろう。
そんなのは嫌だから今日から少しだけ運動してみるか。
.....いや、やっぱり腰が痛いし明日からだな。
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塚田 悠佑
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*お電話相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/06/30(火)