善人承継 リレーインタビュー
“愛を配る人”が、霧島にワクワクを起こすまで
一般社団法人L’peace 代表理事 前田 愛 (まえだ あい) さん インタビュー

愛を配る人

「愛」という名前が、子どもの頃は少し嫌だったという。

“あいちゃん”は多い。特別感がない。そんなふうに思っていた時期もあった。

けれど今、前田愛さんは自分の名前をこう解釈している。


「愛を配る人になりたい」


この一言が、彼女の人生そのものを表しているように思えた。

看護師として患者さんに向き合い、エステの仕事で一人ひとりの悩みに寄り添い、災害時には物資支援を立ち上げ、今は霧島の街をもっと楽しくするために動いている。

派手な肩書きよりも先に、人が好き。

人と関わることが好き。

そして、目の前の誰かが少しでも笑えるように、すぐ動く。

それが前田愛という人だ。


名  前:前田 愛

居住地:鹿児島県霧島市

家族構成:夫、長男、次男

経  歴:元看護師。現在はエステ事業を行いながら、一般社団法人L'peaceの代表理事を務める。地域活性、婚活、こくぶまちバル、鹿児島ママプロジェクトなどに取り組む。

玉の輿を目指した少女は、バレーに夢中になった

子どもの頃の自分を一言で表すなら、負けず嫌い。

兄と弟に囲まれて育ったこともあり、男の子の遊びも得意だった。スポーツも好き、ゲームも好き、漫画も読む。

もちろん女の子の友達とも遊ぶし、人形遊びも好きだった。

さらに習い事も多かった。

小学校1年生の時、彼女には目標があった。


「玉の輿に乗りたい」


そのためには所作が大事だと考え、日本舞踊を習いたいと言い出した。字も綺麗な方がいいから書道も始めた。

運動も好きだからバレーボール。音楽もやりたいから音楽部。

忙しい小学生である。

しかし、いつの間にか玉の輿の夢はどこかへ飛んでいき、夢中になったのはバレーボールだった。中学に入るとバレー一筋。

燃え尽きるまで打ち込んだ。

この頃からすでに、彼女は自分の心が動く方へまっすぐ進む人だった。


制服が可愛いから看護学校へ。でも、それが人生を変えた

前田さんの人生を大きく変えた人がいる。

中学3年生の時の担任の先生だ。


当時の彼女は、部活が終わると遊びも大好きな、いわゆる少しきらびやかな中学生だった。進路希望には、ギャルが多そうな高校名を書いた。

すると先生は、親の前でこう言った。


「お前はそこに行ってどうするんだ。男を両手に引き連れて歩きたいだけだろ」


強烈だ。本当に強烈である。

次に少し上の高校を書いたら、「そこは無理だ」と返された。そこで目に入ったのが、制服の可愛い看護学校だった。


「ここなら制服可愛いしいいかな」


そう思って提出すると、先生は言った。


「お前はここだ。ここがお前には一番合ってる」


勉強は得意ではなかった。国家試験前には、模試で後ろから2番目を取ったこともある。それが悔しくて、そこから一気に勉強した。

負けず嫌いに火がついた。

そして国家試験に合格。看護師としての道が開けた。

実習では患者さんと接することが楽しかった。技術やスピード感、人と向き合う現場に、自分の強みがあった。


看護師になりたくてなったわけではない。でも、働く中で看護師の仕事が大好きになり、天職とさえ思えた。


そう話す彼女の表情は明るい。

そして、その選択は人生を変えた。


後に、その先生とは居酒屋で偶然再会したという。


あの時に言ってくれたから、私は今こんなに幸せです


ちゃんとお礼も伝えられた。

人生は、思った通りには進まない。

でも、思わぬところに、自分に合った道が隠れていることがある

看護師を辞めた日から、霧島への想いが動き出した

神奈川への強い憧れがあり、就職先は神奈川と決めていた。

そこで、同期だった夫と出会い、結婚。夫は熊本出身、前田さんは鹿児島出身。

鹿児島弁で自己紹介した彼女に、夫は心を打たれたらしい。

27歳で鹿児島へ戻った。

霧島は、子育てがしやすい。人が優しい。近所の人も本当にいい人ばかり。


「土地にも人にも恵まれ、霧島市がさらに大好きになった。」


そう言えるほど、今住む土地を愛している

一方で、実家のことがずっと気になっていた。

実家は霧島神宮駅前の商店街でお菓子屋を営んでいる。神奈川にいた頃から、後継ぎがいないなら自分が継ぎたいと思っていた。

しかし、両親は反対した。


「この店を継いでも苦労するだけだからダメだ。好きなことをしなさい。」


それでも想いは消えなかった。

霧島はいい街だ。

県外に出たからこそ、その良さがわかる。

もっと多くの人に知ってもらいたい。

やがて彼女は、大きな目標ができた。その目標のために、今の自分に何ができるかを考えた。

人と接するのが好き。一対一で向き合うのが得意。美容業なら、人を幸せにすることができるのではないか。そこで、エステの道へ進むことになった。


2020年12月に決めて、翌年3月に退職を伝え、4月に開業。

相変わらず動きが早い。

看護師を辞めたことが、自分の大きな転機だったと彼女は言う。そこから人脈が広がり、学びに投資し、ビジネスを学び、たくさんの人とつながっていった。そして今も、彼女の目標は変わらない。


「霧島で団子屋をやる」


親が生きているうちに、霧島で団子屋を開きたい。

その夢は、今も彼女の中でしっかり灯っている。


豪雨災害が、「何者かになりたい」と思わせた

もう一つ、彼女の人生を大きく変えた出来事がある。

霧島市を襲った豪雨災害だ。

大好きな街が湖のようになった。車が浸水し、廃車になった。知人の家も床下浸水した。多くの人が困っていた。

何かできないか。

そう思った前田さんは、災害ボランティアに参加した。泥のかき出しや片付けの現場を見た時、なんて悲惨な現場だろうと、悲しくなった。大勢の方が涙を流しながら、泥まみれになった自宅の家財を破棄している。



その姿をみて、他に自分にできることはないかと、考えていた時に、友人から物資を集めたから配布してくれる場所がないかと、連絡がきた。霧島市はまだ、物資支援のボランティアがなかったため、立ち上げを決心。


SNSで呼びかけると、鹿児島県内各地から物資が集まった。部屋に入りきらないほどの量だった。仕分けのためにママさんボランティアを募ると、約50人が集まった。


一つひとつの物資には、持ってきてくれた人の想いがある。

それを受け取り、仕分け、必要な人に届ける。ボランティア活動とはわかっていたが、大変な作業だった。みんなで手分けして保育園や自宅まで運ぶ日もあった。


けれど後に、市のホームページで物資支援への感謝が掲載された時、そこに自分たちの名前はなかった。

場所を提供していた事務所の名前もなかった。並んでいたのは、名だたる企業の名前ばかりだった。

もちろん、名前を載せてほしくてやったわけではない。

それでも、たくさんの人の気持ちを背負っていた分、なんだか申し訳ない気持ちになり、悔しかった。


私も何者かにならなければならない


そう思った。

この悔しさが、会社設立へとつながっていく。

霧島を、もっとワクワクする街に

現在、前田さんは一般社団法人L’peaceの代表理事を務めている。

共同代表として一緒に立ち上げたのは、ビューティージャパンというコンテストで出会った女性、東村ゆり(ゆりあん)。彼女は動物占いで鹿児島を盛り上げたいという、少し変わった面白い女性だ。

彼女となら、間違いなく、おもろいことになるぞ!と直感で感じた。

そこで最初に考えたのは婚活だった。


結婚、出産、子育て、教育、移住、観光。

婚活は、単に出会いを作るだけではない。地域の未来にもつながる。霧島の人口、経済、暮らしを考えた時に、面白い取り組みになると思った。

ただ、動き出してみると気づいた。

そもそも、まず街が楽しくなければいけないじゃないか。


そこで5月にこくぶまちバルを開催した。国分の夜の街を巻き込み、飲み歩きのイベントを仕掛けた。人が出会い、店が賑わい、街に活気が戻るきっかけを作りたかった。

インスタでのストリートインタビューも始めた。居酒屋の前でカップルや独身男性に声をかける。すると動画は1万回、10万回と再生された。

街を歩けば、声をかけられるようにもなった。

少しずつ、街が動き出している。

彼女は言う。


「ボランティアでは続かない。続けることが大事。だからビジネスにしないといけない。それが本当の地域貢献だと思う


この言葉に、前田さんの本気が詰まっている。

単発の善意で終わらせない。

仕組みにして続ける。

楽しいことを、ちゃんと仕事にする。

その視点があるから、彼女の地域活動は強い。


お母さんたちが笑えば、街はもっと良くなる

前田さんは、鹿児島ママプロジェクトのリーダーも務めている。

お母さんたちの笑顔を増やしたい。ママがワクワクする場所を作りたい。そんな思いから始まった活動だ。

県内各地にメンバーがいて、イベントやマルシェを通じて、お母さんたちがつながれる場所を作っている。

母親が生きやすい街は、きっと社会を良くする。

そう信じている。

前田さんから見る霧島は、人が優しい街だ。ただ一方で、どこか楽しそうではない人も多いという。

同じ毎日を送って、自分の人生を心から楽しめていないように見える。

だからこそ、彼女は街にワクワクを起こしたい。


「心からみんなが楽しめる街にしたい」


政治家になるつもりはない。


民間の力の方が偉大だと思ってる」


そう言い切る。

自分が議員になるのではなく、民間から街を動かす。必要なら政治ともつながりながら、でも自分は現場で、街の中で、人の輪の中心にいる。

彼女が思い描く理想の形は、ピラミッドではない。

自分が上に立つのではなく、自分の周りに人が円のようにいる。

その中心で、笑いながら、次の面白いことを考えている。

それが、前田愛さんらしい未来なのだと思う。

今が最善。だから、ワクワクする方へ行けばいい

5年後の自分に声をかけるなら。前田さんは、少し考えてこう言った。


「今が最善」


過去の自分も、その時の最善を選んできた。今の自分も、今できる最善を選んでいる。だから後悔しなくていい。

若い世代、新社会人に伝えたいことも、実に彼女らしい。


「ワクワクすることやってるかい」


やらされていないか。自分で選んでいるか。

人の意見を聞くこともある。流されることもある。それでも最後に選んでいるのは自分だ。

だからこそ、自分の人生を自分で選ぶこと。


前田さんにとって善人とは何か。その答えも、彼女の名前に戻っていく。


「自分も愛している人」


自分を満たし、自分を愛する。そこから誰かに愛を配ることができる。

前田愛さんは、まさにその実践者だ。

看護師として人に向き合い、エステで人を癒し、災害時には物資を届け、今は霧島にワクワクを仕掛けている。

彼女は今日も、きっと何かを思いついている。アイデアが止まらないらしい。

そしてたぶん、すぐ動く。


彼女の前世はきっと、アインシュタインだ。

インタビュー後記

この人の話は脱線しているようで、全部つながっている。

玉の輿、日本舞踊、バレー、制服が可愛い看護学校、看護師、エステ、団子屋、豪雨災害、物資支援、会社設立、婚活、こくぶまちバル、ママプロジェクト。

言葉だけ並べれば散らかっている。くっつきそうもない。

でも前田愛さんの場合、不思議と一本の線になる。

その線の名前は、たぶん「愛」だ。


しかも本人は深刻ぶらない。悔しい話をしているのに、どこか明るい。大変だった話をしているのに、聞いているこちらが元気になる。

なんだろう、この人。

霧島と同じく活気づけたいまちに必要なのは、こういう人なんだきっと。

会議室で難しい言葉を並べる人ではなく、思いついたら動いて、仲間を集めて、笑いながら街を巻き込んでいく人。

前田愛さんは言った。


「ワクワクすることやってるかい」


いや、こちらが聞きたい。

前田さん、次は何をやらかすんですか。

団子屋ができたら、必ず行きます。

そしてその時、私はたぶん団子を食べながらこう思う。


この人本当にやり遂げやがった、と笑。

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鹿児島県霧島市国分

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■L'peace代表|こくぶまちバル主催:@lpeace_kirishima

■霧島ローゼル代表:@roselle.kirishima

■鹿児島ママプロジェクトリーダー:@kagoshimamama2021

■しごと..美容ナース:@hadaiku.salon_novalis

*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 野村 和人 さん