第244回 氷川風土記「鬼は外 福は内」

昨日、2月2日は節分でした。
氷川神社では舞殿にて弓の弦を鳴らす「鳴弦の儀」の後、豆をまき災厄を祓います。

神事では神職が丑寅(東北)の鬼門と、裏鬼門(南西)方向に撒豆を行います。
節分とは本来「季節が分かれる節目」の意味で、特に旧暦(太陽太陰暦)の頃は立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日をいいました。
しかし江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになり、今日でも立春の前日が「節分」とされております。

現在の節分の行事は、宮中で平安時代に行われていた「追儺(ついな)」や「鬼遣(おにやらい)」が拡がり、変化して民間に定着したものです。
「追儺」は、中国の「大儺(たいな)」の風習が日本に入ったもので、文武天皇の慶雲3(706)年には行われていたことが『続日本紀』に載っています。
当時は年中の病疫を追い払うために大晦日の夜に行われました。
また、平安時代は豆で鬼を追い払うのではなく、桃の弓と葦の矢を用いていました。
民間に広がるにつれ、いつしか豆を撒く行事になったのです。

ちなみに、現在の節分では「鬼は外、福は内」と言って撒きますが、文献で見る限り、中世ごろに始まったようです。
京都・相国寺の僧である瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録』(15世紀成立)に「鬼は外、福は内」と唱えながら豆打ちをしていたことが記録されておりますので、この頃には今の型に近い節分行事が定着していたのかもしれませんね。

様々に変化しながら今に伝わる節分祭ですが、武蔵一宮氷川神社の節分祭での「鳴弦の儀」は、平安時代当時の儀式を感じさせてくれます。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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566 いいね! ('25/02/06 22:01 時点)