芸事の家に生まれ、4歳で決めた道
桜田翔さんの人生は、物心つく前から舞台の匂いの中にあった。
祖母は日本舞踊の家元。母も姉も舞台に立つ。家族の中に芸事があり、稽古があり、衣装があり、拍手があった。
翔さんが「自分も舞台に出たい」と思ったのは、4歳か5歳の頃だった。
けれど、祖母はすぐには認めなかった。
「お母さんとお姉ちゃんについて行きたいだけじゃないの?」
子ども扱いされた悔しさもあっただろう。だが、翔さんの気持ちは本物だった。
母がその様子を見かねて、祖母に内緒で稽古を始めた。
一曲を完璧に仕上げてから、祖母に見せた。
結果は、一発合格。
「早く舞台に出なさい」
そこから、翔さんの役者人生は始まった。
野球でもサッカーでもない。部活でもクラブでもない。勉強よりも踊り。
小学生の頃から仕事として舞台に立ち、学校にあまり行けないほど忙しい時期もあった。
普通の子どもがランドセルを背負って通学路を歩いている頃、翔さんは舞台の上で自分の道を歩き始めていた。

名 前:桜田 翔
所 属:劇団桜翔(オウガ) 座長
年 齢:18歳(今年9月で19歳)
出身・在住:鹿児島県霧島市
活動内容:日本舞踊、芝居、津軽三味線、変面、舞踊ショー、イベント出演など
15歳で人を動かす立場に。悩みながら選んだ独立
翔さんは、以前所属していた劇団で「花形」として活動していた。
襲名公演も経験し、劇団の人たちを動かす立場にもなった。
その時、まだ15歳。
普通なら高校生活の真ん中で、進路に悩み始める年齢だ。だが翔さんは、年上の人たちを動かし、舞台を背負う責任を感じていた。
もちろん、簡単なことではなかった。
「このままでいいのか」
「もっと勉強に出たい」
「いろんな劇団を見て、もっと学びたい」
そう思った翔さんは、自分で飛行機を取り、自分で劇団に連絡し、飛び入りのように学びに行った。
劇団の仕事を続けながら、外へ出て、見て、学んで、また戻る。
その時間が、現在の劇団桜翔につながっている。
劇団名に込めた思いも美しい。
桜のように満開の舞台をつくり、羽ばたいていく。
若さだけで語るには、あまりに積み重ねがある。18歳という年齢は確かに若い。だが、翔さんの中には、すでに十数年分の舞台経験が詰まっている。

舞台に立つと、別人になる
翔さんは、日本舞踊だけではない。
男方も女形もこなし、芝居もする。津軽三味線も弾く。さらに中国の伝統芸能である変面も披露する。
本人は言う。
「普通の劇団じゃないな、と思ってもらいたい」
劇団桜翔の公演では、ここに来ればあれも見られる、これも見られる。そんな幅の広さを目指している。
お客さんからは、よくこう言われるそうだ。
「舞台に出ると別人に見える」
舞台を降りれば、普通の男の子。けれど舞台に立つと、人が変わる。
特に一人で踊る個人舞踊では、あえて細かく振り付けを決め込まずに舞台へ出ることもあるという。
「舞台に出てから降りてくるんです」
その曲の人物になる。男方なら、その歌詞に合う男になる。女形なら、その曲に生きる女性になる。
終わったあとに動画を見返して、自分でも思うことがある。
「なんか、いい踊りしてるな」
これはナルシシズムではない。舞台の上で、自分を超えた何かに触れている人の言葉だ。
霧島の温かさを、いつか自分が全国へ連れていく
翔さんが暮らすのは鹿児島県霧島市。
好きなところを聞くと、まず自然が出てきた。
朝の静けさ。鳥の声。空気。そして、地元の人の温かさ。
特に高千穂・牧園のあたりでは、地域の人がよく声をかけてくれるという。
「次いつ公演あるの?」
その一言が、どれほど力になるか。舞台に立つ人間にとって、見てくれる人がいることほど嬉しいことはない。
一方で、地元にもっとこうなってほしいところもある。
「街灯ですね」
夜が暗い。少し不気味に感じることもある。観光客が安心して散歩できるように、もう少し明るくなればいい。
この素朴な願いが、妙にリアルでいい。
翔さんは、いつか自分が有名になったら、地元に恩返しがしたいという。
お世話になった人たちへ特別公演をする。地元のお店や地域の魅力を、自分がテレビ取材などで紹介できるようになりたい。
自分だけが売れればいい、ではない。霧島も一緒に連れていきたいのだ。

日本を制覇し、カナダへ。夢はもう始まっている
翔さんの直近の目標は、正式な座長襲名公演。
すでに座長として活動はしているが、自分が納得できるところまで磨きをかけた上で、きちんとした形で披露したいという。
その先には、全国ツアーがある。
地元から関西へ。関東へ。そして全国のホールへ。
さらにその先にあるのは、海外公演だ。
行きたい国の一つはカナダ。
理由がまたいい。
以前、九州で公演をした際、カナダから家族で来たお客さんがいた。SNSで翔さんを見て、「直接見たい」と旅行の日程を合わせて来てくれたという。
花束を受け取ったその瞬間、翔さんの中でカナダはただの外国ではなくなった。
「カナダで公演したい」
30歳までには行きたい。いや、その前に日本を制覇したい。
そう語る姿は、無謀には見えなかった。むしろ、もうそこへ向かう道の途中にいるように見えた。

読者へのメッセージ
同世代の人たちへ伝えたいことを聞くと、翔さんはこう話してくれた。
「諦めずに、やり続ければ花が咲く。なんとかなるさっていう気持ちで前に進もう」
舞台で失敗もしてきた。悩みもあった。人を動かす難しさも味わっている。
それでも、なんとかなってきた。
いや、正確には、なんとかしてきたのだ。
だからこそ、その言葉は軽くない。

インタビュー後記
18歳。
こちらが勝手に「若い人」として構えていると、すぐに足元をすくわれる。
桜田翔さんは、若い。確かに若い。だが、話を聞いていると、こちらの年齢感覚がどんどんバグってくる。
4歳で舞台に出たいと言い、稽古を重ね、15歳で人を動かす立場を経験し、自分で飛行機を取り、学びに行き、18歳で劇団を立ち上げる。
こちらが18歳の頃に何をしていたか思い出すと、だいぶ分が悪い。
おそらく私は、人生の座長どころか、自分の部屋の片付けすらまともにできていなかった。
翔さんは、舞台の話になると目線が変わる。
好きだからやっている。
でも、好きだけでは済まない世界だ。
衣装、かつら、音響、照明。すべてにお金も手間もかかる。それでも、自分のためではなく舞台のために使う。
これは浪費ではない。本人の言葉を借りれば「自分への投資」だ。
霧島の自然と、人の温かさの中で育った若き座長は、いつかカナダへ行くと言った。
たぶん行くだろう。
なぜなら、翔さんは昔からそうしてきたからだ。
「劇団を作りたい」と言い続け、本当に作った。
「舞台に立ちたい」と願い、本当に立ち続けた。
ならば次は、霧島から全国へ。
そして世界へ。
桜田翔という名前を、今のうちに覚えておいた方がいい。
数年後、「え、あの人知ってるの?」と聞かれた時に、少しだけ得意げな顔ができるかもしれない。
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