
第一印象だけで人を判断してはいけない。
そんなことは誰でも知っている。
だが、大薮陽子さんに会うと、その言葉を改めて思い知らされる。
見た目は、どちらかといえば気が強そうだ。それは本人も自覚している。
「性格きつそうに見られるんですよ」
ところが、その直後に続いた言葉が面白かった。
「でも、ほんまに怒らないし、傷つきやすい。繊細なんです」
そしてニヤリ。
「ギャップで売ってるんで」
なるほど。開始数分で、もう商売上手である。
大阪生まれ、大阪育ち。沖永良部島での生活を経て鹿児島へやって来て、今年で10年。
現在は鹿児島市でネイルサロン「Lino(リノ)」を経営する。
スタッフは4人。一席だけの小さなサロンから始まった店は、移転を重ね、今では立派なサロンになった。
だが、話を聞いているうちにわかった。
この人が10年間育ててきたのは、店だけではない。
人だった。
そして、その根っこには、少女の頃から変わらない一つの性質があった。
目の前にいる人を、放っておけない。
氏 名:大薮 陽子(おおやぶ ようこ)
出 身:大阪府
居住地:鹿児島市
職 業:ネイリスト・サロン「Lino」経営
家 族:大阪に両親と兄。鹿児島では愛犬と暮らす
明るい子の中にいた、「私は大丈夫」という小さな大人
陽子さんは、子どもの頃から明るかった。
運動もそこそこできた。
勉強も、やればできたのだろう。
ただし中学生になる頃には、学校にはあまり行っていなかった。
本人いわく、
「行ってないタイプのやつです」
そして何か一つに夢中になった記憶も、あまりない。
興味を持って始めても、途中で飽きる。本人は「全部中途半端」と笑う。
ただし、好きになったものは徹底的にやる。つまり飽き性というより、対象を選ぶ人なのだろう。
幼い頃は、一回りほど年上の、かなり“やんちゃ”ないとこに憧れた。
少し悪そうな人間が格好よく見える年頃というのは、確かにある。陽子少女も例外ではなかったらしい。
一方、家庭は決して穏やか一辺倒ではなかった。
父親は酒を飲み、怒鳴ることもあった。ギャンブルや借金もあり、母親は苦労した。
両親が喧嘩すると、陽子さんは癇癪を起こした。
今振り返れば、それは子どもなりに場を止めようとしていたのかもしれないという。
そんな彼女が、幼い自分に今、声をかけるなら。
答えは短かった。
「守りますよね」
あまりにも自然に出てきた言葉だった。
彼女には昔から、妙な癖がある。
自分のことになると、
「私は大丈夫」
となる。
その代わり、誰かが傷つけられているのを見ると耐えられない。
人のことになると途端に放っておけなくなる。怒鳴る人が嫌いだから、自分は怒鳴らない。
スタッフを叱ることも苦手だという。
気の強そうに見える女性が、実は誰かの痛みに人一倍敏感だった。
それはもしかすると、子どもの頃に覚えた処世術ではなく、生き方そのものなのかもしれない。
夜の街で教わった、「陽子のいいところ」
18歳頃、陽子さんには大きな影響を受けた女性がいた。
夜の世界で出会った年上の女性だった。
華やかな世界でトップに立ち、後には事業を興し、別の人生を歩んでいった人。陽子さんにとっては、姉のような存在だった。
毎日のように一緒に飲み歩いた。ただ、陽子さんが惹かれたのは肩書きではない。
「話を聞くのがめっちゃ楽しかったんですよ。いろんなことを知ってて」
何かをやると決めれば、徹底的にやる。ゼロから何かをつくることが好き。
その圧倒的なエネルギーに憧れた。
そして、ある日その女性が陽子さんに言った。
「陽子のいいところって、目の前におる人とちゃんと向き合えることやん」
本人には、まったく自覚がなかった。
それまで誰かにそんなふうに言われたこともなかった。けれど、不思議とその言葉は残った。

現在、陽子さんが経営する会社や店の考え方にも、
「目の前の人と向き合う」
という精神が流れている。
噂で人を判断しない。誰かが「あの人はこういう人」と言っても、自分で会ってみる。
話してみる。好きなら好き。合わなければ合わない。
判断するのは自分だ。
「人に興味があるんですよね」
という言葉も印象的だった。
これは、ネイリストとしては相当な武器だと思う。
ネイル施術では、お客様と40センチほどの距離で、1時間、時には2時間向き合う。
大人になれば、親しい友人とさえ毎月会うとは限らない。ところが、お客様とは毎月会う。
手に触れながら、人生の話をする。だから陽子さんにとって、ネイルは単なる美容技術ではない。
「ネイルはツールなんですよ」
人と出会い、人と向き合い、時にはその人の人生に少しだけ関わるためのツール。
最近では、
「お客様、全員親友やと思ってます」
と言う。
お客様側がどう思っているかまでは確認できていない。
そこだけは多少、一方的である笑。
貯金30万円。知り合い一人。鹿児島で始まった一席のサロン
人生最大の転機は何か。
陽子さんに尋ねると、鹿児島に来たことだという。
大阪を離れた理由には、当時付き合っていた鹿児島出身の男性との縁があった。
沖永良部島で知り合い、遠距離恋愛を経て、
「1年続いたら鹿児島行くわ」
と約束した。そして、本当に来た。
鹿児島には知り合いもほぼいない。働きたいサロンがあるわけでもない。
土地勘もない。そこで当時の彼から、
「独立したら?」
と言われた。
普通なら、一旦考える。市場調査をする。資金計画を立てる。
陽子さんは違った。
「確かに」
と思った。
この人の人生、ときどき意思決定が異常に速い。
しかも当時の貯金は約30万円。そこで日本政策金融公庫へ行き、100万円を借りた。
そして2016年7月20日。鹿児島駅近くの小川町に、小さな一席のサロンを開いた。
開業直後から大きな売上を狙っていたわけでもない。
月40万、50万円ほど売れれば生活できる。そんな感覚だったという。
そこから10年。
店は移転を重ね、現在の店舗は3か所目。サロンは広くなり、スタッフは4人になった。
面白いのは、本人が当初から壮大な事業計画を描いていたわけではないことだ。
「ネイリストとして一生やる」と決めたのさえ、独立してからだった。
高校卒業時も、将来何をするか迷っていた。
動物が好きだから、イルカの調教師も考えた。しかし専門課程を調べると、潜水や泳力など思った以上に本格的だった。
「え?」
となった頃、たまたま届いたのがネイルスクールの案内だった。
それが続いた。
人生とは不思議なものだ。
イルカを追いかけていた可能性のある女性が、今は鹿児島で人の爪と人生を磨いている。

「言うこと聞かへん」。それでもスタッフが可愛くて仕方ない
現在、陽子さんが一番大事にしているのはスタッフだ。
「お客様ももちろん大切です。でも、自分のところのスタッフが一番幸せでいてほしいぐらい可愛い」
子どもはいないが、
「子育てってこんな感じなんかな」
と思うことがあるという。
ただし、“子どもたち”はなかなか自由だ。
新店舗の内装業者が来ても、座ったままスマートフォンを触っている。
陽子さんは、
「立ちなさい」
「知らん人でも、まず笑顔で挨拶しなさい」
と教える。そして、
「言葉遣いより愛嬌や。とりあえず笑っとけ」
とも。さらに、
「いただきます言った?」
から教えることもある。
経営というより、もはや大家族である。だが、頭ごなしには怒らない。なぜその行動をしたのか。
本人はどう考えているのか。まず聞く。
店には、同い年の「まりなさん」という相棒もいる。陽子さんいわく、
「お父さんとお母さんみたい」
細かいやり方を教えるのがまりなさん。
陽子さんは、
「どうあるべきか」
を伝える。陽子さんがスタッフについて、
「何回言っても伝わらへんねんけど」
と相談すると、
「こういう伝え方はした?」
「見せてあげた?」
とまりなさん。すると陽子さんは、
「あ、それやってないかも」
となる。経営者だからといって、自分が常に正しいとは思わない。
人に任せる。教えてもらう。その柔らかさは、強さでもある。
一方で、人との関係で大きく心を揺さぶられた経験もあった。
一緒に成長できると信じた、スタッフとの別れだ。期待して任せたつもりだったが、価値観が自分の思い通りに、簡単に一致するわけがなかった。
それはそうだ。人それぞれ思いがあるのだから。離れてみて初めて、心がゆさぶられた。こんな経験は初めてだった。
しかし、この経験で自分の信念を再確認できた。
「自分は、義理や思いやりを大事にしたい
「応援される人でありたい」
売上でもない。店舗数でもない。
誰かに、
「陽子ちゃんがやるなら応援するよ」
と言われる人でいること。
それが彼女にとって、事業を大きくすること以上に大事なのだ。

人生はなんとかなる。なんとかならないのは、人の気持ちだけ
数年前、陽子さんは自分の人生が少し平坦になっていると感じた。
悪くはない。売上もある。指名客もいる。スタッフも増えた。
だが、
「成長止まってるな」
と思った。
そこで苦手だった経営者の集まりにも顔を出すようになった。
自己紹介も苦手。名刺交換にも慣れていない。人前に立つのも嫌い。
そんな陽子さんに、尊敬する経営者が言った。
「大会出ろ」
ボディメイク系の大会である。
はっ?えっ?私が?なんの大会ですって?
当然、断った。何度も断った。だが、
「こいつ、おもんないやつやなと思われるの嫌やな」
と考え、
「出ます」
と言ってしまった。
そこから4か月減量し、人前に立った。
目標は優勝ではない。逃げずにステージに立つこと。
スタッフには目標を持てと言っている。では自分は、本気で何かを決めてやり切ったことがあるのか。
自分自身にそれを証明したかった。
そして、その年はスタッフたちもそれぞれ目標を達成した。
人生で初めて、
「決めて、やり切る」
を実感した一年だった。

翌年、再び大会に出ようとしたが、減量の影響で体調に変化が出た。
そこで尊敬する経営者から今度は、
「じゃあ経営者として自分を磨け」
と言われ、研修へ。迷わず参加した。
なぜそんなに即決できるのか。陽子さんは言う。
「迷ってる時間、無駄なんですよね」
実に彼女らしい。
そして彼女には、もう一つ好きな言葉がある。
というより、取材中にポロッと出た名言だ。
「仕事はなんとかなると思ってるんです。なんとかできひんのは、人の気持ちだけなんで」
売上なら工夫できる。技術なら学べる。店なら作り直せる。
だが、人の心だけは操作できない。
だからこそ、自分がどうにかしようとするのではなく、
「あなたを大事に思っている」
という気持ちを伝え続けるしかないという。
それは恋愛でも、スタッフでも、お客様でも同じなのだろう。
愛情深く、自分の人生を楽しんでいる人
最後に聞いた。
「陽子さんにとって、善人とは?」
しばらく考えたあと、彼女は言った。
「愛の深い人です」
誰に対してでもいい。家族でも、仲間でも、お客様でもいい。
目の前の人にちゃんと向き合える人。思いやりがある人。
そして、
「自分の人生を楽しんでいる人」
そんな人に惹かれるという。
これは、そのまま大薮陽子という人の説明にも聞こえた。
現在36歳。5年後には41歳になる。未来の自分に何と言いたいかと聞いた。
迷いはなかった。
「絶対楽しんでるやろうなって。楽しみでしかないです」
過去を聞いても、
「一番嬉しかったこと、覚えてない」
という。
一番悔しかったことも、あまり出てこない。
理由は、おそらく単純だ。この人は、過去より今を生きている。
そして未来を怖がるより、楽しみにしている。
大阪から鹿児島へ来た時も。30万円しか持っていなかった時も。一席の店を開いた時も。人前に立つ大会に出た時も。
この人の人生にはいつも、
「まあ、やってみよか」
がある。その隣に、
「目の前の人、大事にしよか」
がある。
この二つがある限り、5年後も10年後も、たぶん陽子さんは笑っている。
スタッフに、
「とりあえず笑っとけ」
と言いながら、きっと本人が一番大笑いしている気がする。

インタビュー後記
私は少し警戒していた。
本人にも言ったが、第一印象は、
「俺、今日怒られるんじゃないか」
だったからである。ところが話し始めて数分。
全然違った。声は柔らかい。よく笑う。そして、思った以上に繊細だ。
何より、人の話になると急に熱量が上がる。
自分の売上自慢より、スタッフの話。
店の大きさより、人の成長。成功談を聞いているはずなのに、
なぜか最後まで経営者の自慢話を聞いた感覚がなかった。
そこが大薮陽子という人の面白さなのだと思う。
取材中、私が一番好きだった言葉は、
「なんとかできひんのは、人の気持ちだけ」。
金融屋として長く働いてきた私は、世の中の大抵の問題には、数字や制度や仕組みで何らかの答えを探そうとする癖がある。
でも、人の心だけは電卓では出ない。利回りもないし元本保証もない。むしろ一番値動きが激しい。
そんな一番難しいものと、陽子さんは毎日40センチの距離で向き合っている。
考えてみれば、ネイリストという仕事はすごい。
爪をきれいにする仕事だと思っていたけど違う。
少なくとも陽子さんにとっては、人が少し元気になって帰っていく仕事なのだろう。
ちなみに「善人とは何か」という話の途中、ホームレスのおじいちゃんに100円を渡すかどうかという話になった。
彼女は渡す。私も渡す。
善人について真剣に語っていたはずなのに、最後は二人とも、
「でも100円ぐらいあげるよな」
で意見が一致した。
善人の定義は、結局最後まで難しかったが、一つだけわかったことがあった。
愛情深い人を「善人」と呼ぶのなら、
その答えは、意外と目の前に座っていたのかもしれない。
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ネイルサロン「Lino」
天文館 東千石町
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*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
山元 直樹
2026/10/02(金)