善人承継 リレーインタビュー
「人生6文字。なんとかなる」人と地域を笑いでつなぐ、瀬戸口大翼という生き方
株式会社心和 代表取締役 瀬戸口 大翼 (せとぐち だいすけ) さん インタビュー

キャプテンになれなかった少年が、サッカーを選んだ


「大きく羽ばたいてほしい」


その願いを込めて、「大きい」に「翼」と書いて“大翼(だいすけ)”。初見で正しく読まれることはほとんどなかったというが、名前の通り、瀬戸口大翼さんはこれまで何度も場所を変え、立場を変え、人との出会いを翼にしてきた。

ただし本人は、そんな格好いい話をこちらが振っても、照れくさそうに笑う。


「名前負けしてるような気がしますけどね」


どうやらこの人は、自分を大きく見せることには興味がないらしい。

だが話を聞けば聞くほど、その背中には確かに大きな翼が見えてくる。


幼い頃の大翼さんは、毎日外でボールを投げ、打ち、12球団の選手を覚えるような野球少年だった。

ところが小学5年生の終わり、ソフトボールチームのキャプテンに選ばれなかった。

子どもにとって、キャプテンの座は大人が思う以上に大きい。本人の言葉を借りれば、「もうやってらんねえ」となった。

そして6年生から、野球をすっぱりやめてサッカーを始めた。

この切り替えの速さは、後の人生にも通じている。

大翼さんは、何かに執着し続ける人ではない。うまくいかなかった時、そこで人生が終わったように考えず、別の場所へ足を運ぶ。野球からサッカーへ。鹿児島から関西へ。会社員からフリーターへ。指導者から福祉の現場へ。そして職員から社長へ。


ただ、サッカーでは忘れられない悔しさも味わった。

地域選抜の選考会で手応えがあり、本人は選ばれたつもりで大会会場へ向かった。

しかし、そこに自分のユニフォームはなかった。どうやら落選の連絡が伝わっていなかったらしい。

悔しいというより、衝撃だった。

さらに指導者からは、「うまいけれど、大事な試合で力を出せない」と評価されていたことを後に知る。

技術だけでは足りない。ここぞという場面で、自分の力を出すには心が必要だ。

その経験が、大翼さんにメンタルの大切さを教えた。

46歳になった今、当時の自分に何と声をかけるか尋ねると、しばらく考えてからこう答えた。


そのままで、自分の思うように生きたらいいよ、ですかね」


それは、失敗がなかった人の言葉ではない。

失敗を含めたすべての道が、今の自分につながっていると知る人の言葉である。


瀬戸口大翼(せとぐち・だいすけ)さん

1980年生まれ、46歳。鹿児島県霧島市隼人町日当山在住。

妻と、高校3年生の長男、高校1年生の次男、小学5年生の長女との5人家族。

株式会社心和 代表取締役。障害者就労継続支援B型事業所と放課後等デイサービスを運営する一方、長年サッカー指導にも携わっている。

ソレッソ鹿児島 監督

たった一人のダンス講師が、人生の向きを変えた

高校卒業後、大翼さんは大手企業で現場監督として働くため、関西へ向かった。

しかし、仕事に楽しさを見いだせず、約3年で退職。その後はフリーターのような生活を送り、スーパーマーケットで派遣社員として働いた。

人生は面白い。大きな転機は、立派な会議室ではなく、スーパーのレジ横に落ちていることがある。

そこで出会ったのが、アルバイトをしながらダンス講師をしていた2歳ほど年上の女性だった。

彼女のダンスイベントを見に行くと、子どもたちが楽しそうに踊り、先生に褒められていた。その光景を見た瞬間、大翼さんの中に一つの思いが生まれた。


「子どもに関わる仕事って、いいな」


大翼さんは大阪のサッカークラブの面接を受け、約1年後、指導者として採用された。時は2002年、日韓ワールドカップの年だった。

あの日、ダンスイベントへ行っていなければ。

あの女性と出会っていなければ。

今の大翼さんはいなかったかもしれない。


そして、このインタビューの少し前。何気なくSNSを検索した大翼さんは、約20年ぶりにその女性を見つけた。

思い切ってメッセージを送ると、相手も覚えていてくれた。


「懐かしいね。今どこにいるの?」


人生を変えてくれた人と、再びつながった。

会える時に会う。伝えられる時に伝える。人は、明日も同じ場所にいるとは限らない。

同世代の友人を何人も亡くしてきたという大翼さんは、そのことを身に染みて知っている。

だからこそ、人との縁を後回しにしない。


サッカーを続けるために働いたら、社長になっていた

鹿児島へ戻るきっかけは、父の病気だった。

関西で出会った妻も鹿児島出身だったため、帰郷の決断は自然だったという。

その後、大翼さんは株式会社心和に入社する。会社は、障害のある子どもたちの放課後等デイサービスと、大人の就労支援を行っている。

入社当時、大人向けの事業所は立ち上がったばかり。作業も少なく、畑はあっても販売先がない。

一方で、大翼さんにはサッカー指導を続けたいという強い思いがあった。平日の夕方、練習へ行くためには、誰にも文句を言われないほど仕事をするしかない。


「サッカーをするために、めちゃくちゃ働いたんです」


仕組みを作り、仕事を整え、事業所を形にしていった。

その姿を見ていた先代の女性社長が、ある日言った。


あんたがやんなさい


血縁もなければ、最初から後継者候補だったわけでもない。だが8年近く現場を支え続けた働きが認められ、大翼さんは会社を託された。

現在、従業員は19名。代表に就いて3期目を迎える。


「社長になりたいと思ったことは、一度もないです」


そう言いながらも、仕事の話をする大翼さんは実に楽しそうだ。

毎日、小さなトラブルは起こる。怒りたくなることもある。それでも大翼さんが大切にしているのは、こんな言葉だ。


「怒りは無知、泣きは修行、笑いは悟り」

そして、もう一つ。


「人は順応する」


少し厳しい場所に身を置いても、人はやがて慣れ、できるようになる。

だから楽な方だけを選ばず、時には難しい方へ進む。

大翼さんは、苦労を避けるのではなく、苦労ごと笑い飛ばす。

だから周囲からは、「苦労を買う人」と言われる。

普通、苦労は売っていても買わない。しかも福祉とサッカーの二足のわらじである。

足は二本しかないのに、わらじの数だけは社長級だ。


廃棄物を仕事に変え、指導者の未来をつくる

大翼さんが今、形にしようとしている挑戦がある。

一つは、酒造会社が費用を払って廃棄している焼酎粕を、調味料などの食品に生まれ変わらせることだ。

焼酎粕には栄養がある。酒造会社にとっては廃棄コストが減り、福祉事業所には新しい仕事が生まれ、利用者には工賃として還元できる。

大学や研究機関、霧島市内の工業技術センターともつながり、試作へ向けて動き始めている。

商品に「心和の郷」と書かれたラベルを貼る時、利用者は誇らしそうに「これ、作った」と話すという。

単なる作業ではない。

自分が地域の役に立っていると感じられる仕事をつくる。それが大翼さんの目指す就労支援だ。


もう一つは、サッカー指導者の雇用をつくること。

子どもが学校に行っている昼間は福祉の仕事をし、夕方からサッカーを教える。会社で安定した雇用をつくれば、結婚や子育てを理由に、優秀な指導者が現場を離れずに済む。

良い指導者が長く続けられれば、地域の子どもたちにも良い環境が残る。

福祉とスポーツ。

一見、別々に見える二つの道が、大翼さんの中では一本につながっている。

地域を良くするために、大きな旗を振るつもりはない。


「それぞれが、自分たちのやるべきことをちゃんとやれば、いい町になると思うんです」


強い考え方だ。

現在、大翼さんが一番守りたいものは、会社のスタッフと利用者、そしてサッカーチームに関わる子どもたちだという。

10年後の理想を尋ねると、こんな答えが返ってきた。


「自分が会社にいなくても、みんなが笑って作業していて、自分はサッカーだけしていたら幸せかもしれないですね」


自分がいなくても回る会社をつくる。

これは、経営者として最も難しく、最も愛情のある目標かもしれない。


インタビュー後記——松坂世代、人生の後半戦へ

同じ1980年生まれ。男・男・女の3人の子ども。鹿児島に縁があり、ソフトボールを経験し、関西にも住んだ。

インタビュー開始数分で、こちらの警戒心は完全に解除された。


「これは取材というより、久しぶりに会った同級生との答え合わせではないか」


途中から、そんな感覚になっていた。

瀬戸口大翼という人は、強い言葉で人を引っ張るタイプではない。

笑いながら前へ進み、気づけば周囲が一緒に歩いている。

サッカーをするために仕事を頑張ったら、会社を任された。会社を良くしようとしたら、地域の廃棄物が商品に変わりそうになった。人を育てていたら、その人脈が会社を支えていた。

計算して築いた人生ではない。

ただ、その時々で目の前のことを真面目にやり、人との縁を大切にしてきた。その積み重ねが、今の大翼さんをつくっている。


長男の高校最後の試合。敗戦後、息子が人目もはばからず泣く姿を見て、大翼さんは思ったという。


「こんなに泣けるくらいやってくれたなら、これで良かったな」


運動会に行けなかった日もある。家族との時間が十分だったとは言えないかもしれない。

それでも、父が本気で生きる姿は、確実に子どもたちへ届いている。

家族に残したいものを尋ねると、大翼さんは


「こんなふうに生きていたという、生き様を残したい」


と答えた。

…もうちゃんと残っているじゃないの。

会社にも、畑にも、サッカーコートにも、子どもたちの涙にも。


最後に、若い世代へ送った言葉が、大翼さんの人生を一番よく表していた。


「人生6文字。なんとかなる」


もちろん、何もしなくても何とかなるという話ではない。

悔しさも、失敗も、予定外の転機も、前向きに受け止めて動き続ければ、いつか自分の人生になる。

46歳。松坂世代は、もう若手ではない。

肩は上がりにくくなり、息も切れやすくなった。それでも人生の後半戦は、まだ始まったばかりだ。

大きな翼は、これから何を運び、誰を羽ばたかせるのだろう。

おそらく本人は、そんな格好いいことは考えず、今日も笑いながら言う。


「まあ、なんとかなるっしょ」

お問い合わせ

◇株式会社心和

〒899-5102

鹿児島県霧島市隼人町真孝149-1

TEL:0995-73-8863

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◇ソレッソ鹿児島

TEL:090-5241-3218


*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 株式会社NOPAINNOGAIN 谷川 絵梨香 さん