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お経についての質問です。
(2年前の記事です) 掲載日:2022/09/04
うちは浄土真宗の寺の檀家ですが、住職が誰の葬式でも、法事でも、いつも同じお経を読みます。
いつ行っても毎回同じお経を読みます。 お経というものは、そういうものなのでしょうか?
檀家の末席としていつも疑問に思っていました。法事の内容が違えばお経も違うものになるのではないかと。間違ってますか?
※ 相談者のプライバシーに配慮し、実際の質問内容を一部改変して掲載している場合がございます。ご容赦ください。
亡くなった人を供養するためのお経は、どの宗派も概ね同じものを唱えます。
十三仏様なのか阿弥陀様なのかという違いはありますが、概ね同じです。
なぜお経が同じなのかと言え ば、それは「供養する」という同じ目的の仏事だからです。
野球というスポーツがあります。日本人の国民競技ともいえるものですが、あれは 1 年 に何度も対戦するプロ野球もあれば、1 度負けたらトーナメントから外れる高校野球もあれば、社会人が楽しみながら行う草野球もあれば、少年野球もあります。それぞれ細かくは違うのでしょうが、いずれも同じ野球(目的)を実施することに変わりはありません。
けれども違うスポーツにはサッカーもあれば、ホッケーもあれば、ゴルフもあります。これらは、同じスポーツでも野球とは全く違うものです。
仏事も同じで、誰かを供養するという目的のお経は同じになります。プロ野球でも高校野球でも草野球でも「野球」というカテゴリーが同じですので、当然同じことをします。
各野球にもそれぞれ細かなものが違うように、法事も実は細かくは違ってきます。けれども、 大枠は同じです。
片や、供養とは違う、祈祷や護摩、加持、起工式(地鎮祭)などはそれぞれ実施する儀式が 大きく変わってきます。
生きている私たちが想いを受け取り、今に生かすために法事はあると考えます。
そもそも法事は亡くなった方を供養する意味もありますが、亡くなった方を思い出すという意味合いもあると思っています。
亡くなった方が生前どのような言葉を遺したのか。亡くなった方の遺志はなんだったのか。
大切なのは、法事において、読経を通じ、亡くなった方を思い出すことではないでしょうか。
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