勉強はしなかった。でも、練習だけは裏切らなかった
どこか高田純次風で、堺正章にも似た雰囲気の小杉裕二さんは、北海道函館市で生まれ育った。
「全然勉強しなかったね」
そう笑う表情に、後悔の色はある。だが、暗さはない。
小学校では野球、中学ではサッカー。そして高校ではバドミントンに打ち込んだ。
ただし、強豪校の華やかな部活動ではない。部員も少なく、同好会のような状態。道具も体育館も、自分たちでどうにかしなければならなかった。
だから小杉さんは、ラーメン屋で出前のアルバイトをした。ラケットを買うため、体育館を借りるため、練習を続けるためだ。
昼は学校の体育館。夜は市の体育館へ電車で向かい、夜10時まで練習した。
「初めてやったから、前からやってる子たちに追いつくには、もう練習しかない」
その積み重ねで、函館市で優勝し、全道大会へ進んだ。
ど派手な青春ではないかもしれない。だが、自分で決め、自分で稼ぎ、自分で努力して、ひとつ夢を叶えた瞬間だった。
今の自分が当時の自分に声をかけるなら何と言うか。
小杉さんは即答した。
「もっと勉強しろよ笑」
この正直さが、なんとも小杉さんらしい。

氏 名:小杉裕二
出 身:北海道函館市
居住地:東京都板橋区
生年月日:1964年7月19日(61歳)
現在の仕事:株式会社プロピア勤務。お客様対応、受付、カウンセリング業務
将来の夢:いつか函館に戻り、ゆるく理髪店をやること
美容師として始まり、“話せる人”として選ばれた
高校卒業後、小杉さんは18歳で東京へ出た。
最初に入ったのは、大手メーカーのアデランス。そこで会社に学校へ通わせてもらい、理美容の技術を学び、国家資格も取得した。
つまり、小杉さんの出発点は美容師である。
その後、植毛クリニックへ移り、理容師として入ったつもりが、いつの間にか新規のお客様の相談役になっていた。
初めて来る人の不安を聞く。説明する。納得してもらう。
技術だけではない。相手の気持ちを受け止める力が必要な仕事だった。
そこで小杉さんの「話せる力」が見出された。
そして40歳を過ぎたころ、大きな転機が訪れる。
現在勤める株式会社プロピアが、ヘアコンタクトという新しい商品を世に出そうとしていた時期だった。
かつての知人から声がかかる。
「カウンセラーとして来てくれないか」
だが、条件は決して良くなかった。
前職の方が給料は良かった。家庭もある。子どもも育てている時期だ。
普通なら、同じ条件か少し上乗せして誘うものだろう。
しかし、提示されたのは安い条件。
「よくそれで呼ぶなと思って」
そう笑う。
それでも1年、2年と誘われ続け、最後は小杉さんが折れた。
理由は、商品に可能性を感じたからだ。
「どこにもない商品だったから。広げられるのはよかった」
ただのカツラではない。類似品でもない。開発から一から作った、新しいもの。
そこに、小杉さんは賭けた。
そして、その商品は大きく広がっていく。
技術を知り、人の不安も知り、言葉で伝えられる人。
小杉裕二さんは、その現場に必要な人だった。

「適当な人かなぁ(笑)」に隠れた、人を追い詰めない強さ
周囲からどんな人だと言われるか。
小杉さんはこう答えた。
「適当な人かなぁ(笑)」
だが、話を聞いていると、その“適当”はいい加減という意味ではない。
数字を追う立場なら、本来は店長たちの尻を叩かなければいけない。嫌われるくらい厳しくやった方が、会社は伸びるのかもしれない。
でも、小杉さんはそれをしない。
「できないと言った方が正しいかな。そういう性格」
人を追い込むより、話を聞く。押しつけるより、任せる。厳しさで引っ張るタイプではない。
それを弱さと見る人もいるかもしれない。
だが、人が長く働く場所には、こういう人が必要なのだと思う。
小杉さんには、若いころに憧れた人がいる。
アデランス時代の上司だ。
偉くなっても、上からものを言わない。社員に対してもフランクで、壁を作らない。
「初めて、こういう人になりたいなと思った」
その人とは、職場を離れてからも毎月のように会っていたという。
人は、憧れた誰かに少しずつ似ていく。
小杉さんの柔らかさや、押しつけない距離感の奥には、その人の影響があるのかもしれない。
小杉さんにとって「いい人」とはどんな人か。
その答えも面白い。
「忖度せずちゃんと、言ってくれる人」
普通なら、空気を読んで言わないことが多い。言えば変人扱いされることもある。
でも、小杉さんは言ってくれる人が好きだという。
「この人は裏がないんだなって思う」
耳に優しいことを言う人ではない。
必要なことを、ちゃんと言ってくれる人。
小杉さん自身もまた、そういう人を信じてきたのだろう。

函館は住みやすい。でも、気になるところもある
小杉さんの故郷は函館だ。
実家は朝市の近く。観光客でにぎわう場所である。
函館の魅力を聞くと、答えは早い。
「住みやすいですよ。料理もうまい」
特に今は、イカのおいしい季節だという。
一方で、故郷を見る目は甘いだけではない。
仕事が少ない。学校も統合されている。若者は札幌や東京へ出ていく。造船業や工場も昔のような力はない。
観光で人は来る。豪華客船で何千人もの外国人が降りてくる。
それでも、暮らす人の仕事や医療のことを考えると、気になるところは多い。
「いいところだけど、駅が遠いんだよなぁ」
「病院が少ないから、一つの病院の高齢者数が半端じゃない」
好きだからこそ、気になる。
地元を語るとき、小杉さんの言葉にはそんな温度がある。
いずれは函館に戻り、ゆっくり暮らしたい。
そして、できれば“ゆるく理髪店”をやりたい。
大きな店を持ちたいわけではない。ガツガツ稼ぎたいわけでもない。
ただ、技術を活かし、人と話しながら、故郷で暮らす。
それは小杉さんにとって、人生の最後に残った自然な夢なのかもしれない。

夢があるなら、準備は早い方がいい
小杉さんは、ある程度の歳で独立するものだと思ってたらしい。
けれど、年齢を重ねるにつれて、その思いは薄れていった。
だからこそ、5年後の自分に声をかけるならこう言いたい。
「自分の夢があるなら、もう準備を始めろ」
これは若い人への言葉にも聞こえる。
やりたいことがあるなら、いつかではなく、今から動くこと。
完璧なタイミングなど、たぶん来ない。
小杉さん自身、転職のたびに迷い、条件に悩み、それでも最後は選んできた。
散財タイプだったという。酒が好きで、よく飲みに行き、後輩たちの分も全額出した。
「今の子たちは誘っても来やしないけどさ」
そうぼやく姿もまた、小杉さんらしい。
少し昭和で、少し不器用で、でもどこか憎めない。
何かが起きても後に引かない。
「起きたことはしょうがないから、スパッと切り替える」
その軽やかさは、適当なのではない。
長く人と向き合ってきた人が身につけた、人生のさばき方なのだ。
「喋れれば大丈夫」──小杉さんらしい、人の迎え方
記事の最後に、小杉さんが珍しく少しだけ“お願い”をしてくれた。
現在、理美容師の募集をしているそうだ。
ただ、ここで面白いのが条件である。
年齢は関係ない。男女も関係ない。ブランクも関係ない。
フルタイムじゃなくてもいい。10時から15時でもいい。時短でもいい。
美容師として現場を離れ、結婚や子育てで仕事から距離を置いた人でもいい。
条件を聞けば聞くほど、「それ、本当にそんなに間口広くて大丈夫ですか?」と思ってしまう。
だが、小杉さんは笑って言った。
「喋れればいいかな」
接客経験?関係ない。
技術?教える。
人見知り?まあ、なんとかなる。
話を聞いていると、小杉さん自身がそうやって育てられ、人を見てきたからなのだろうと思う。
履歴書の行間より、その人自身を見る。
そんな空気が伝わってくる。
もしかしたら今、「もう一回やってみようかな」と思っている元理美容師さんがいたら、一度話を聞いてみるのもいいかもしれない。
人生は案外、“誰に会うか”で変わる。
小杉さんみたいな人がいる職場なら、なおさらだ。

インタビュー後記
小杉裕二さんは、自分のことを「適当」と言う。
でも、こういう人の「適当」は信用していい。
なぜなら、本当に適当な人は、自分のことを適当だと笑えないからだ。
函館から東京へ出て、美容師として始まり、植毛クリニックで人の悩みを聞き、ヘアコンタクトという新しい商品を広げる現場に立った。
技術もある。経験もある。人を見る目もある。
なのに、本人はどこか飄々としている。
「店長に嫌われるくらい尻を叩いた方が会社は伸びる」とわかっていながら、それができないと言う。
私はそこがいいと思った。
世の中には、数字のために人を追い詰める人がいる。
そして、追い詰めることを“仕事ができる”と勘違いしている人もいる。
でも小杉さんは、そういうタイプではない。
人を急かさず、話を聞き、必要ならちゃんと言う人を信じる。
この人はたぶん、すごく優しい。
ただし、本人にそう言うと、きっと照れくさそうに否定するだろう。
「いやいや、適当なだけだよ」と。
でも、善人承継はそういう人を見逃さない。
自分では大したことないと思っている人の中に、ちゃんと誰かを支えてきた人生がある。
小杉裕二さん。
函館に戻って、ゆるく理髪店をやる日が来たら、ぜひ行ってみたい。
たぶん髪を切るより、話を聞いてもらう時間の方が長くなる。
そして会計の頃には、こちらが少し元気になっている気がする。
ま、その時私の頭に毛が残っていればの話だが。。。
山元 直樹
2026/05/22(金)