川崎市出身、プロレスリング・ノア所属の大原はじめさん。2004年にメキシコでデビューし、GHCジュニアヘビー級をはじめ数々の王座を獲得してきた技巧派レスラーです。
その一方で、高齢者の健康づくり、学校での授業、障害のある方も楽しめる大会づくりなど、リングの外でも川崎の人たちと向き合い続けています。
中学校を抜け出して多摩川でトレーニングをしていた少年は、メキシコで夢を叶え、32歳で高校へ入り直し、大学に入学。
現在。教員免許を取得を目指しています。現在は右膝の手術でリングを離れていますが、その時間さえ次の挑戦へ変えようとしています。
◆プロレスラーを目指した原点を教えてください
中学生の頃から「プロレスラーになる」と決めていました。同級生が授業を受けている時間に学校を抜け出し、多摩川の河川敷でスクワットや腕立て伏せをしていたんです。
当時の自分にとっては、体を鍛えることが受験勉強のようなものでした。高校へのスポーツ推薦のお話もいただきましたが、進学せずに服部栄養専門学校で調理師免許を取得しました。プロレスラーは体が資本ですし、若手時代のちゃんこ番にも料理の知識が生かせると思ったからです。
18歳でプロレスの世界に入り、2004年にメキシコでデビューしました。言葉も文化も違い、お湯の出るシャワーさえ当たり前ではない環境でしたが、約5年間、プロレスに打ち込みました。アレナ・メヒコの大舞台に立ち、世界各地を巡り、NWAの王座も獲得できました。
一人で多摩川を走っていた少年の夢は、海の向こうで叶いました。
◆メキシコで見つけた「次の夢」は何でしたか?
一番心に残ったのは、チャンピオンベルト以上に、プロレスが街の文化として人々の暮らしに根づいていたことです。
家族みんなで会場へ来て、子どもが選手の名前を叫び、お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも一緒に楽しむ。日本のお祭りや盆踊りのように、プロレスが日常の中にありました。
「いつか日本でも、プロレスをもっと身近な文化にしたい」。有名になりたい、次のベルトが欲しいという夢から、プロレスを誰かの日常へ届けたいという夢へ、少しずつ変わっていきました。
◆地域活動を始めたきっかけを教えてください
29歳の頃、祖父母の介護が大きな転機になりました。祖父の骨折と入院、祖母の認知症を通して、「高齢化社会」が初めて自分の家族の問題になったんです。
それまでは自分の夢を叶えることばかり考えていました。でも、好きな道を歩んでこられたのは、家族や周囲の人たちに支えてもらったからです。今度は自分が誰かのためにできることを考えるようになりました。
プロレスで培った運動の知識と、調理師として学んだ食や栄養の知識を介護予防に生かしたい。そこで地元の高齢者施設で始めたのが「ムイビエン体操」です。
「ムイビエン」はスペイン語で「とても良い」「とても元気」という意味です。自分の夢のために身につけてきたものが、地域の誰かを元気にする力へ変わっていきました。

◆32歳から学び直したのはなぜですか?
介護予防をもっと専門的に学び、資格を取りたいと思った時、「高卒」という条件の壁にぶつかりました。それなら、今から高校へ行こうと決めました。
32歳で定時制高校へ入学し、15歳の同級生たちと机を並べました。最初は自分だけ場違いのようでしたが、学べることが楽しくて仕方ありませんでした。プロレスと両立しながら高校を卒業し、星槎大学へ進学。2026年には大学卒業(見込み)と教員免許取得(予定)という節目を迎えました。
中学生の頃は授業を受ける意味が分からなかった自分が、今は学校で生徒たちと向き合っています。人生は一本道ではありません。寄り道も、回り道も、いつか自分だけの力になります。
◆学生たちに一番伝えたいことは何ですか?
「人生は、何歳からでも、何度でもチャレンジできる」ということです。
自分は学校へ行かなかった時期があり、高校へ進まず、メキシコへ渡りました。その後、30代で高校生になり、大学へ進み、教壇に立つようになりました。整った道を歩んできたわけではないからこそ、今うまくいっていない子にも「今の状態が人生のすべてではない」と伝えられると思っています。
教育実習では、なかなか会話が続かなかった生徒に毎朝「おはよう」と声をかけ続けました。最終日、その生徒が一生懸命に言葉を選びながら、感謝と応援の気持ちを伝えてくれたんです。
メキシコで1万人の歓声を浴びた経験も忘れられません。でも、一人の生徒の小さな一歩に、同じくらい大きく心を動かされました。すぐに答えが返ってこなくても、声は届いている。そのことを生徒から教わりました。

◆カルッツかわさき大会に込めている思いを教えてください
2018年に始まったカルッツかわさき大会は、2026年で9回目を迎えました。自分にとっては単なる地元凱旋試合ではありません。プロレス、教育、福祉、企業、行政、地域が一つにつながる日です。
最初は、自分でチケットを購入して、子どもたちや福祉施設の皆さんを招待していました。やがて思いに共感してくださる川崎の企業や地域の方が増え、「大原はじめが誰かを招待する大会」から「川崎の街が、川崎の誰かを招待する大会」へ育ってきました。
小・中学生が生のプロレスに触れられる機会をつくり、2020年からは川崎市視覚障害者情報文化センターなどと連携したバリアフリー音声ガイドにも取り組んでいます。
子どもも、高齢者も、障害のある方も、初めてプロレスを見る方も、誰かを「楽しめない側」にしたくありません。試合の熱気を一緒に感じ、同じ瞬間に驚き、笑い、拍手する。プロレスには、人と人をつなぐ力があると思っています。
◆右膝の手術と、現在の目標について聞かせてください
右膝の後十字靱帯を約10年前に断裂し、近年は半月板の損傷も進んでいました。日常生活で歩くことさえ難しくなる中で、もう一度チャンピオンを目指すためには、今ここで手術と向き合う必要があると決断しました。
2026年8月23日のカルッツかわさき大会を最後に長期欠場へ入りましたが、目標ははっきりしています。2027年8月11日、第10回となるカルッツかわさき大会で復帰することです。
川崎の皆さんの前で、もう一度元気な姿を見せたい。そしていつか川崎でチャンピオンベルトを巻き、GHCジュニアの頂点へ返り咲きたいです。
手術もリハビリも、長い闘いになります。けれど、困難を一つずつ乗り越える姿そのものが、生徒たちや地域の皆さんへのメッセージになると思っています。プロレスラー先生として、諦めずに帰ってきます。

◆大原さんにとって「ムイビエン」とは?
単なる決めぜりふではなく、「今日も元気に、前向きに生きよう」という合言葉です。
人生には、うまくいかない日もあります。大きな挑戦ができない時は、小さな一歩でもいい。誰かにあいさつをする、学び直してみる、体を少し動かす。そんな一歩の積み重ねが、その人らしい「ムイビエン」につながると思います。
リングの上でも、教室でも、地域でも、目の前の一人と真剣に向き合うことは同じです。自分の経験や挑戦が、誰かの「自分もやってみよう」という気持ちにつながったら、これほど嬉しいことはありません。
◆川崎市北倫理法人会の会長に就任されましたね
2026年9月、大原さんは川崎市北倫理法人会の会長に就任しました。同会では毎週木曜日の朝、武蔵小杉のホテル精養軒で、経営者が生き方と経営を学び合っています。
「仕事や家庭で疲れた時にも、参加すると元気になれる。仲間同士が明るく、楽しく、挑戦を応援し合える会にしたいです」
会長就任にあたり、中原区の障害者福祉施設「しいの実」へプロレス観戦チケットを寄贈。「学びを会の中だけで終わらせず、川崎の皆さんに喜んでもらえる活動を増やしたい」と、地域での実践を目指しています。

【プロフィール】
大原はじめ(おおはら・はじめ)
1984年7月24日、神奈川県川崎市生まれ。プロレスリング・ノア所属。2004年5月16日、メキシコ・アレナコリセオでデビュー。GHCジュニアヘビー級、GHCジュニアヘビー級タッグ、NWA世界ウェルター級、NWAインターナショナルジュニアヘビー級などを戴冠。星槎国際高等学校横浜の非常勤職員として教育現場にも携わる。かわさきFMパーソナリティー、消防団、障害者支援、高齢者施設での活動、川崎市北倫理法人会会長など、地域で幅広く活動している。
◆インタビュー後記
「夢を叶えた人」というだけなら、遠い存在に感じるかもしれません。
大原さんの魅力は、叶えた夢の先で、受け取った力を地域や次の世代へ返そうとしていることです。学校から離れた少年時代も、異国での苦労も、祖父母の介護も、32歳からの学び直しも、右膝の手術も、すべてを誰かの背中を押す力へ変えてきました。
強さとは、倒れないことではなく、何度でも立ち上がり、その姿で誰かに勇気を渡すことなのかもしれません。
2027年8月11日、カルッツかわさきのリングへ。大原はじめさんの復帰を待ちながら、私たちも毎日を自分らしく「ムイビエン」に過ごしたいと思います。
関連リンク
プロレスリング・ノア 大原はじめ選手プロフィール:https://www.noah.co.jp/profile/25/
大原はじめ 公式note:https://note.com/muybien_hajime
