善人承継 リレーインタビュー
絵は「人と何かをつなぐ道具」になっていた
手書きイラストレーター オキ・ジュンコ () さん インタビュー

オキジュンコ

神奈川県平塚市出身

川崎市在住

武蔵野美術大学卒

アクリル画を中心に、手描きのイラストや壁画、段ボールアートなど多彩な表現を展開。動物を擬人化した手法を得意とし、身近なモチーフをポップで温かみのあるタッチで描き出し、見る人の心をやさしく包み込む世界観が特徴。地域とアートをつなぐ活動にも力を入れており、川崎市内の病院・幼稚園・都内店舗などへの壁画制作や、オリジナルキャラクター「ミドリネコ」シリーズを通して、日常に彩りと笑顔を届けている。

「ミドリネコ」と歩き始めた、オキ・ジュンコ

善き人から、次の善き人へ。

その人が何をしているかだけではなく、どんな道を歩き、何を大切にしてきたのか。その「生きた証」を残していくリレーインタビュー「善人承継」。

今回、俳優・演劇指導者の植松愛さんからバトンを受け取ったのは、川崎を拠点に活動するイラストレーター、オキ・ジュンコさん。

壁画、店舗のアート、イベント、そして最近では、鮮やかな緑色の猫、その名も「ミドリネコ」。

作品だけを見ると、「きっと毎日アトリエにこもって、ひたすら絵を描いている芸術家なんだろう」と想像する。

ところが、ご本人に聞いてみると――。

「仕事以外では、ほとんど絵を描かないんですよ。それだったら飲みに行きたい(笑)。人に会いたいんです」

……開始早々、こちらの“芸術家像”が崩壊した。

でも話を聞き終えた時、むしろそこにこそオキ・ジュンコという人の魅力があることに気づいた。

彼女が25年以上描き続けてきたもの。

それはもしかすると、「絵」だけではない。

人と人との間に生まれる、ご縁そのものなのかもしれない。



「美大、ちょっとカッコよくない?」から始まった

生まれ育ったのは神奈川県平塚市。

絵との出会いは幼い頃だった。

近所にあった絵画教室に小学2年生から中学3年生まで通った。そこは技術を詰め込む場所ではなく、粘土、針金、油絵、工作、時には焼き芋まで。

「習い事というより、遊びに行っている感じでした」

絵は昔から得意だった。学校のコンクールでも賞を取る。

ただ、家族が芸術一家だったわけではない。

父はオキさんが1歳の時に他界。母と年子の妹との3人暮らしで育った。

そして中学生になると、生活の中心は絵から一転、バスケットボールになる。

ちょうど『SLAM DUNK』全盛期。

強豪校で、週5,6の練習。水も満足に飲めない時代である。

「毎日地獄ですよ(笑)。吐きそうになりながらやってました」

高校3年まで、完全なるバスケ少女。

では、なぜ美術の道へ?

答えは、実にオキさんらしかった。

「進路どうしようかなって。体育大もあるし、食べるのも好きだからそっちもいい。でも、美大って……ちょっとカッコよくない?って(笑)」

決めたのは高校3年の夏。

遅い。かなり遅い。

美大受験の予備校へ行けば、「そんなに甘くない」「浪人しますよ」と言われた。

それでも、

「じゃあ浪人でもいいです」

と飛び込んだ。

そして本当に二浪した。

軽やかに見えるが、やると決めたらしぶとい。

この頃からすでに、後のオキ・ジュンコをつくる「体育会系アーティスト」の片鱗は十分すぎるほど現れていた。



就職経験、ゼロ。それでも25年以上続けてきた

武蔵野美術大学の短期大学部へ進み、卒業後は就職しなかった。

アルバイトをしながら絵を描く。

そこから今日まで、会社員になったことは一度もない。

本人はさらりと話すが、考えてみればすごいことである。

収入が保証されるわけでもない。

明確な昇進もない。

「何歳までにここまで行けば成功」という答えもない。

周囲からは、

「普通、怖くて一回くらい就職するよね」

と言われたという。

それでも描くことをやめなかった。

気がつけば25年以上。

「最近になって、続けることに意味があるって、こういうことなのかなって思うんですよね」

何か壮大な計画があったわけではない。

「絶対に売れてやる」とギラギラしていたわけでもない。

本人いわく、

「なんとなく、いつか私いけるんじゃないかっていう、根拠のない自信(笑)」

その根拠のない自信を25年持ち続けられたこと。

もしかすると、それはもう立派な“根拠”なのかもしれない。



一枚の絵から、壁一面へ

転機は、平塚のフレンチレストランでアルバイトをしていた頃だった。

「絵を描いている」と知ったシェフが、知り合いの店を紹介してくれた。

そこで展示を始める。

すると、たまたま食事に来ていたレストランオーナーが作品を気に入った。

「この絵が欲しい」

しかし、すでに買い手がついていた。

すると、

「じゃあ僕のために描いてよ」

さらに、

「今度、表参道にも店を出すから、そこで展示やらない?」

一つの出会いが、次の出会いにつながった。

やがて人気飲食店「AWkitchen」との仕事へ。

そして、これまで描いたこともない大きさの壁画を頼まれる。

「そんな大きいの、描いたことないです」

返ってきたのは、

「いいじゃん、やってみなよ」

やってみた。

そこから店舗が増えるたびに仕事も増え、施工会社やデザイナーから別の依頼も来る。

気がつけば何十店舗もの壁を描いていた。

営業活動で仕事を取ってきたわけではない。

人が人を呼び、仕事が仕事を呼んだ。

まさに“数珠つなぎ”だった。


AW kitchenの渡邉明氏の目についたきっかけの絵画





文化系の皮をかぶった、完全なる体育会系

壁画制作は、意外と肉体労働である。

脚立に上る。降りる。また上る。

何日間も朝から晩まで描き続けることもある。

その集中力はどこから来るのか。

オキさんは即答した。

「バスケだと思います」

学生時代の厳しい練習に比べれば、仕事で絵を描くことは苦にならないという。

「私、美術部に入ったことないんですよ。文化系なのに、中身は完全に体育会系(笑)」

なるほど。


「絵より、まず私に会ってもらう」

オキさんの仕事には、もう一つ面白い特徴がある。

営業方法だ。

「しゃべるのだけは自信があったんですよ(笑)。会わせてもらったら、大体仕事取れるからって」

作品集を持って必死にプレゼンする、というより、

まず会う。

しゃべる。

仲良くなる。

そして最後に、

「ところで、私の絵、見たことあります? 大丈夫ですか?」

そんな順番らしい。

現在の仕事もリピーターや口コミが多い。

しかし話を聞いていくと、単に「人付き合いが上手」ということではなかった。

オキさんは、とにかく相手に興味を持つ。

クライアントから依頼を受ける時も、要望だけを聞くのではない。

その人はどんな人なのか。

何が好きなのか。

何をしたいのか。

話しながら、その人の奥にあるものを探していく。

そして、それを自分なりに咀嚼して絵にする。

だからオキさんは言う。

「結局、人に興味があるんです」

そして続けた。

「絵はたまたまツールだったんだと思います。別に絵じゃなくてもよかった。たまたま絵がコミュニケーションツールになっただけで」

これは今回、最も印象に残った言葉だった。

オキ・ジュンコという人を一言で表すなら、「絵を描く人」ではないのかもしれない。

人に会い、人を知り、人とつながる人。

その手段が、彼女の場合は絵だったのだ。

猫  描く  なんか漢字似てる(笑)





川崎で見つけた、自分の街

結婚を機に川崎へ移り住んで約18年。

「神奈川が大好き。多摩川は越えません(笑)」

平塚生まれの“神奈川愛”は筋金入りである。

現在では川崎での活動も増え、「かわさきジャズ」のメインイラストを担当するなど、街との関わりも深くなっている。

「川崎の絵になれたらいいな」

そんな思いも口にした。

さらに「みんなの川崎祭り」では、段ボールアートに「ゴミは持ち帰ってね」というメッセージを添え、ゴミ袋を自由に持って帰れる取り組みも行った。

その投稿が思いがけずSNSで大きく拡散。

本人いわく約74万回閲覧、1万2千件ほどの「いいね」がつき、フォロワーも一気に増えたという。

絵を描く。

人が見る。

そこから、街の行動が少し変わる。

ここでもやはり、絵は「人と何かをつなぐ道具」になっていた。




そして現れた、謎の「ミドリネコ」

オキさんの作品に近年、頻繁に登場するキャラクターがいる。

緑色の、ぽってりした猫。

その名も――

[ミドリネコ」。

そのままである。

「緑の猫だからミドリネコ。すいませんって感じなんですけど(笑)」

ところが、このミドリネコ。

実は20年ほど前、表参道で展示をしていた頃に一度描いていたという。

その後すっかり忘れていたが、数年前、占いで「あなたの色は緑」と言われて思い出した。

「そういえば、昔、緑の猫を描いたな」

昔の作品を引っ張り出し、もう一度描いてみた。

そこから少しずつキャラクターとして育てていった。

そして今、

「あ、ミドリネコのオキさんね」

と言われることが増えてきた。

25年以上、一人でやってきたオキさんが、まだまだキャラクターを育てていこうとしている。

「この年になっても、まだワクワクする」

その表情が印象的だった。


初代ミドリネコ





「ミドリネコのオキ・ジュンコ」へ

壁画は、できる限り続けたい。

「死ぬまでやりたいんですよ」

しかし、脚立を上り下りする仕事をいつまで続けられるかはわからない。

だからこそ、これからは違う形でも作品を届けていきたい。

ミドリネコを通じた企業とのコラボレーション。

そして、もっと川崎で知ってもらうこと。

大きな野望を声高に語るタイプではない。

「自分が好きな生活ができるくらいでいい」

そう笑う。

けれど、その一方で、

「もうちょっと認知度を上げたい」

という小さな、しかし確かな欲もある。

オキ・ジュンコの第二章は、どうやら始まったばかりらしい。



続けていたら、ご縁がやってきた

今回のインタビューを振り返って、不思議に思うことがある。

オキさんの人生には、「最初からこうなる予定だった」というものがほとんどない。

美大進学も、ある意味ノリだった。

最初の展示も、人からの紹介。

壁画も、人から声をかけてもらった。

川崎に来たのも結婚がきっかけ。

ミドリネコだって、20年前になぜ緑色で描いたのか、本人にもよくわからない。

でも一つだけ、ずっと変わらなかったものがある。

やめなかったこと。

そして、

人とのご縁を大切にしてきたこと。

「続けてきたから今があるのかな。本当に、ご縁だけで」

そう語るオキさん。

人生は、最初から完成図が見えていなくてもいいのかもしれない。

好きなことを続ける。

目の前の人とちゃんと向き合う。

誘われたら「面白そう」と顔を出してみる。

そうやって一つひとつ点を打っていると、いつの日か、その点同士が勝手につながり始める。

オキ・ジュンコさんの人生は、まるで彼女自身が描く壁画のようだ。

近くで見れば、一つひとつの線や色。

でも少し離れてみると、

「ああ、こんな絵になっていたんだ」

と気づく。

そしてその絵は、まだ完成していない。

これからそこに加わる大きな一筆は、きっと鮮やかな――

「ミドリ」なのだろう。






インタビュー後記

植松愛さんからご紹介いただいたオキ・ジュンコさん。

実際にお会いして最も印象に残ったのは、作品以上に――と言ったら怒られるかもしれないが(笑)――とにかく「人」が面白いことだった。

しかし、一言一言の終わりにはかかわってくれた方への感謝の言葉が出てくる。その感謝があるからこそ、よく笑い、よくしゃべり、人に興味を持ち、誘われれば面白そうな場所へ出かけていく。

そして気がつけば、そこで出会った人が次の仕事や友人につながっている。

「絵はコミュニケーションツールだっただけ」

この言葉に、オキさんの生き方が凝縮されているように思う。

善人承継もまた、人から人へと思いをつないでいく企画だ。

植松愛さんの記事を読んだオキさんは、「こんな身近な人でも知らないことっていっぱいあるんですね」と話してくれた。そして自分の記事についても、「これで載せてもらったら、いつ死んでも大丈夫ですね」と笑った。

冗談めいた言葉だったけれど、私にはとても嬉しい一言だった。

その人が生きてきた時間を、言葉にして残す。

普段の付き合いだけでは知ることのなかった一面を、家族や友人、そしてまだ出会っていない誰かへ届ける。

善人承継で残したいものは、まさにそこにある。

さて。

オキ・ジュンコさんから、次はどんな「善き人」へバトンが渡るのだろう。

「50人くらいいけますけど(笑)」

……頼もしい。

ミドリネコ以上に、人とのご縁をたくさん抱えている人なのかもしれない。

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オキ・ジュンコ

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*相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 植松 愛 さん