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【PART3】
1989年に府内町五番街(開館時の名称は若松通り)に開館した「シネマ5」。シネコンや全国ロードショー館ではまずかかることのない小規模な、しかし個性に溢れた作品を上映する映画館として、大分の映画ファンから長く親しまれている。2011年には規模の大きなセントラル劇場の地下1階を引き継ぎ、「シネマ5 bis」も開館。2館体制で世界の映画を大分に届け続けている。

支配人である田井肇は、1970年代後半に始まった湯布院映画祭の運営にかかわるディープな映画ファンなどを経て、思いがけず映画館主になった人物だ。経営は開館当初から順風満帆ではないというが、確実に大分の映画文化とコミュニティーを支え続けてきた劇場、シネマ5。その歴史、そして田井の個人史についてたずねた。

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ー 映画の半券チケットをコレクションできる会員ノートが素敵な年間会員制度や、大分合同新聞とコラボレーションした上映など、さまざまな企画もシネマ5が支持され続けてきた理由ではないでしょうか? スタッフのみなさんの企画力が魅力にもつながっているのだろうと思います。

田井 もちろんシネマ5なりの作戦や狙いはありますけど、それが目立ちすぎてはよくないと考えています。少なくとも私は自分の匂いを映画館から消したくてたまらない。かっこよく言えば、シネマ5に対するお客さんの予想を裏切りたいし、ミステリアスでありたい。それは自分の美学ですね。
 映画館って、見られたい映画があって、それを見たいお客さんがいて、その両者が出会う場所じゃないですか。映画のなかにはその人だけの空間があるのであって、私たちがすべきなのは、その出会いを邪魔するマイナス点……スマホの明かりとか、食べ物を食べる音なんかをいかに減らして、余計なものが足されない0点にいかに近づけるかなのだと思います。それでも最後に残ってしまうのが入場料で、本当はそれすら取り除いて、ふらっと見に来てもらえたらいいと思っているのですが。

ー 誰でも入れる完璧な公共空間になりますね。商売にはならないけれど、気持ちはわかります。

田井 自分なりのミニシアター理論というのがあってですね。ヨーロッパではアートシアターと呼ばれますが、なぜ日本でこれほどミニシアターが受け入れられたのかというと、それは茶室に近い空間だからだと私は考えています。安土桃山時代に豊臣秀吉が書院造りの大きな建物をつくった一方で、千利休は、二畳半しかなく、かがまないと入れないような入口をつくって、ひそひそ話でしゃべらなければいけない空間をつくった。その空間性、そこで得られる経験が日本人には響くのではないか。だからミニシアターの小ささも受け入れられたと考えているんです。

ー 映画館の運営者が出しゃばらない気づかいのあり方は、たしかに茶室的な気がします。

田井 世の中全体に、自分だけ目立ちたい、出しゃばりたいという気持ちが溢れていて、そういう空間がますます無くなっている感じがありますよね。

ー シネマ5には夜の時間帯に通っているのですが、お客さんの数は少なくとも、性別・年齢を問わず、みんなそれぞれに心地よい時間を過ごしているんだなと感じることがしばしばあります。映画を見ることが主要な目的であっても、その後に得られる個人的で心地よい時間を提供するのは映画館に限らず劇場的空間が持ちうる公共性ですし、それはシネマ5が約36年かけて培ってきた財産だと思います。

田井 私が永遠に生きるわけではなく、映画館もそう遠くない未来に無くなることを思うと、こうやってインタビューを受けるのも減らしていきたい気持ちがあるのですが、シネマ5で「映画を見る時間」が、いまの時代に提供できる何かがあるならば、意義はあるのかも。
 ……いや、意義や意味があるから映画館に来てねというんじゃなくて、「役に立たなきゃいけない」とか「生きることに付加価値が無ければダメだ」というような無用のプレッシャーから離れる場所として、映画館を提供していきたいです。【了】

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