東京都 世田谷区
神奈川県 川崎市在住
俳優業 タレント
【CM出演】
雪印メグミルク さけるチーズ「ごはん前のおやつはまかせろ」篇
NEWクレラップ「#じぶんいいね」篇
https://youtu.be/IQOfr-ZCRfg?si=gcmlbR33mmiBSf8H
グリコ カフェオーレ「ミス・カフェオーレ隊 送り応援」篇
【ナレーション出演】
HOKUSAI : ANOTHER STORY in TOKYO 「カラダで感じる」イマーシブ2.0 〜 先端技術で再構築する葛飾北斎が見た江戸の世界 〜
ヤマハ発動機「新しい私へ会いに行こう。」篇
【スチール】
ブリヂストンサイクル『Cycle Your Life! 今日も、きみと。 』
【企画イベント】
本気の本読み!ビブリオライブ
【ワークショップ】
『ハジメテの演劇』
川崎市100周年記念映画祭 プロジェクトマネージャー
学校・企業チームビルディング・プレゼンテーション講師
話し方講師
居場所が見つかった17歳の日から、私の人生は舞台になった。― 演劇に救われた少女は、今度は誰かの「居場所」をつくる人になった ―
「私、昔のあだ名が“モアイ”だったんです(笑)」
インタビューが始まって間もなく、植松愛さんはそう言って笑った。
思わずこちらも吹き出してしまう。
「なんでモアイなんですか?」
「おでこが出てたから、小学生の男子につけられちゃって(笑)」
この日お会いした植松さんからは、そのあだ名を想像するのはなかなか難しい。
穏やかな笑顔で、一つひとつの質問に丁寧に答えてくれる姿からは、どこか人を安心させる空気が漂っている。
けれど、お話を伺っていくと、その笑顔の奥には、自分の居場所を探し続けた少女時代があったことを知る。
そして17歳のある日、一つの舞台が、その人生を大きく変えることになる。

「どうして私は、あっち側じゃないんだろう。」
植松さんは幼い頃、とても恥ずかしがり屋だった。
赤面症で、人前に出ることが苦手。
でも、不思議なことに目立つことは嫌いではなかったという。
家ではテーブルの上に乗り、「白鳥の湖」を踊っていた。
「家の中ではオンステージでした(笑)」
舞台の上では自由になれる。
でも、一歩外へ出ると自信が持てない。
そんな子どもだった。
テレビに映る子役たちを見るたび、胸の奥で同じ思いが湧き上がる。
「どうして私は、あっち側じゃないんだろう。」
理由は分からない。
でも、演じる人への憧れだけは、小さな頃からずっと持ち続けていた。
一度だけ、「女優になりたい」と打ち明けたことがある。
周囲の大人からは、「女優になるのは難しいよ」
幼かった植松さんは、その言葉を素直に受け止めた。
「そっか。私は違うんだ。」
夢は、そのまま心の奥へしまい込まれた。
17歳。「ここだと思えた日」
転機は高校時代だった。
市が主催する中高生向け演劇ワークショップ。
演劇経験はもちろんゼロ。
それでも、なぜか「やってみたい」と思った。
演技の基礎から始まり、ゲームのようなエクササイズを繰り返す。
気が付けば、緊張はどこかへ消え、ワクワクだけが残っていた。
初めての稽古。初めての台詞。初めて感じる舞台の上の空間。
「こんな世界があるんだ。」
演じている時間だけは、不思議なくらい自由だった。
怒ることも、泣くことも、笑うことも、全部、自分のままでいい。
そんな感覚を初めて味わった。
しかも、初舞台で任された役は、まさかの主役。
「全員初心者だったからですよ(笑)」
そう照れ笑いする植松さんだったが、舞台は大きな反響を呼び、再公演が決まる。
その知らせを聞いた瞬間、胸に浮かんだ言葉は今でも忘れられない。
「よかった。また、生きていける。」
楽しかったからではない。
拍手が嬉しかったからでもない。
「ずっと『ここじゃない、どこかに自分の居場所がある』って思って生きてきたんです。でも、お芝居に出会って初めて、『ここだ』って思えた。」
17歳の少女は、その日、自分の人生を生きる場所を見つけた。
一本の舞台が、家族をつないだ日
当時は家族それぞれに様々な思いがあり、どこか少し心がすれ違ってしまう時期でもありました。
そんな中で迎えた舞台本番。ご両親は観に来てくれたものの、どこかそわそわした様子で、別々に会場へ入られました。
その日の作品のテーマは、「子どもたちの心」。
舞台が終わり、ふとロビーに目をやった植松さんは、信じられない光景を目にします。
「それまで少し距離があったはずの父と母が、手をつないで帰っていったんです。」
思わず目を丸くしました。
作品が二人をそうさせたのかは分かりません。でも、何か大切なメッセージが二人の心に真っ直ぐ届いたのだと感じました。
「あの日からですね。両親が私の活動を一番に応援してくれるようになったのは。」
演劇は、自分の人生の扉を開けてくれただけでなく、家族の関係までそっと結び直してくれたのです。
しかし、その頃の年頃2人を持つ家庭は決して穏やかではなかった。
「今となってはどの家庭も一緒ですよね。」
当然、家族の心も少しずつすれ違っていった。
そんな中で迎えた舞台本番。
ご両親は観に来てくれたものの、別々に会場へ足を運んだ。
その日の作品のテーマは、「子どもたちの心」。
舞台が終わり、帰ろうとした植松さんは、信じられない光景を目にする。
「父と母が、手をつないで帰っていったんです。」
思わず目を丸くした。
舞台が直接そうしたのかは分からない。
でも、作品を観たことで、何かが二人の心に届いた。
「あの日から、両親がお芝居を応援してくれるようになったんです。」
演劇は、自分の人生を変えただけではない。
家族の関係まで、そっと結び直してくれた。
「無理だ」と言われても、夢だけは諦めなかった
もっと演劇を学びたい。
その一心で、植松さんは大学進学を決意した。
ただ、動き出したのは高校2年の秋。
先生からは、「高2の秋からじゃ無理だよ」
と言われた。
それでも植松さんは、どうしても諦めきれなかった。
当時、偏差値の低いところから難関大学へ進学した人の本を読み、
「頑張れば、私にも可能性があるかもしれない」
と思ったという。
そこから、人生で一番勉強した。
「学校を休んで勉強していました(笑)」
努力は実を結び、大学へ合格。
大学では英語を学びながら、小劇場の世界に飛び込み、舞台に立つ日々を送った。
トンネルの入り口と見えてきた小さな光
気がつけば、舞台に立つことの方が生活の中心になっていた。
「今思えば、もっと大学にも行けばよかったですね(笑)」
そんな茶目っ気のある一言にも、植松さんらしさがにじむ。
卒業後も、すぐ俳優一本には進まなかった。
介護ヘルパーとして一年間働くことを選ぶ。
「社会を知らない自分が怖かったんです。」
遠回りだったかもしれない。
けれど、その一年があったからこそ、人の暮らしや喜び、悲しみに触れることができた。
「演じる時の説得力にもつながっています。」
人生に無駄な経験なんて、一つもない。
植松さんの話を聞いていると、そんな言葉が自然と浮かんでくる。
「心が動くって、こういうことなんですね」
俳優として歩み始めたものの、決して順風満帆ではなかった。
CMや映像作品に出演しながらも、「もっと売れたい」「もっと認められたい」という葛藤は消えなかった。
仲間と自主映画を撮り、夢を語り合った日々。
「あの頃の仲間が、今では日本の映像業界の第一線で活躍しているんです。」
嬉しそうに話す表情からは、仲間への誇りが伝わってくる。
そして今、植松さんは俳優としてだけではなく、演劇ワークショップの講師としても活動している。
そこで大切にしているのは、演技の上手さではない。
レッスン生の方が、心が動くってこんな感じなんですね、窓から差し込む光さえも美しく見えます。と涙されたんです。
悲しくても泣けない。
嬉しくても素直に喜べない。
演劇は、そんな心を少しずつほぐしていく。
「私は、全肯定できる場所をつくりたい。」「安心して、自分を出せる場所をつくりたい。」
「誰かを評価する場所ではなく、誰もが安心して「自分」でいられる場所をつくりたい。」
それが、植松さんの目指す演劇だった。
あの頃に感じた「人と心が通い合う喜び」は、俳優としての活動も、ワークショップも、企業研修も、現在の植松さんが届けているすべての表現活動につながっている。
演劇は、人を演じることではなく、自分を生きること(人と心が通い合う)
「演劇って、人と人の心がすごくつながるんです。」
30分前まで初対面だった人同士が、気づけば涙を流し、抱き合っている。
そんな光景を何度も見てきた。
だから植松さんは、演劇そのものよりも、その先にある人と人とのつながりを愛している。
現在は川崎市での活動にも積極的に関わり、川崎市100周年記念映画祭では企画・運営プロデューサーとして奔走した。
「目から血が出そうなくらいパソコンを見ていました(笑)」
そう笑う姿からも、頼まれたことには全力で向き合う人柄が伝わる。
そして、これから挑戦したいことを尋ねると、少しだけ照れながら答えてくれた。
「まだ言えない夢があるんです。」
詳しくは教えてくれなかった。
でも、その瞳は17歳で舞台に立った少女と同じように輝いていた。
きっとまた、誰かの居場所をつくる新しい挑戦が始まるのだろう。
最後に、「植松愛さんにとって演劇とは?」と尋ねた。
少し考えたあと、返ってきた答えは、とてもシンプルだった。
「私、そのものです。」
飾らない一言だった。
けれど、その短い言葉の中に、これまで歩んできた人生のすべてが詰まっているように感じた。
17歳で見つけた「居場所」は、いつしか誰かの「居場所」をつくる場所になっていた。
演劇に救われた少女は、今度は演劇を通して、人の心を自由にしようとしている。
そんな植松愛さんの姿を見ていると、夢とは追いかけるものではなく、誰かに手渡していくものなのかもしれない。
そんな彼女は今・・・。
「ハジメテの演劇ワークショップ」
会社経営者、会社員、庭師、料理人、俳優を目指す人。様々な世代、職種の人が集まるワークショップを主催している。
中には、発達障害、適応障害など個性も様々だ。
このワークショップでは、特別扱いはない。
目的は演技を教えるではなく人と、「心を通わせる時間を届ける」だからだ。
本音で笑う、本音で泣く、一緒に笑う、一緒に泣く。ありのままの自分を出すことで心が弾む事を彼女は知っているからこそ、ワークショップに通う全ての人の心を弾ませる事を植松さんはプロデュースをしている。
また、違う一面も持っている。
俳優として活躍してきた植松さんだからこその
学校、企業の方たち向けの「チームビルディング・プレゼンテーション研修」だ。
相手の気持ちを想像する力。
自分の想いを伝える力。
仲間と創り上げる力。
表現者だからこその視点のこの研修は、学校、企業様からも、そして何より、受講した方々も、楽しかった、仕事で行かせると好評のようだ。
俳優として、いや、表現者として。
地域、行政、企業、教育現場の場へも参画し、
Life is beautifulを、体現している。

インタビュー後記
インタビューが始まってすぐ、「昔のあだ名はモアイでした(笑)」と笑わせてくれた植松さん。
その瞬間から、場の空気はふっと和らぎました。
でも、お話を伺ううちに見えてきたのは、居場所を探し続けた少女時代、家族との葛藤、そして「また生きていける」と思えた17歳の舞台。
その一つひとつが、今の植松愛さんを活躍の場をつくっていました。
そして、一時間のインタビューを終えた私の前にいたのは――
モアイをいっぺんたりとも感じさせない、可愛い植松愛さんでした。
けれど、本当に魅力的だったのは、その笑顔の奥にある「誰かが自分らしく生きられる場所をつくりたい」というまっすぐな想いです。
これから植松さんが描く舞台には、きっと多くの人が救われ、勇気をもらうのでしょう。
その舞台の幕が上がる日を、私も楽しみにしています。
お問い合わせ
植松愛
highplant39@gmail.com
Instagram:https://www.instagram.com/aiue.matsu?utm_source=qr
*相談の際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。
吉留暖
2026/08/25(火)