善人承継 リレーインタビュー
病がひらいた、私だけの「道」――書で人をつなぎ、鹿児島から伝統文化の未来を描く書道家・粋淳
粋淳書道教室 書道家 粋淳 (すいじゅん) さん インタビュー

「おとなしかった少女」が、自分だけの道を見つけるまで

「子どもの頃は、とても人見知りでした。今では考えられないくらい、おとなしかったんです。」


そう笑う粋淳さんからは、その頃の姿は想像できない。

大阪府堺市で生まれ育ち、小学校卒業までをマンモス団地で過ごした。

5歳から母の勧めで書道を始め、剣道、水泳、ポートボール、そろばんと、多くの習い事にも通った。

父は高校教師であり、剣道の先生でもあった。

厳格な父だった。今では考えられないような厳しい指導を受けたこともある。

しかし、その背中を見て育った経験は、今も粋淳さんの人生の土台になっている。


「厳しい父でしたけど、ずっと尊敬しています。」


小学校卒業後、父が大学教員としての赴任をきっかけに鹿児島県鹿屋市へ移住した。

環境が変わり、反抗期も重なって勉強から少しずつ離れていく。今、あの頃の自分に声を掛けるなら何と言うだろうか。


「たくさん勉強しなさい。」


その答えに迷いはなかった。

大人になると、勉強とはテストの点数ではなく、人生の選択肢を広げる力なのだと気づく。

きっと、それを誰より実感しているからこその一言なのだろう。


雅  号:粋淳(すいじゅん)

居住地:鹿児島県鹿児島市

出身地:大阪府堺市

活  動:2026年英国王立美術家協会名誉会員・鹿児島市文化芸術推進会議委員(任期2年)/書道家・書道講師/粋淳書道教室主宰/書彩ART学院設立準備室代表

「好きなことをして生きよう」がんが教えてくれた、本当の人生

粋淳さんの人生が大きく動いたのは41歳。

当時は病院事務として働き、家庭を守り、子育てをする、ごく普通の毎日を送っていた。

ある日、左目だけが腫れ始めた。

眼科を受診すると「花粉症」と診断される。しかし、医療現場で働いていた経験から、どうしても違和感が拭えなかった。


「花粉症なら両目に症状が出るはず。」


そう考え、病院を変えながら診察を受け続けた。

転機となったのは、かかりつけの耳鼻科医からの一本の電話だった。


「やっぱりCTを撮りましょう。」


大学病院で手術後に判明したのは、左目の涙腺にできた悪性腫瘍だった。

頭蓋骨を開く大手術を受け、現在も頭部にはチタンプレートが入っている。その後には難病も判明し、一生付き合っていく病気も抱えることになった。

健康だけは自信があった。

剣道を続け、風邪ひとつひかないと思っていた自分が、まさかがんになるとは夢にも思わなかった。

しかし、この出来事が人生を大きく変える。


病気をしてから、好きなことをして生きようと思ったんです。


もし病気にならなければ。


「たぶん、普通のパートのおばちゃんで、主婦だったと思います」


そう笑うが、その言葉は重い。

人生は時に、あまりにも乱暴な方法で進路変更を迫ってくる。

粋淳さんの場合、その先に待っていたのが、幼い頃に親しんだ書道だった。


「この道より我を生かす道なし」

病気を経験した後、粋淳さんは書道の世界へ本格的に戻った。

心を支えたのは、武者小路実篤の言葉だった。


「この道より我を生かす道なし  この道を歩く」


その言葉を自らの筆で書き、日々目に入る場所に置いた。

書道教室を始めたのは約11年前。当初は、ありきたりな「〇〇書道教室」という名前にしたくなくて、ローマ字を使った教室名を付けていたという。

やがて書道家として活動するため、雅号が必要になった。

本名の「淳」を生かしたい。緑色が好きなので、翡翠の「翠」を使い、「淳翠」にしようかと考えたこともあった。

でも、きっと周囲からは、「お前が“純粋”みたいな雅号を名乗るのか」と突っ込まれるに違いない。

最終的には所属する書道会に雅号を依頼し、「粋淳」という名が届いた。

「粋」は、洗練された美しさや、物事の本質を知る心を表す。そして「淳」には、素直で飾り気のない人柄という意味がある。

その名に添えられた説明も、自分の歩む道と不思議なほど重なった。

以来、教室名も「粋淳書道教室」となった。


粋淳さんの書は、整った文字を正確に書くだけのものではない。自由な創作を大切にし、文字を一つの表現として見せていく。

黒一色だけではない。赤やさまざまな色の墨、濃淡、かすれ、余白。筆文字には、機械で打たれたフォントには出せない感情が宿る。


「根本にあるのは、自由なんです」


書道を「掛け軸の中だけの世界」に閉じ込めない。

音楽、映像、SNS、パフォーマンス。現代の表現と融合させることで、若い世代にも書道の面白さを伝えていきたいと考えている。

現在、日本の「書道」はユネスコ無形文化遺産への登録を目指して提案されており、2026年11月から12月頃の審議が予定されている。

だが、文化が認められても、それを支える人がいなくなれば続かない。

墨、筆、硯、和紙を作る職人は減少している。表に立つ書家だけでなく、道具を作る職人まで含めて守り、次代へつながなければならない。

粋淳さんが見ているのは、作品の完成だけではない。

書を生み出す文化そのものの未来である。


廃校を「魔法の学校」に変える

現在、粋淳さんはほぼ毎日、書道教室で筆を握る。

月に数回ある休みには、85歳になる母が暮らす鹿屋へ向かい、病院への付き添いや買い物を手伝う。

一人っ子だからこそ、自分が支える。それが当たり前になっている。

そんな日常を送りながら、今、人生を懸けて挑んでいる夢がある。


それは、廃校を活用した「書道の学校」をつくることだ。

少子化によって役目を終えた校舎を、もう一度、人が集まり、笑顔が生まれる場所へ変えたい。

単なる書道教室ではない。

書道パフォーマンスを学び、映像表現を学び、SNSでの発信を学ぶ。

子どもも、大人も、高齢者も、学校へ行きづらい子も、一緒に集まれる場所。


「書道は老若男女、誰でもできる文化なんです。」


だからこそ、地域をつなぐ力があると信じている。

プロジェクトを始めた当初、多くの人から「無謀だ」と言われた。

行政へ相談しても、返ってくるのは維持費や採算性の話ばかり。

それでも粋淳さんは歩みを止めなかった。

県外の廃校活用事例を見に行き、多くの人と出会い、少しずつ仲間を増やしてきた。

最近では日置市で活動の可能性も見え始めているという。


「鹿児島には、本当にいいものがたくさんある。でも、まだまだ伝えきれていない。それがもったいない。」


その言葉には、郷土への愛情と歯がゆさが入り混じっていた。

だからこそ、自分が伝える側になろうと決めた。

鹿児島から全国へ。

そして世界へ。

廃校という「終わった場所」を、「始まりの場所」へ変える。

それが粋淳さんの挑戦だ。


夢は、北海道まで続いている

「60歳で引退したいって言ってるんです。」


そう笑う粋淳さんに、周囲は口をそろえて「無理」と返すらしい。

私もその一人である。

鹿児島から始まり、全国の廃校へ。

さらに海外へ日本の書道文化を届ける。

そんな壮大な夢を抱えた人が、あと数年で静かに筆を置けるとは到底思えない。

もちろん本人も分かっている。

だから今、一番力を入れたいのは「後継者づくり」だ。


夢は、一人で叶えるものではなく、受け継がれて完成するもの。

その考え方が、とても粋淳さんらしい。

五年後の自分へ、どんな言葉を掛けたいですか。

そう尋ねると、返ってきたのは一言だった。


「よく頑張ったね。」


その頃には学校の仕組みが形になり、未来へつながるレールが敷かれている。

そう信じているからこその言葉だった。

新社会人へのメッセージも印象的だった。


「頭の良さより、コミュニケーション能力が大切。」


時代は変わった。

人と関わることが苦手な若者も増えている。

だからこそ、書や絵を通じて、自分の居場所を見つけてほしい。


「人は、一人では生きられません。」


病気を経験し、家庭を守り、子どもを育て、人生の岐路を何度も越えてきた人だからこそ、その言葉には重みがある。

最後に、「善人とはどんな人ですか」と尋ねた。

少し考えたあと、粋淳さんは静かに答えた。


生きる姿を、背中で見せる人。


その瞬間、私は厳格だったお父様の姿を思い出した。

言葉ではなく、生き方で教えてくれた父。

そして今、その背中を見せる役目は、粋淳さん自身へと受け継がれている。


インタビュー後記

今回のインタビューで、一番驚いたことがある。

見た目と中身が一致しない。もちろん悪い意味ではない。

粋淳さんはとにかく物腰が柔らかく、上品で、優しい。

ところが話を聞けば、頭蓋骨にはチタンプレートが入り、難病とも向き合いながら、行政へ何度も足を運び、「廃校を学校に変えます」と本気で動いている。

例えるなら、見た目は繊細な小筆。

しかし書いている人生は、極太の大筆である。


しかも、お母様には廃校プロジェクトをまだ詳しく話していないそうだ。

理由は「心臓が縮まるから」。

成功してから報告する予定らしい。

この親孝行なのか親不孝なのか分からない作戦には、思わず笑ってしまった。

でも、それでいいのかもしれない。

結果で安心させる。それも一つの優しさだ。


病気をしたから書道に出会ったのではない。

書道はずっと人生の中にあった。

ただ、病気が「本当に歩くべき道」を教えてくれた。

だからこそ、武者小路実篤の


「この道より我を生かす道なし  この道を歩く」


という言葉が、これほどまでに似合う人はいない。

ちなみに、60歳で引退したいという話だけは、私は周囲の皆さんに一票入れたい。

粋淳さん。

たぶん無理です。

きっと60歳のあなたは、北海道の廃校で子どもたちに筆を握らせながら、「次は海外ですね」と笑っている気がするから。


その時もまた、新しい誰かの人生に、一本の「道」を書いてあげているだろう。

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