「ということは、趣味でパン焼いてるってことね」

今日、七二会森林クラブに初めて薪を買いに行って、おしゃべりしているうちにパン屋の話になった。「パンを売って生計を立てていくのは無理があったので、今は自分が焼きたいときに、一緒に焼きたい人を集めて焼いてます。」と、現状を伝えたところ、最初に書いた言葉が返ってきた。
たしかに客観的に説明を聞けばそうとしか言いようがない。そんな有り様なのに、以前のぼくだったら格好つけて必死に否定していた気がする。ライフワークですとか、営業形態変えただけですとか、副業として狙ってますとか。仕事として身を立てていてこそで、趣味は仕事より劣るもの。そんなものに価値はない。仕事は勝者で趣味は敗者。そんな強い思い込みが、自分の中に確実にあったからだ。
でも、ぼくは「そうですね」とやわらかく返事をしていた。引っかかりのなさに、自分でも驚いた。この数ヶ月でじんわりと心が緩んできた実感はあったが、先日の家族やめぶきの子たちとのパン焼きを通して、とらえ方が明確に変化していたようだ。それに気づけたのが、今日の七二会の薪置き場だった。
帰りの車を運転しながら、なぜそんなにすんなり言えたのかずっと考えていた。急な下り坂のカーブを曲がっているときに「あ、そうか。勝ち負けを超えたんだ。」という言葉が口から出ていた。趣味か仕事かの二択を超えたから、こだわりがなくなったんだ。多分、今のぼくなら、趣味と言われても仕事と言われても「そうですね」って答えると思う。
だって、パン作りの工程のほとんどに絶対的な幸せを感じていて、それを人と分かち合えたり、新たな気づきをもらったりできるのだから、それは自分の人生にとってかけがえのない豊かさでしかない。しかも豊かさの残渣(ぼくは作ることに豊かさを感じているけど、おいしいものを味わって食べることに対する執着は薄く、妻の方が何万倍も強い。)として生み出されたパンが、食べてくれた人を幸せにしてくれる。つながりをくれる。時々、物やお金をもらうこともある。なんとお得なことか。

そう腑に落ちたときに、趣味とか仕事とかいう二極のラベリングは、ぼくにとって不要なものになっていた。大切なのは、この豊かさを受け取れるように自分や環境を整えておくこと。自分にとっての正直な心地よさを基準にして、パン焼き小屋はしごのあり方をデザインしていくこと。それだけになりました。

そんなパン焼き小屋はしごです。これからも、心地よくたゆたうように移り変わっていくと思います。繋がってくださっている皆様、今後ともよろしくお願いします。

年末の挨拶として。

2025年12月31日
パン焼き小屋はしご
窯主 高橋有希

⭐️前回の投稿にコメントやメッセージをくださった皆様へ⭐️
大事にお返事を書こうとしまくった結果、なかなか書けずにいました。心のこもった言葉たちが、ぼくの支えになっています。ありがとうございます。この投稿は、コメントをくださった皆様や繋がってくれている方々に向けて書いています。これでお返事に代えさせていただきます🙏

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96 いいね! ('26/02/02 06:00 時点)