イージス・アショア撤回が示すもの

『戦争アレルギーから平和ボケへ』

先の大戦から75年が経過した。この間、日本は戦争に巻き込まれる事なく平和を謳歌した。この成果を平和憲法に求めるのか、日米安保に求めるのか判断の分かれる所ではあるが、どちらにも理屈は立つ。私は憲法を盾に、その後ろで行われた巧みな外交手法の成果と考えている。

平和憲法を掲げたから他国が攻めてこないなどという事は夢である。しかし、同盟の名の下に積極的に活動すれば戦争に巻き込まれる可能性は上がる。どちらにしても安穏として得られる平和はない。



現在

原子力発電所の建設が始まった頃、夢のエネルギー誕生に期待を膨らませる事はあれど、日本の原発がテロの標的になるなどと誰が考えただろうか。同じく、国民が北朝鮮に拉致されているなどと誰が考えただろうか。世界は変わり続けているのだ。

唯一の被爆国でありながら、その核ミサイルを迎撃する施設の設置すらできない国に成り下がっている事を自覚すべきである。

平和ボケはここに極まっている!



イージス・アショアの必要性

北朝鮮のミサイルが日本上空を通過し、北海道東沖や日本海に落ちる実験は一度や二度ではない。核実験も頻発に行われ、核搭載大陸弾道弾を数十発所有し、運用できる状況にあると思われる。

現代兵器での戦争を想定すれば、専守防衛を掲げる日本においてミサイル迎撃は必須である。ただし、それは北朝鮮を対象とした場合であり、大陸弾道弾を数千発所有しているロシアや中国などを対象とするならば、そもそもこの程度の迎撃システムでは意味をなさず、核のシェアなど敵地攻撃能力など別の次元の話となる。

よって、このイージス・アショアは北朝鮮を対象とした迎撃システムである。


大陸弾道弾は宇宙空間まで打ち上げてから位置エネルギーを利用して超高々度から想像を絶するスピードで目標に落とすミサイルである。弾頭に核を搭載するか否かで被害は大きく変わるが、狭い国土に多くの原発を抱える日本においては、通常弾頭であれ原発を狙われれば、その被害は計り知れない。

仮に、中距離大陸弾道弾と想定すると、高度1,000㎞以上の高さからマッハ6前後の速度で落ちてくる。ピストルの弾をピストルで撃ち落とす難しさと比喩される困難さがあり、イージス・アショアを含めたミサイル防衛システムの信頼性はさほど高くないのだが、それはさておく。



撤回から見えるもの

令和2年6月15日、イージス・アショアの設置が正式に撤回された。地元説明での杜撰な資料、職員の居眠りなどミソが付いたとはいえ大臣の思い切った判断である。

問題はカウンタープランの有無である。

先の大戦以来、ドイツが開発したロケットを各国がしのぎを削って作り上げたのが現在の多段式ロケットであり、今更、10年やそこらで代用出来るとは思えない。

イージス艦を作ったところで、船員達も必要となる上に、完成時は時代遅れかもしれない。

敵地攻撃能力など、日本では議論だけで数十年かかりそうだ。

その間、国民の生命、財産を危険に晒して良い訳がない。

国は代替えとなる防衛策を早急に出す義務がある。

国民は、核ミサイルに無防備になる理由が、ロケットの落下物の危険などという比較にならぬ理由であり、近隣には敵意も悪意も持ち合わせた国だらけだという事を考えるべきである。


イージス・アショアでは大陸弾道弾を撃ち落とせぬ可能性がある故に、代替案にてより効果の高い防衛策が出る事を期待したい。

核爆発の惨状下で、死んだ家族を抱きしめながら、なぜあの時に迎撃システムを設置しなかったんだなどと嘆く事は絶対に起こしてはいけない。



著:浅野文直



浅野文直(あさのふみなお)

1971年生まれ。川崎市議会議員6期

政治家秘書を経て、28歳から自民党所属の議員。戦後最年少の川崎市議会議長。

介護やリサイクルなど数社を起業。

「君子和而不同」を地で行く熱血漢。