2008~2011シーズンに選手として川崎フロンターレに在籍していた横山知伸さんが、1月4日に逝去されました。ここに心から哀悼の意を表します。

当時を知るスタッフくんに話を聞いてみた。

2008年1月 新体制発表会見。
多くのサポーターのみんなに迎え入れられたヨコくんは「あぁ、これがプロになるということなのか。サポーターの皆さんからこんなにも温かく迎えられて、自分は幸せだなぁ。」と話していたそう。今振り返るとヨコくんの人柄がよく出ているコメントだなって。

同期加入の“ヨコ”“タサ”“キク”。みんなそれぞれ雰囲気や性格も異なる3人だったけど、家族ぐるみでプライベートでも仲が良かったんだって。

3人とも大学サッカー界では名の知れた存在。当時、フロンターレにこのレベルの大卒の即戦力がまとめて来てくれるのかとクラブ内は驚きに包まれたらしい。みんな拍手しながら「すごいな!楽しみだ!」って。

実はヨコくんには大手企業の内定が出ていたんだけど、それを断ってフロンターレを選んで来てくれた。そこまでの決断を、フロンターレというクラブを天秤にかけて選んでくれた。その大事な、大きな決断に対して、スタッフくんたちも絶対に応えないといけないと強く気づかされたんだ。

いつもサポーターのこと、スタッフのみんなのことを気にかけてくれるヨコくん。「大変そうですね、持ちましょうか?」「やりましょうか?」「ありがとうございます。」が当たり前にできる人。もしかすると当たり前のことかもしれないし、他の選手がやっていないわけでは全くないんだけど、ヨコくんは自然に、心の底からそういった行動ができる。上手く言えないんだけど、そういうところが本当に素敵な人だなって感じていたんだって。

選手たちからも信頼はあつく、2011年には選手会長も務めたヨコくん。
東日本大震災のあと、スタッフくんが相談した時に「選手たちも連携してやります。」と一緒になって行動に移してくれたのが「Mind-1ニッポンプロジェクト」。この活動はヨコくんが選手会長として積極的に動いた賜物。今でもずっと続いている活動なのは、みんなも知っているよね。

家族、友達、チームメイト、周りの人みんなへの感謝を常に忘れなかった人格者。

早すぎるお別れがとっても寂しすぎるけど、ヨコくんはフロンターレに、サッカー界にたくさんの功績を残してくれた。

負けず嫌いで努力を惜しまない性格のヨコくん。
きっと頑張りすぎたと思うからゆっくり休んでね。これからもずっと、みんなを見守っていてください。byカブレラ

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