今回は、若いときに事故に遭われて車椅子生活を余儀なくされ、苦痛との葛藤の中から希望を見出していく自分の心を「満開の光を浴びて」というタイトルの詩集として纏めた松本幸治さん。

そして、松本さんの友人である川崎市議会議員の浅野文直さんをゲストに招いてお話を伺いました。


Photo:長谷部ナオキチ

詩を書く。それは読み手と自分を癒す手段



高木優一:松本さんは、高校3年生のとき、器械体操の事故によって頸椎を損傷され、その後車椅子生活を余儀なくされています。事故の後、川崎市宮前区の障害者施設で22年間過ごされていますが、昨年パラ将棋(障害者の将棋大会)で神奈川代表で出られ全国優勝を果たしました。さらには、自分が書かれた詩の出版もされています。


浅野文直:松本さんが書かれた詩を、いじめに遭って悩んでいたり、死にたいと思っている若い世代や、子供に手を焼いている親御さんにぜひ読んでもらいたいと思います。最初は、おれより大変な人もいるんだとの、同情とか哀れみでもいいと思います。読み進めていくうちに、ああ、生きているからこそ親不孝をかけさせられているんだとか、読み手にとって、何らかの気づきがあると思います。


高木優一:詩を書こうと思ったきかっけはどのようなことだったのですか。


松本幸治:事故に遭って半年目ぐらいからスケッチブックに日記を書いていたのですが、これに題名をつけてみたらどうだろうと思いついたのがきかっけなんです。それが、たまってきて、途中から詩として表現しようと意識するようになりました。本に収められているのは最初の3年分ぐらいです。



浅野文直:今は絵画や書道にも挑戦されていますが、人に伝える手段としては詩が一番胸に直接的に響くと思いますね。


高木優一:松本さんの詩を読み、何らかの癒しを感じる人は多いと思いますがが、書いているご自分もまた癒されるんでしょうね。


松本幸治:そうですね。


浅野文直:夢の中では健康な自分がいて、夢から覚めたときに絶望感に襲われるとか、自分自身で動けないから、自分はからくり人形なんじゃないかとか、最初は身体が不自由になったことへの戸惑いや絶望感などが率直に出ている文が多かったのですが、そのうちに両親への想いを語り出し、この身体になったからこそ感じる気持ちを表すというように変化してきましたね。松本さんの率直な想いが、読者に伝わり、何らかの想いを感じ取っていただければと思いますね。



高木優一:自分の言葉としてストレートに伝わってきますね。松本さんの表現するもの、想いなどを誰に一番伝えたいと思いますか。


松本幸治:やはり若い子たちに読んで欲しいですね。それと、子供を持っている親御さん。子供を育てていくうちには、こういうこともある、特別なことではないんだよというメッセージとしてとらえてもらいたいと思います。


高木優一:育児放棄するような親こそ読んでいただきたいですね。


浅野文直:今、松本さんがおっしゃったように、本人あるいは身内がこのような事故にあって障害を持つに至る、そのようなことは、特別なことでもなんでもなく誰にでも訪れるありふれたことだと思います。当事者は絶望し魂が抜けたような状態になるわけですが、松本さんはその現実は受け入れざるを得ないんだからしっかり受け止める覚悟が必要なんだと、そのことを詩という表現方法を取って多くの人に伝えたいと考えていらっしゃると思います。



「満開の光を浴びて」に込められた想い

高木優一:松本さんの詩集は「満開の光をあびて」というタイトルですが、どのような想いを込めてこの題名を付けられたのですか。


松本幸治:春に満開の光が木漏れ日から差し込むイメージから・・・ですかね。



高木優一:自然を感じたり、感じたことを詩にするとかは、失礼かもしれませんが、お身体が不自由になったからこそ感じる感性なのかもしれないですね。若い人に発したいメッセージも込めているとおっしゃいましたが、若い人たちの生きづらさを少し離れた立場でお感じになっているんでしょうね。


松本幸治:そうですね。


浅野文直:まあ、何かをするのにも人の手伝いが必要ですし、生活のどの面を見ても健常者に比べたら圧倒的に不具合が多いわけですから、生きづらさという点では健常者よりも遥かに感じる部分が多いと思いますよ。さらには、身体的苦痛をいまだに感じながら日々を過ごしていますので、我々には測り知れない苦労はあると思います。



松本幸治:足腰の痛みとしびれは慢性的に感じていますからね。


浅野文直:ですから、日々の生きづらさの中で懸命に生きているからこそ、健常者に対して何らかのメッセージがあるはずなんです。そういう真摯な思いをこれらの詩の中から感じ取ってもらえればと思います。


高木優一:絶望の中から、少しずつ光が見えてきたって感じですね。


浅野文直:松本さんは詩の中で、彼は輪廻転生、つまり生まれ変わりはあって欲しいと語っています。しかも、その生まれ変わりが、生まれてから事故を起こすまでであって欲しいのか、このような障害を負ってから生きていく部分も含めてなのか、なかなか想像しづらいですが、その切実な想いは我々には測り知れないものだと思います。



一遍の詩

高木優一:さきほどから、松本さんの詩集の話をしていますが、やはり実際に書かれた作品を紹介しないと、詩に込められた松本さんの想いが読者にも伝わらないと思います。「母」と題された詩を紹介し、今回の対談を終えたいと思います。松本さん、浅野さん、ありがとうございました。



僕の手足が母に入れ替わったときから


母は僕の肉体の一部だと錯覚していたに違いない


そんな僕を母は喫茶店で着せ替え人形のように


哀しい瞳で見ていたに違いない


産んだ子の哀れな姿をいちばん見たくない人が


一生そばについていなければならない悔しさを


苦しいほど僕にはわかる・・・・・


僕も父と同じように


素直になれないのかもしれない


いや


この状況で素直になれる人を


僕は軽蔑する


人間だからこそ・・・・・