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神谷にあった飛行場「岸飛行場」
岸飛行場イメージ わが国で初めて飛行機が飛んだのは明治四十三年のことでした。アメリカからマースという曲芸飛行家が来日して、妙技を有料興行しましたが、その後軍隊だけでなく民間飛行家も追々に増加し、小規模ながらも各地に民間飛行場が設けられました。
現在の清掃工場のあたり、神谷の荒川岸から西へ、京浜東北線のレールの近くまで十八万坪の広大な敷地に、岸飛行場と呼ぶ、民間の飛行場がありました。
この飛行場は、大正五年に築地明石町の耳鼻科院長だった岸一太博士が開設したもので、四万坪を整地して、そこに風洞、電機溶鉱炉、乾燥室等を備えた飛行機製造工場を併設していました。これらは、後に航空機産業開発の参考になったといいます。その開場式には、博士自作の「つるぎ号」でテスト飛行が試みられたと言われています。また、工場では、機体だけでなく発動機の製作まで手掛けたということから、日本の飛行界に残した博士の功績は特筆されるべきです。
しかし、時期尚早だったため経営が不振でわずか二年後に閉鎖されてしまいました。跡地は放置され飛行場原と呼ばれていましたが、やがて工場地帯となり現在では当時を偲ぶものは何一つ残っていません。その頃は土地の値段が一坪一円にもならなっかたそうで、地価高騰の今日からは夢のような話です。
当時は、国産の飛行機が軽快に飛ぶ雄姿を時おり仰いだといいますが何しろ落ちるのが珍しくない時代でしたから、高い木の上に不時着した姿なども見られたということです。
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※北区の昔がたり(東京都北区教育委員会発行)より。
所在地
北区神谷 現在の清掃工場のあたり