日髙 将史(ひだか・まさし)21歳でプロテスト合格。2015年JGTOチャレンジツアー「ジャパンクリエイト チャレンジトーナメントin福岡雷山」優勝。2024年 ABEMAツアー 「LANDIC CHALLENGE 11」優勝。 1986年生まれ、宮崎県宮崎市出身。5歳から父の影響でゴルフを始め、宮崎日大中学・高校を経て九州東海大学へ進学。宮崎県内でのジュニア育成や地域貢献活動にも精力的に取り組んでいる。
〜宮崎の海に心を預け、今日も一打一打に人生を刻む〜「自分と向き合う生き方」
『将史』の『史』は歴史に爪痕を残すような意味を込めて、『将』はゴルフ好きだった父が、当時全盛期だったジャンボ尾崎(尾崎将司)さんにあやかってつけてくれたと聞いています。
そう微笑む日髙選手が生まれたのは、太陽と緑に恵まれた宮崎県宮崎市。
「故郷の宮崎に帰ってくると、時間の流れがゆったり感じられて心が落ち着きます。今でも考え事や気分転換をしたいときは、海の近くに行って高台から海をじっと眺めたりしています。幼い頃、父と一緒に過ごした宮崎の風景や空気感が、僕の原点なんです」
「ゴルフは、自分と向き合うスポーツです。」
インタビュー中、日髙将史さんは何度も「自分と向き合う」という言葉を口にした。
試合で結果が出ない時も、練習が苦しい時も、プロとして思うように賞金を積み重ねられない時も、最後に向き合う相手は、ライバルではない。
いつも、自分自身だった。
その姿勢は、幼い頃から父親に教えられてきた生き方そのものだった。
「クラブのせいじゃない」
宮崎県で育った日髙さんがゴルフを始めたのは幼い5歳頃。
父親もゴルフを愛し、ベストスコアは70台前半という実力者だった。
幼い息子は、当然のように父の背中を追いかける。
しかし、その道のりは決して甘くはなかった。
思うように球が飛ばない。
ミスショットが続く。
すると子どもらしく、「クラブが悪い」「道具が合わない」と言い訳をしたくなる。
そんな時、父は決まってこう言った。
「クラブじゃない。自分の腕だ。」
逃げ道は作らなかった。
原因を環境のせいにしない。
まず自分を見つめる。
その教えは、少年の日髙さんには厳しく感じたこともあったという。
思春期には反発もした。
父の言葉を素直に受け止められない時期もあった。
それでも今振り返ると、その教えこそが人生の土台になっていると語る。
一日千球。
中学・高校時代は、ゴルフ一色だった。
学校が終わると自転車でゴルフ場へ向かい、9ホールを回る。
その後は母の送迎で練習場へ。
営業時間が終わるまで球を打ち続ける。
毎日200〜300球。
年末年始には、自分への挑戦として「一日1000球」を打ったこともある。
「途中で適当に済ませたくなる自分もいるんです。でも、その自分に負けたくなかった。」
誰かに勝つためではない。
昨日の自分を超えるため。
その積み重ねだけを信じていた。
全国には届かなかった。
これだけ努力をしていたのだから、全国大会で活躍していたのだろう。
そう思った私は少し驚いた。
九州大会には出場する。
しかし、その先の全国大会には届かない。
あと一歩が遠かった。
思うような結果は出ない。
そんな日々の中で出会ったのが、一学年上の先輩・中園美香プロだった。
美しいスイング。
誰よりも真剣にゴルフへ向き合う姿。
「この人は本当にすごい。」
自然と憧れが生まれた。
さらに、中園プロの父でありティーチングプロでもある先生から指導を受けるようになる。
父とは違う角度からの言葉は、不思議なほど素直に心へ入ってきた。
高校最後の夏。
ようやく日本ジュニアへの切符を手にした。
決して華やかな結果ではない。
しかし、その一歩が未来へ続いていく。

プロになれば華やかな世界が待っていると思っていた。
大学では九州学生選手権で優勝。
「今ならいける。」
そう思い、大学2年で中退。
プロ一本に人生を賭ける。
しかし、最初のプロテストは不合格だった。
夢は簡単には叶わない。
「でも、現実を知れたんです。」
悔しい。
それでも、自分には何が足りないのかを知ることができた。
翌年。
二度目の挑戦でプロテストに合格。
幼い頃から追い続けてきた夢が叶った瞬間だった。
家族も大喜びしてくれた。
しかし、その時はまだ知らなかった。
プロになることはゴールではない。
ようやくスタートラインに立っただけなのだと。
「プロゴルファーという資格を得ただけでした。」
現実は厳しかった。
試合に出ること。
賞金を稼ぐこと。
生き残ること。
すべてが勝負だった。
弱い自分が毎日現れる。
約20年、プロとして戦い続けてきた。
その間、常に戦ってきた相手は誰だったのか。
「弱い自分です。」
サボりたい。
今日は休もう。
疲れている。
そんな自分は、今でも毎日のように顔を出すという。
だからこそ、自分に苦手なことを課す。
その一つがランニングだった。
「走るのは苦手なんです。」
苦手だから走る。
嫌だからやる。
走っているうちに頭が整理される。
気持ちが整う。
「体力づくりというより、僕にとってはメンタルトレーニングですね。」
父から教えられた「自分を正す」という生き方は、今も変わることなく続いている。
心を整える場所は、宮崎の海。
日髙さんには、心が揺れた時に必ず足を運ぶ場所がある。
宮崎の海だ。
静かに広がる水平線。
寄せては返す波の音。
何も考えず、その景色を眺めていると、不思議と心が落ち着いてくる。
試合で負けた日も。
結果が出ない時も。
人生に迷った時も。
海は何も語らない。
ただ静かに受け止めてくれる。
「海を見ていると、自然と気持ちが整うんです。」
ゴルフは心のスポーツ。
だからこそ、自分を整える場所を持っている。
ただ考えるじゃない。動きながら考える。
その時間が、また明日への一歩を踏み出す力になる。

教えは生き続けている。
不思議なことに、インタビューの中で何度もお父様の言葉が登場した。
「クラブじゃない。」
「自分の腕だ。」
「まず自分を見ろ。」
その教えは、今も心の中で生き続けている。
人は亡くなる。
けれど、その人が残した生き方は消えない。
日髙さんが苦しい時に逃げず、自分と向き合えるのは、父が人生をかけて教えてくれた財産があるからだ。
善人承継とは、まさにこういうことなのかもしれない。
言葉を受け継ぐ。
生き方を受け継ぐ。
そして、次の世代へ渡していく。
個人競技だけれど、一人ではない。
現在40歳。
プロ生活は20年近くになる。
地元宮崎では10年以上、中高ゴルフ部の指導に携わり、ジュニアゴルフ教室でも子どもたちへクラブを握る楽しさを伝えている。
「ゴルフ人口が少しでも増えたら嬉しいですね。」
かつて自分が先輩たちから受け取ったものを、今度は子どもたちへ返していく。
スポンサーさん。
応援してくれる地域の方々。
友人。
家族。
「個人競技ですけど、一人で戦っている感覚はありません。」
年齢を重ねるほど、その想いは強くなったという。
だからこそ結果で恩返しをしたい。
その気持ちが、今もクラブを握る理由になっている。

コツコツの積み重ねのその先に…。
「方向を定める」「構える」「打つ」そして「切り替える」
目標を作る。目標への狙いは合ってるか。構える、打つ。そして、次の一打への集中へ心を切り替える。
思い通りにいかないこともある。
思い通りにいかない事の方が多い。
決して天才タイプじゃないと自負する日髙さん。
順風満帆にいかない。
だからこそ、日髙さんは歩みを止めることはなかった。
目標は変えない。その目標までの道のりへ球を打ち続ける。
毎日、自分と向き合う。
弱い自分から逃げない。
苦手なランニングにも向き合い、心を鍛え、またクラブを握る。
近道もしない。
ただ、目の前の一日を丁寧に積み重ねていく。
その実直さと謙虚さが、多くの人に愛され、応援される理由なのだろう。
インタビューの最後、これからの目標を尋ねると、日髙さんは少し照れながらも、はっきりと力強く答えた。
「レギュラーツアーでの一勝です。」
その言葉は、決して大きく自分を飾るものではなかった。
「自分を磨け」と教え続けてくれた、
天国から見守るお父さんへ。
そして、どんな時も変わらず支え続けてくれる家族へ。
家族やスポンサー、仲間、地域の皆さん。
一打一打には、そんな多くの人たちへの感謝が込められている。
感謝がこもった一打は、カップへと吸い込まれていく。
そのツアー「一勝」は、自分だけのものではない。
日髙将史というプロゴルファーの
今後のコツコツの先に見える景色、そして活躍に注目だ。

インタビュー後記
日髙将史さんを取材していて、最も印象に残ったのは「努力」という言葉を一度も自慢しなかったことです。
毎日何百球も打ち続け、一日1000球を自らに課し、結果が出ない時は苦手なランニングで心を鍛える。それでも本人は、それを特別なこととは語りませんでした。
「自分と向き合う。」
その一言に、日髙さんの人生が凝縮されているように感じます。
そして、その生き方の原点には、ご両親の存在がありました。夢を追いかけることを応援し続けてくれたこと。
父から受け継いだ心の整え方は、今も日髙さんの中で息づいています。
心が揺れた時は宮崎の海へ向かい、自分を整え、また前を向く。
その姿は、勝負師である前に、一人の誠実な人間でした。
善人承継とは、想いを未来へつなぐこと。
日髙将史さんが父から受け継いだ「自分を磨き続ける生き方」は、きっと教え子たちへ、応援する人たちへ、そしてこの記事を読んだ私たちへも、静かに受け継がれていくのだと思います。
吉留暖
2026/08/07(金)