善人承継 リレーインタビュー
心に藍を宿し、人生を染め直す人―流れ星が導いた、新しい人生の色―
元歯科衛生士 松山 恵奈美 (まつやま えなみ) さん インタビュー

窓の外の「影」を追いかけていた少女


「父の初恋の人が“ナミさん”だったらしくて。でも、それじゃ母に悪いから、母の名前の“恵”を入れて恵奈美になったみたいです。」


初対面から思わず笑ってしまうような名前の由来を教えてくれた。

子どもの頃の恵奈美さんは、内弁慶な子だった。

人の輪の中に入っていくのが苦手で、どちらかと言えば一人でいる方が好き。友達と騒ぐより、自分の世界に浸っている時間の方が心地よかったという。


授業中も、黒板ではなく窓の外を見ていた。

校庭の端に立つ一本のポプラの木。その影が、時間によって少しずつ形を変えていく。

それが不思議で仕方なかった。

気づけば教室を飛び出し、木の枝で地面になぞっていた。

大人から見れば「変わった子」だったのかもしれない。けれど、それは物事の変化や美しさを感じ取る感性だったのだろう。

今でも、自然や芸術に惹かれるという。


藍染めを始めたのも、きっとその延長線上にある。



氏  名:松山恵奈美(まつやま えなみ)

居住地:茨城県那珂市

職  業:元歯科衛生士、現在はホームセンター勤務

家族構成:母、本人、妹

現在挑戦していること:藍染めを体験できるリトリートの宿づくりの下準備

妹が教えてくれた、優しさと痛み

恵奈美さんには、三歳下の妹がいる。

知的障害がある妹だ。

しかし、家の中ではそれが当たり前だった。

妹は妹。特別でも何でもない。かけがえのない家族だった。

しかし、そんな価値観が揺らいだ出来事がある。


子どもの頃、親戚と一緒にディズニーランドへ行った時のことだった。

トイレで手を洗った妹が、近くにいた女性のスカートで手を拭いてしまった。

もちろん、やってはいけないことだ。

すると、その女性が一言。


「汚い。」


その言葉が、今でも忘れられない。

その人が何を指して言ったのかはわからない。手を拭いた行為だったのかもしれない。

けれど幼い恵奈美さんには、「妹そのものを否定された」と感じられた。

その頃から、人が少し怖くなった。人を信用できなくなった。

そんな気持ちの根っこには、妹のことで受けた小さくない痛みがあった。

傷つかないために、自分の心にフィルターを作っていたのかもしれないと、今では思う。

もし、あの頃の自分に声をかけるとしたら。


よく頑張ったね。


その一言に、子どもの頃の自分への優しさが詰まっている。


大晦日のすき焼きと、人生を変えた流れ星

人生最大の転機は、離婚だった。

結婚生活は十年以上。

その頃の恵奈美さんには、いくつもの悩みが重なっていた。

父の体調不良。妹のこと。仕事への迷い。そして、どこか元気のない夫。

自分のことを考える余裕などなかった。

だからこそ、自分を見失わないよう、ノートに気持ちを書き続けた。

悲しい。苦しい。何がつらいのかわからない。

後から読み返し、赤ペンで自分を客観視する。

それをしなければ、自分が壊れてしまう気がしていた。


そして、大晦日。

夫の大好物のすき焼きを用意した。

ところが、夫の箸は進まない。


「話そう。」


恵奈美さんがそう切り出した時、返ってきた言葉は、


「離婚したい。」


だった。

まだ愛していた。

だからこそ、苦しかった。

誰かに話を聞いてほしい。

けれど、年越し直前にそんな電話をかけられる相手はいない。

ふと思い出した飲み屋のマスターに電話をかけ、コンビニの駐車場で泣きながら話した。


その時だった。

空に、信じられないほど長い流れ星が走った。


「私の運命が変わるんだ。」


なぜか、そう思った。

その足で、大好きなお寺へ向かった。

そして願った。


二人がこれから幸せに、それぞれの人生を歩めますように。


自分がこんな状態の時まで相手の幸せを願える人。

それが、松山恵奈美さんという人なのだと思う。


人生は楽しんだもの勝ち

高校時代、恵奈美さんは武蔵野美術大学に行きたかった。

三年間、志望校にはその名前しか書かなかった。けれど、家族の事情もあり、その夢は叶わなかった。

歯科衛生士の道へ進み、社会人になった。

その後は、ウィンドサーフィンに夢中になった。道具を買い、やりたいことに全力でお金を使った。

気づけばかなりの散財をしていたという。

それでも、不思議と後悔はなかった。

やりたいことだったからだ


やがて、海外で暮らしてみたいと思うようになる。

すると、今度は一気にスイッチが入った。

必死に働き、使った分を自分の力で立て直し、資金を作り、オーストラリアへ渡った。

しかも、母に報告したのは出発一か月前。


「ちょっとオーストラリア行ってくるね。」


会社に忘れ物でも取りに行くのかと勘違いさせるような、そんな軽さで一年の海外生活を決めてしまう。

けれど、この行動力こそが恵奈美さんらしさだ。

迷う時期もある。立ち止まることもある。

それでも「やりたい」と思った瞬間、人生が動き出す。


人生は楽しんだもん勝ち。


その言葉に、たくさんの経験が詰まっている。

藍で、人の心をほどく場所をつくりたい

昨年、恵奈美さんは茨城に戻ってきた。

長く東京で暮らした後、実家へ帰る決断をした。父と最後の時間を過ごしたいという思いもあった。

現在は母と妹との三人暮らし。父は昨年一月二十七日に亡くなった。


今、那珂市の魅力は「探し中」だという。

子どもの頃は水戸で育ち、那珂市に住むようになったのは専門学校を卒業する頃。

その後すぐに働き、海外へ行き、沖縄に住み、東京で暮らした。だから、今あらためて地元を知り直している最中なのだ。

それでも、帰ってきて感じるものがある。

空が広い。

緑が多い。

田んぼがある。

少し行けば山が見え、もう少し行けば海がある。

田植えの季節、水を張った田んぼに新緑が映り、きらきらと光る。その景色を見るたびに、やっぱり自分は田舎が好きなのだと感じる。


今、恵奈美さんが挑戦しているのは、藍染めを体験できるリトリートの宿づくりだ。

ただ藍染めをするのではない。自分で藍を育て、染料を作り、自分で染める。

そこから、人が心を休め、自然に触れ、自分を取り戻せる場所へつなげていきたい。

藍染めは、急がない。

土があり、水があり、季節があり、手間がある。

それは、恵奈美さんの人生そのものにも似ている。

傷ついた記憶も、離婚の痛みも、家族への思いも、旅の経験も、すべてが少しずつ色になっていく。


五年後の自分に声をかけるなら、こう言いたいという。


やっとできたね。よくやったね。できると思ってたよ


この人はもう、未来のできた自分を信じている。


後世に伝えたいこと

新社会人に伝えたいことを尋ねると、恵奈美さんは静かにこう話した。


そこがすべてではないよ


新しい会社、新しい仕事、新しい人間関係。そこに入ると、どうしてもその場所のルールが世界のすべてのように感じてしまう。

うまく合わない。評価されない。自分はダメなのではないか。

でも、そうではない。


そこが合わないだけ。自分に合う場所は必ずある


同じことをしても、場所が変われば評価されることがある。自分の芽が潰されそうになっても、その芽が悪いわけではない。土が合っていないだけかもしれない。

恵奈美さんは、自分を見失わないことの大切さを知っている。

人に合わせることと、飲み込まれることは違う。

そして、恵奈美さんにとっての善人とは何か。


「正直に、素直にありがとうって言葉が出てくる人」


特別なことじゃないけど、それができる人は意外と少ない。

混雑した場所で車を誘導してくれる人に、自然に「ありがとうございます」と言える人。

そんな当たり前のことに気づける人を、恵奈美さんは素敵だと思う。

当たり前を、当たり前にできる人。

小さな感謝を、ちゃんと言葉にできる人。

それが、恵奈美さんの思う善人だ。


インタビュー後記

松山恵奈美さんの話を聞いていると、人生というものは、まっすぐな道路ではなく、ところどころに看板のない分かれ道があるのだと思わされる。


美大に行きたかった少女は歯科衛生士になり、ウィンドサーフィンで散財し、それを上回るお金を貯めてオーストラリアへ行き、東京で暮らし、離婚を経験し、今は茨城で藍を育てようとしている。

普通の履歴書なら、採用担当者が「この方はなかなか自由ですね」と少し姿勢を正すかもしれない。

でも、人生の履歴書として見れば、これほど色がある人もなかなかいない。


大晦日、すき焼きの箸が止まり、離婚の話になり、コンビニの駐車場で泣きながら電話をしている時に、空を長い流れ星が走る。

こんな場面、映画なら「ちょっと演出が強すぎます」と言われるかもしれない。けれど現実に起きているから、人生は脚本家より容赦なく、そして時々、信じられないくらい美しい。


恵奈美さんは、傷をなかったことにはしない人だ。

でも、傷だけで自分を決めない人でもある。

子どもの頃に校庭で影をなぞっていた少女は、今、自分の人生に差した光と影を見つめながら、藍という色で未来を染めようとしている。

この人の宿ができたら、絶対泊まりに行きたい。

こちらが「一泊で」と言ったら、恵奈美さんはニヤニヤしながら「人生変わるかもしれませんよ」とたくらみ顔をしそうである。


その時は覚悟して行こう。

すき焼きと流れ星と藍染めが待っている宿なんて、普通の旅行サイトでは検索できないのだから。

お問い合わせ

株式会社SOG

インタビュアー  山元  直樹

Mail:relay.interview@gmail.com

*お問い合わせの際、『区民ニュース』の記事を読みました。とお伝え下さい。

ご紹介者さま: 白戸 亜季 さん