太平洋戦争中、三重県鈴鹿市にあった海軍の兵器製造工場「海軍工廠(こうしょう)」は終戦間際、攻撃に備えて隣接する亀山市の地下トンネルなどに疎開した。
元工員の四日市市の赤尾藤二さん(97)が戦後80年の夏、現地を訪れた。
「息苦しいくらいの湿気で、環境が悪かった。
8月15日、機械が一斉に止まった」。
暗いトンネルをのぞき...

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