田畑淳さんは、川崎市溝の口に事務所を構える若手弁護士です。不動産に絡む相続を得意分野としていますが、法律に関する問題事なら何でも気軽に相談をして欲しいと、ハードルの低い地域密着型の法律事務所を標榜しています。今回は、地元の住民の皆さんへの貢献を第一に考えるという田畑弁護士に話をうかがいました。

Photo:長谷部ナオキチ

丸の内の事務所でキャリアがスタート。そして関内へ。

高木優一:今日は田畑先生がこの溝の口という地域で法律事務所を構えるようになった経緯と、主に相続に関してどのようなスタンスでお客様と接しているのか、その辺りのことを中心にお聞きしたいと考えています。先生は最初は東京の法律事務所にいらして、その後、関内の事務所に移られましたね。

田畑淳:弁護士の登録直後、つまり、なりたての頃は丸の内の法律事務所にお世話になっていました。その事務所は上場企業を何社も扱っておりまして、まだ40代でしたが非常に有能な先生の元で仕事をさせていただいていました。30歳ぐらいの時ですね。その事務所に就職した当は、ここで修業を積んだのちに留学して、いずれはこの事務所のように大企業と顧問契約を交わし、東京に自分の事務所を持つ、という青図面を描いていました。ところが、思いのほか仕事がきつい。徹夜をすることもあるし、夜中の2時、3時に仕事が入ってきて、それを朝までに片付けなければならない。そのようなこともありました。体力的には自信がありましたので、とにかくガムシャラにこなしていたのですが、そのうちに疑問が湧きはじめました。自分は果たしてこの中で生き残れるのか、と。この事務所で勝ち残っていくのは尋常なことではない。自分にそれができるのか・・・自信はない、と悩みました。

高木優一:それは2年目とか3年目の時期ですか?

田畑淳:いえ、半年後ぐらいでそう考えてしまいました(笑)。

高木優一:えっ、そんな早くからですか(笑)。

田畑淳:それで、地元の神奈川に戻ってリセットしようと思い立ったのです。神奈川で弁護士の仕事をするならば、やはり裁判所の近くが良いだろうと、関内の事務所へ移籍することにしました。その事務所では非常に楽しく仕事をさせていただきましたし、独立のための資金も貯めることができました。今でも、大変お世話になったと感謝しています。でも、決して楽をしていたわけではありませんが、早めに仕事を切り上げ飲みに行ったりすると、脳裏に丸の内の事務所の光景が浮かぶのです。ああ、自分がこうしている間もあそこにいる人たちはわき目も振らずに仕事をしているのだと。やはり、同じプロとして、自分もあそこまでやらなければいけない、負けるわけにはいかない、という感覚は常に自分の中にありました。そういう意味では、丸の内の事務所には勉強させてもらったという思いを、今でも強く持っています。

溝の口に事務所を開業。独立を果たす。

高木優一:関内の事務所を辞められたのちに溝の口に事務所を構えられましたが、溝の口を選んだ理由は?

田畑淳:神奈川県内で、競合先があまり存在せずそれなりの所得がある層が暮らす地域として、川崎市の北部にターゲットを絞っていました。最初は武蔵小杉を考えていたのです。実は関内の事務所に籍を置いていたときも、武蔵小杉に自宅を構え通勤していました。とても住みやすい街で、東京、横浜、川崎のいずれにもアクセスが良いし、事務所を構えるには最高のロケーションだと感じていました。ところが急速に街が近代化してしまって、自分が事務所を構える際のイメージとかけ離れてしましました。

高木優一:横須賀線が通るようになり、便利になった分、変貌も激しかったですね。

田畑淳:東京に近いけれど「庶民的な昔からの地元の街」という感じではなくなりました。また、東京から進出してくる弁護士も少しずつ増えてきて、どうしても競合せざるをえない状況になりそうで。それも武蔵小杉から離れた理由です。

高木優一:そこで溝の口に目が向いたのですね。

田畑淳:溝の口には馴染みも土地勘もなかったのですが、昔からの商店街も地元のコミュニティも健在で、自分が武蔵小杉に求めていたような街の良さがあり、ここしかないと思いました。

高木優一:現在、先生は地域のいろいろな活動にも積極的に関わっていらっしゃいます。地域密着型の事務所というイメージを非常に感じます。

田畑淳:仮に東京に進出する機会があっても、本部事務所は溝の口に構えますし、溝の口に住み続け、子供もこの土地で育てるつもりです。今後何十年たってもこの街で頑張る、そう宣言しています。若い弁護士に仕事を回してくれる地元の人たちは、「これからもこの地域で頑張れよ」とエールを送ってくれているのだと思いますから、是が非でもそれに応えなければならないという責任を感じます。

相続に関しては、問題になる前に相談して欲しい。

高木優一:今は溝の口に本部事務所を構え、秦野にも支部事務所を構えていらっしゃいます。次第に進出するテリトリーも広がりそうですね。

田畑淳:弁護士は、別に半径何キロ以内でなければ商売をしてはいけないという取り決めがあるわけではないので、声が掛れば溝の口以外にも、東京へも出向きます。ただ、活動の中心はやはり溝の口に置きますし、地元の人たちがアクセスしやすい、顔が見えやすい事務所を目指そうと思っています。

高木優一:先生は、今後どのように事務所を展開させていくつもりなのかをお聞かせください。

田畑淳:相続というテリトリーは、どの士業の先生方もこれから大きくなるマーケットだと捉えていると思います。その中で、どう特徴づけをしていくのかが問われると考えています。私の場合は、不動産分野は比較的手慣れていますし、不動産が絡む相談であれば、他の弁護士よりも的確に応えられることがあるかもしれません。今のところは、不動産に関連する相続の問題を軸にして仕事を開拓していく所存です。

高木優一:相続といっても、一言では捉えきれない、いろいろな問題が発生します。

田畑淳:親の認知症が問題となって相談してくるケース。借地をどう処分するかという問題。農地を宅地に変える際の相談とか、本当に多岐にわたります。相続というのは、他の案件とは違った側面があります。交通事故や借金の問題は、それが起こって困った事態になったときに初めて弁護士に相談をしに来ます。ところが相続は、何かの問題が生じる前に相談をすることができます。遺言は早めに書いておいた方が良いとか、この土地の問題に関しては今のうちからきちんと整理をしておいた方が無難だとか、的確なアドバイスが事前にでき、前もっていろいろと手を打つことが可能だということで、他の案件とは異なるのです。それで何の問題も起こらなければ良いし、避けられない事態になった時は真摯にお手伝いをさせていただく。一期一会というよりは、日頃からどんな事でも気軽に相談に乗り、長期にわたってお手伝いをさせていただくというスタンスでいきたいと考えています。

高木優一:やはり、弁護士は一般の人たちから見ればまだまだハードルが高いという印象は否めません。先生のように積極的に地元に出て行くという姿勢が、地域の人たちの中に溶け込む一番の方法だと感じます

本日はどうも有難うございました。