【西南戦争の献上品「ケレー」】

 日本史上最後の内乱である明治10年(1877)の西南戦争では、明治政府が圧倒的な軍事力をもって西郷隆盛を中心とする反政府軍を相手に勝利を収めました。しかし、この戦争遂行の過程で政府が民間から様々な献上品や献金を受けていたことはあまり知られていないかもしれません。当館には、東京府へ提出された府民からの献上品に関する記録が残されています。
 献上品には、銃器・弾薬をはじめ、傷病者の手当てに使われた綿撒糸(めんざんし)・晒木綿や薬剤、地図、書籍など実用的な物品が多く見受けられます。そのなかで、ひときわ目を引くのが通新石町(現、神田須田町)の鶴岡市太郎が献上した「鶏肉ケレー」なる滋養品です(【画像1】請求番号:608.C7.10)。
 ケレーは、オランダ語でジャムやゼリーといった意味をもつ“gelei”に由来することから、鶏肉を煮詰めたようなものと想像できます。明治時代、牛肉文化が庶民に広まりましたが、鶏肉は牛肉と比べ高級で希少な食材でした。また、当時陸海軍ともに牛肉を兵食として採用しており、鶴岡は鶏肉の持つ効能にいち早く目をつけた人物といえます。
 鶴岡によれば、この鶏肉ケレーは陸軍軍医総監松本良順より伝授されたもので、服用すると老若男女・壮健病弱を問わず滋養強壮が期待でき、特に女性の産前・産後にも大いに効果があるとしています(【画像2】請求番号:609.B6.09)。西南戦争に際して、鶴岡は総額119円余相当の鶏肉ケレー製品を献上しました。
 献上品の相当額が記載されたのは、明治8年7月に政府によって「賞盃規則」が定められていたことが関係していると考えられます。この規則では、寄附行為者に対する賞与として政府が授与する賞盃の種類が寄附金額に応じて設定されました。金100円未満の献金の場合は木盃、金100円以上は銀盃が与えられることとなっています。
 実際に、鶴岡は西南戦争での献上により銀盃が授与されたことが確認できます(請求番号:612.A7.02)。鶏肉ケレーは政府の「お墨付き」を受けたものといえるでしょう。これを足がかりに、鶴岡はケレー事業の拡大を図りました。西南戦争のさなか国内で開催された第一回内国勧業博覧会では、ケレーをもって花紋賞牌を受賞しています(【画像3】)。
 その後、鶴岡は鶏肉の缶詰商品も手がけたようで、明治14年の明治天皇の東北・北海道巡幸ではこの缶詰の献上を願い出ましたが、あえなく却下されました。国家の一大事業に便乗を図る鶴岡の商売戦略の意図が垣間見えます。
 近年、鶏肉は低カロリー・高タンパク質な食材として注目され、多くの料理や加工品に利用されるなど私たちにとって身近な食品です。残念ながらケレーの名を耳にすることはありませんが、鶏肉の普及に努めた鶴岡の商法には、ある意味先見の明があったといえるかもしれません。
【資料情報】
・『回議録・第11類・西南征討ニ付献金・4巻ノ内2  〈庶務課〉』(請求番号:608.C7.10)
・『回議録・第13類・発売・全  〈勧業課〉』(請求番号:609.B6.09)
・『回議録・第10類・献金品願・全 〈庶務課〉明治14~15年』(請求番号:612.A7.02)

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13 いいね! ('25/07/10 04:01 時点)